明治政府の中枢で活躍した岩倉具視が、西南戦争の際に命令を出すのに使った暗号を書いた表など数万点の資料が、京都の私塾の跡から見つかりました。 専門家は、「国の重要文化財にも匹敵する貴重な資料も含まれ、今後、分析を進めたい」と話しています。 京都外国語大学の松田清教授が、江戸時代から明治時代にかけて今の京都市下京区にあった博物学の私塾「山本読書室」の跡にある土蔵を調べたところ、手紙や書など数万点の資料が保存されているのが見つかりました。 中には明治10年(西暦1877年)に、西郷隆盛が率いる士族と明治政府軍が戦った西南戦争で、政府の中枢にいた岩倉具視が敵に解読されないように命令を出すため、カタカナを変換するのに使った暗号を書いた表や、大久保利通と交わした書簡もあるということです。 また、1868年に、官軍に対し、攻撃をやめるよう求めた書状は、江戸幕府の最後の将軍、徳川慶喜の直筆とみられるという