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2008年9月5日のブックマーク (3件)

  • 有意義な批判と無意味な批判の境界|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    批判の視野を広げる。尤もであると同時に際限のない話でもある。 ・「○○思想(体制)が生み出した犠牲者は~」論法 - 過ぎ去ろうとしない過去 社会学にも歴史にも思想史にも造詣のないぼくは、リンク先で例示されている問題について語るべき言葉を持たない。ただ、考え方そのものは思想や歴史に限った話ではない。だから、批判行為一般の話として捉え直してみる。批判対象は何でもいい。分かりやすく「大量猟奇殺人鬼」とでもしておこう。最も素朴な批判は、彼自身や殺人行為に対するそれだろう。まずは、彼の殺人行為がいかに常軌を逸し反社会的であるかを明らかにし批判する。また、彼の生い立ちや近況から異常性を探し出し殺人に至る萌芽を見出したりする。この辺りまでが第1段階ともいうべき表層批判ステージである。 次にやってくるのは、ゲーム批判やネット批判に見るような「真犯人探し」である。件の殺人鬼は鬼畜AVだの猟奇アニメだの凌辱ゲ

  • 「○○思想(体制)が生み出した犠牲者は〜」論法 - 過ぎ去ろうとしない過去

    別に関係の無い話として読んでもらってかまわないのですが、「○○思想(体制)が生み出した犠牲者は××人である。だから○○はロクなもんじゃない」という論法への違和感について。 もちろん、虐殺という結果にいたった思想や体制はまったく擁護できないし、それは失敗であったと言わなければいけないと思います。しかしです。こうした議論の帰結は「だから○○思想を持ってるやつはロクなやつじゃない。反省せよ」になることが多くて、それにはとてつもなく違和感を覚えてしまうのです。え?それその思想を支持している人だけの問題なの?ということです。いやもちろん、その思想に対するつじつまを持ってない人はつける必要は無いわけですが、そうした思想が社会に浸透することを問題化するならば、誰もが責任が無い傍観者ではいられなくなるのです。つまり、ある思想のもとで多くの虐殺が起こっているならば、それは思想そのものに虐殺を引き起こしうる内

    「○○思想(体制)が生み出した犠牲者は〜」論法 - 過ぎ去ろうとしない過去
    lylyco
    lylyco 2008/09/05
    たとえば危険思想が社会に流布するとき、危険思想を(他者批判的に)糾弾するだけでは足りず、それが蔓延る社会そのもの(その構成員として自分も含む)の問題として批判の目を向けるべきである…という話かな?
  • ダカフェ日記

    学校に自作弁当を持っていく日があるとのことで、オムライス弁当を練習し、試する空。 「今までべた中で一番おいしい」 んなわけない。