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ブックマーク / suumo.jp (27)

  • “生きる“ことが見える限界集落、広島県・北広島町に移住してわかったこと - SUUMOタウン

    著: shuo(束元理恵) 広島県と島根県の県境をまたいでいる雲月山からの眺望 「過疎」「限界集落」そう言われる地域に5年間住んでいた。山の猟師に、憧れていたからだ。 21歳のとき、同じ広島県内の熊野町から北広島町に移住した。北広島町は広い。平成の大合併の時にもともと四つに分かれていた町を集めて、一つの町になった。私はその中でも広島県と島根県の県境、1番の豪雪地帯の「旧芸北町」に住んでいた。 最寄りのコンビニエンスストアまでは、片道車で30分。近くにあるのはホームセンター、個人商店、農協のスーパーばかり。車がないと生活ができない、他人の言葉を借りるといわゆる「不便」な場所らしい。私の家は携帯がよく圏外になったが、どれをとっても不便だと思ったことがなかった。 そんな私が北広島町に越してきてすぐに不思議に思ったのは、今でも住んでいる人たちは合併前の旧町の呼び名で呼ぶことだ。私の周りの人たちは、

    “生きる“ことが見える限界集落、広島県・北広島町に移住してわかったこと - SUUMOタウン
  • 夫の失踪からの離婚で、自宅を売却。心機一転で新居購入&自分の店を開くまで/福岡県Sさん - 【SUUMO】住まいの売却ガイド

    Sさんは、夫の失踪後に家族で暮らしていた福岡市の一戸建てを売却し、生活をリセットしたいといまは別の市に暮らしています。そんな家の売却・購入劇は、最初から波乱含み。途中、コロナ禍で売却活動が滞るうちに新居が完成し、一時はダブルローンになり負担が大きかったといいます。 不動産区分 一戸建て 所在地 福岡県福岡市東区 築年数 約9年 間取り・面積 5LDKK (延床面積…132m2、敷地面積…約228m2) ローン残高 約2500万円 査定価格 3200万円~4500万円 売り出し価格 4380万円 成約価格 3480万円 突然の夫の失踪。生活のリセットを希望するものの、名義人不在で売却活動は進められない状態に Sさんが売却した一戸建ては、福岡市東区に建てた築9年の注文住宅です。地盤がしっかりした斜面に立ち並ぶ住宅街にありました。見晴らしが良く、日当たりが抜群だったといいます。 「軽量鉄骨の5L

    夫の失踪からの離婚で、自宅を売却。心機一転で新居購入&自分の店を開くまで/福岡県Sさん - 【SUUMO】住まいの売却ガイド
  • 「無駄なこと」をする大切さに気付いた、わたしのマンション遍歴|藤原麻里菜 - マンションと暮せば by SUUMO

    「無駄づくり」と称した個性的な発明・工作で知られる藤原麻里菜さんに、初めての一人暮らしから現在までの住まい遍歴を振り返っていただきました。初めて住んだアパートでは、物件選びで失敗して早々に引越しを決意。その後別のマンション引越して制作に集中できる環境になったそうですが、仕事に没頭しながら暮らすなかで、あらためて「自分が当に大切にしたいもの」が見えたといいます。住まいと作業場の移り変わりに伴って、創作活動や自身にどんな変化や気付きがあったのかつづっていただきました。 一人暮らしのスタートは、中野のボロアパートだった 初めての一人暮らしに選んだ家は、中野にある2階建て、1Kのアパートだった。 当時のわたしには「東京での一人暮らしといえばボロボロのアパートだろ!」という固定観念みたいなものがあり、不動産屋さんに「とにかく趣のある家がいいです」という条件を出して見つけてもらったその家は、正面か

    「無駄なこと」をする大切さに気付いた、わたしのマンション遍歴|藤原麻里菜 - マンションと暮せば by SUUMO
  • 今の家を選んだのは、広くて床が固かったから? DPZ・林雄司さんの住まい選び - マンションと暮せば by SUUMO

    2013年から世田谷区経堂のマンションで暮らしているという「デイリーポータルZ」編集長の林雄司さんに、「住まい選び」へのこだわりについて伺いました。インターネットの黎明期から面白いコンテンツを発信し続けてきた林さんにとって、家は仕事のアイデアが生まれる場でもあります。 そんな林さんが今の部屋を選んだ理由は、生活スペースと夫婦の仕事場を兼ねる大きな部屋があること。や雑貨など、増え続けるモノが置けるスペースがあること。そして、「床が固い」こと? 独特の視点での住まい選びについて語っていただくとともに、コロナ禍の自粛期間でも生活を面白がる、林さんの日常についても伺いました。(取材はリモートで実施しました) 前の家を決めた理由は「管理人が江戸っ子だった」から? ――これまでのお住まいの遍歴を、ざっと教えていただけますか? 林雄司さん(以下、林):特に意識したわけではなかったんですけど、山手線の駅

    今の家を選んだのは、広くて床が固かったから? DPZ・林雄司さんの住まい選び - マンションと暮せば by SUUMO
  • 美大生のための伝説のアパート、DIYし放題で“住み継ぐ”

