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2009年1月5日のブックマーク (7件)

  • 「やる気」に応えられない人が「やる気」を問うな|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    当にやる気あるの?」というのは、やる気に応じられる人にだけ許される問いだろう。 ・派遣村:「当に働こうとしている人か」と坂総務政務官 - 毎日jp(毎日新聞) 実際、派遣村にどれだけ「当に働こうとしている人」が集まったのかは知らない。ただ、坂総務政務官は彼らが全員気だったなら何か手を打てたというんだろうか。気に応えるだけの職を全員分用意できるとでもいうんだろうか。それができないなら気を問うことに意味はない。にもかかわらず「当にまじめに働こうとしている人たちが日比谷公園に集まってきているのかという気もした」などというのは、言外に「彼らが救われないのは当に働こうとしていないからだ」とか「気で働こうとしない人は救われてなくても仕方ない」なんて思いを含んではいないか。 政治の役割のひとつは「自然な状態の不具合を不自然に調整すること」だろう。それは例えば、放っておいたらダメに

  • 派遣村:「本当に働こうとしている人か疑問」と坂本政務官 - 毎日jp(毎日新聞)

    哲志総務政務官は5日、総務省の仕事始め式のあいさつで、仕事と住まいを失った派遣労働者らを支援するために東京・日比谷公園に開設されていた「年越し派遣村」に触れ、「当にまじめに働こうとしている人たちが日比谷公園に集まってきているのかという疑問がした」と述べた。そのうえで「(集まった人が)講堂を開けろ、もっといろんな人が出てこいと(言っていたのは)、40年前の学生紛争の時の戦術、戦略が垣間見えるような気がした」と続けた。 同政務官は熊日日新聞記者、熊県議を経て、衆院熊3区から当選2回。【石川貴教】

    lylyco
    lylyco 2009/01/05
    この人が「本当に働こうとしている人」全員にまともな職を、「本当に働きたくない人or働けない人」全員に最低限の生活を用意できるというならギリギリ許せる発言。
  • 一貫性のない人間の記録、或いは、娯楽としてのブログ|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    このブログのエントリー群は論理的不整合に満ちている。 それは、ぼく自身に論理的整合性、或いは、一貫性がないせいである。今日のぼくと明日のぼくはいうこともいいたいことも違っている。その変化は必ずしも成長を意味しない。なにしろ、ひとつの事柄について同時にまるで違った見解を持っているような場合さえある。このブログでも書いたことがあるかもしれないけれど、実のところぼくにはこれといって「主張したいこと」がない。大槻ケンヂの“人として軸がぶれている”に共感する程度には、首尾一貫していない自分に自覚的でもある。ただ文章を書くという娯楽があり、それなりに根強い自己顕示欲がある。それだけだ。 ブログなど書いているとそんな自分がよく見える。エントリーを書きながら想定していた結論がまったく変ってしまうなんてザラだし、書き終えることで考え方が更新されることだって少なくない。だから、気にしているのはせいぜいエントリ

  • モテるために重要なたった1つのこと

    非モテがうずまく増田であえていうよ。 モテるために重要なこと それは、一人でも楽しそうに暮らしていることだ。 なんだあたりまえだという人もいるだろうけど、これだけは絶対に重要。 全然具体的ではないけど、そもそもモテるために具体的な教えがあるほうがおかしい。 だからハウツーの類は信じるべきではないよ。 理由はすこし考えればわかること。 だって、一人でも楽しそうなAさん、一人でいると楽しくなさそうなBさん、の二人がいてどちらと付き合いたいと思う? ふつうはAさんだよね。 非モテな人のなかには、一人でいる苦しみを分かってもらいたいために、不幸であることを人にアピールする人も多いけど、ほとんどの場合は逆効果。そんな人に近づきたいのは変わった人です。 だからともかくモテなくても楽しく暮らしていればいいんだよ。次第に周りに人はあつまるから。

    モテるために重要なたった1つのこと
    lylyco
    lylyco 2009/01/05
    寂しがり屋故にコミュニケーション巧者となったモテが周囲にゴロゴロしている。ひとり上手のぼくはコミュ能力が退化しモテから遠ざかった。そういうケースもある。
  • 「内向き」で何か問題でも? - 内田樹の研究室

    先日、苅谷剛彦さんと対談したときに、日のように「国内に同国語の十分なリテラシーをもつ読者が1億以上」というような市場をもつ国は世界にほとんど存在しない、ということを指摘していただいて、「ほんとにそうだよな」と思ったことがある。 「国内に同国語の十分なリテラシーをもつ読者が一億以上」いるということは、言い換えると、「日語を解する読者だけを想定して著作や出版をやっていても、飯がえる」ということである。 日人が「内向き」なのは、要するに「内向きでも飯がえる」からである。 「外向き」じゃないと飯がえないというのは国内市場が小さすぎるか、制度設計が「外向き」になっているか、どちらかである。 どうしてそんなことを考えたかというと、テレビ政治討論番組で「フィンランドに学ぶ」という特集をしているのを横目で見ていたからである。 フィンランドはノキアという携帯電話のシェア世界一のブランドを有して

    lylyco
    lylyco 2009/01/05
    かなり限定的な話としてなら同意できるような気もする。ただ、トヨタの人に同じ話をしようとは、ぼくは思わない。そして、そういう「外向き」の人たちの仕事の恩恵を受けて今のぼくたちの生活があるんだとも思う。
  • CSS Drop Shadows II: Fuzzy Shadows

    We thought wrong. The internet being the kind of medium it is, minutes after the publication of the article, we started receiving comments, queries and suggestions for improvements. Most notable among the latter was Phil Baines’ method for keeping the markup simple when dealing with paragraph drop shadows. We are indebted to him. The most complained-about shortcoming of the technique turned out to

    CSS Drop Shadows II: Fuzzy Shadows
    lylyco
    lylyco 2009/01/05
    CSSでキレイなドロップシャドウを付ける方法
  • たぶん逆だよ増田 - finalventの日記

    2ちゃんねるやyoutubeやはてブを1週間やめてみる 棚に積んであるも大分読めるかもしれない たぶん、逆で、が面白くなればネットが減るよ。 ということは、積ん読はさておき、面白い、嫁よかな。 で。 面白い読んだら、これ、面白かったよと、ブログで書けばいいんじゃないの。増田じゃなくて。 で、反応はないかもしれないけど、あるかもしれない。 で、あったらそこからなんか違うネットライフ(死語)かもよ。

    たぶん逆だよ増田 - finalventの日記
    lylyco
    lylyco 2009/01/05
    すでに面白くもなくなったことをダラダラ続けてるうちに面白いことをし逃すってこともあるから、ネットがさほど面白いと思えなくなってるなら止めてみるのも一興かと。