ミシュラン・ガイド京都・大阪がいよいよ10月16日に発売されるということで、巷ではミシュランについての論議が再燃している。ネットでよく目立つ主張は、「どうして毛唐どもに日本の料理が品評されねばならん」「押しつけがましく傲慢さを感じる」というもの。先日東京版が発売された際も同じ騒動があったが、世情はまったく変化していないようだ。 ミシュランに格付けされるということがどういうことなのか、日本文化の文脈ではニュアンスが分かりにくいと思われる。実のところ、美味しいかどうかの問題ではないのだ。簡単に言ってしまえば、彼らの社会的ステータスに見合うかどうか、という話なのである。文化的で優雅、洗練されたタイトルを与えられること、ぶっちゃけ貴族サークルの入会審査だと言ってもよい。 だからこそミシュラン内部の人々には、どうして日本人がここまで反発するのかについて、まったく理解ができない。社会ヒエラルキーが明白