(※最初にDDDに関する論の主戦軸を整理してみた(2020年版)をお読みください。こちらは同記事に対する追加となります。) 一旦振り返り(設計者は"神"な訳ではなく、せいぜい事業者の代理人だった) ただ、DDD本の「象のモデル」の話は、ちょっとミスリードを誘うと思っている。というのは、「象」は、各アクターが観察する以前に客観的(※「客観とは?」には立ち入らないが。。)に存在している。このことから、「象」という全体像は"自然"に存在する、全体像は各アクターの個別の要求を統合する過程で自ずと浮かび上がる、各アクターの個別のメンタルモデルは表層的なものであり、真に理解を深めることで"イデア的正解"たる全体像に到達できるという分析過程、を想起してしまう。 「象のモデル」による例は、「厨房とホールの連携」のようなケースでも、連携した姿は頑張れば分析的に見出せるはず、ということを言っているように受け取