イタリア・ベズビオ山の噴火で、ポンペイの町が火山灰と軽石に埋もれたのは西暦79年のことだった。住民の多くものみ込まれ、鋳型のようにがっしり固められた。時は流れ、今日まで200年以上にわたる発掘作業で、死者たちは石膏(せっこう)の姿でよみがえった。その姿はポンペイ遺跡の証人として世界に知られ、自然の脅威と人間の惨状を今日に伝えている。 しかし、石膏像が伝える人間の惨状は瞭然たるものの、いったい彼ら、彼女らはどんな風に生きていたのか? その生活実態はほとんどベールに包まれたままだ。ポンペイの人びとの死の形相ではなく、当時の生きた姿を探ろうと、科学者の一大チームがいま、検証作業に取り組んでいる。 チームは考古学者や遺跡修復の専門家、人類学者や放射線医、その他さまざまな専門家たちで構成される。9月、現地にCTスキャン(コンピューター断層撮影機器)まで完備した「野戦病院」のような施設を開設した。CT