    美術大学(美大)や美術系学科のキャンパスが集まる東京都町田市。多摩美術大学、東京造形大学、東京工科大学などに通う多くの美大生が生活しているこの町に、約15年にわたり歴代の美大生らが住み継いできたアパートがある。DIYし放題で原状回復も不要という一風変わったこの物件では、どんな暮らしが営まれているのだろうか? 芸術を学ぶ学生を支えたい。元コーヒーショップ店主の思い 町田駅からJR横浜線で4駅。相原駅から歩くこと5分、黄色い外壁が特徴的な大きなアパートが現れた。ここが美大生の受け継ぐ“伝説のアパート”「アップル&サムシングエルス」だ。

    美大生のための伝説のアパート、DIYし放題で“住み継ぐ”
  • ミクシィで出会った犬と秋田が、僕の漫画家人生を変えた。(文・みずしな孝之) - SUUMOタウン

    著者:  みずしな孝之 秋田に縁がなかった僕が「いとしのムーコ」を描いたわけ 秋田に縁のない人生でした。 東京生まれ東京育ちで、親は長野出身。親戚がいるわけでもなく、修学旅行は奈良京都、好きな球団は横浜大洋。「北国へ旅行に行こうか」と思うことはあっても、一気に北海道まで飛んでしまう感じで。東北には興味はあっても、訪れる機会はほぼなかった秋田県。 なのに、みずしな孝之がなぜゆえ秋田を舞台とした漫画「いとしのムーコ」を描くことになったのか。それはもう、うちのアシスタントのフジイのおかげです。 2010年ころ、秋田県・大曲出身のフジイからこんな情報を聞きました。「知り合いに、秋田の山奥のガラス工房でガラス吹き職人をやっている人がいる」「そこで飼っている犬がむちゃくちゃ可愛くて、ミクシィもやってる」と。 「えっ! 犬がミクシィ!?」「なにそれ! 器用! おもしろい!」と、早速興味津々だったのですが

    ミクシィで出会った犬と秋田が、僕の漫画家人生を変えた。(文・みずしな孝之) - SUUMOタウン
  • 自転車乗りにとっての天国・神奈川県「橋本」に移住してアウトドアを楽しんだ3年間(文・篠さん) - SUUMOタウン

    著: 篠 明神三国峠。富士山バックの絶景が眺められます 皆さん、「橋駅」はご存じでしょうか。神奈川県相模原市緑区にあるJRと京王線が通る駅です。 突然ですが、私の趣味はロードバイクです。2014年ごろ、『弱虫ペダル』のアニメを観たのをきっかけに、約30万円ほどかけてフレームを購入するところからスタートしました。 最初は川沿いなどを中心にサイクリングしていましたが、徐々にヒルクライムやレースにも参加するようになり、昨年はロードバイクで千葉を24時間かけて一周(約520km)したり、灼熱の熊谷で行われるバーニングマンレースに参加し、まさかの男女ペアカテゴリーで優勝を果たしたり、今年で7年目を迎える今も現在進行系で自転車の魅力にのめり込んでいます。 そんな自転車沼にどっぷりと浸かっている自分にとって、天国とも言えるのが橋。最近は何かとリニア中央新幹線開通の話題で注目を集めることが多いのですが

    自転車乗りにとっての天国・神奈川県「橋本」に移住してアウトドアを楽しんだ3年間(文・篠さん) - SUUMOタウン
  • 能登半島先端の「珠洲(すず)」という名前にピンと来て、街を見る前から移住を決めて無事に四年目ってどういうことだ【いろんな街で捕まえて食べる】 - SUUMOタウン

    著: 玉置 標 2019年の秋、友人と能登半島の一番先にある珠洲市に遊びに行き、友人の親友宅にお邪魔した。彼は東京から縁もゆかりもなかった珠洲市に、特に目的も目標もなく移住して三年目なのだが、会社を起業して子どもも二人生まれて、とても順調に生活しているそうだ。 地方への移住を考えると、仕事はあるのだろうか、地元の人とうまくやれるだろうか、いくらでも不安になるのだが、彼に言わせると「挨拶をちゃんとしていればどうにかなる」らしいのだ。そんな訳ないだろう!ということで、移住四年目を迎えた彼に改めて話を聞いてみた。 「珠洲(すず)」という名前を聞いた瞬間に決めた東京からの移住友人の親友である北澤晋太郎さん(31歳)は、長野県長野市の出身。似ていると言われる有名人は、小栗旬、江口洋介、エレファントカシマシの宮浩次、ジャングルポケットの斉藤慎二、ハイキングウォーキングの鈴木Q太郎、長州小力など。そ

    能登半島先端の「珠洲(すず)」という名前にピンと来て、街を見る前から移住を決めて無事に四年目ってどういうことだ【いろんな街で捕まえて食べる】 - SUUMOタウン
  • ダチョウ肉の味とサスティナビリティ(持続可能性)に魅せられて、茨城県に牧場を立ち上げるまでの軌跡【いろんな街で捕まえて食べる】 - SUUMOタウン

    著: 玉置 標用としてのイメージがないダチョウだが、その可能性を信じてダチョウ肉を宣伝・流通させる会社を9年前に立ち上げ、ついには自らがダチョウ飼育のモデルケースとなるべく、茨城県筑西市で牧場を始めた知り合いに会ってきた。 その加藤貴之さん(33歳)の考えでは、ダチョウは環境負荷が少なく、サスティナブル(持続可能)な家畜であり、べて大変おいしいそうだ。そんなに都合がいい動物なら、すでにメジャーな存在となっていそうなものだが、現状ではワニ肉や大豆ミート、あるいは昆虫よりもマイナーかもしれない。 ダチョウの魅力とはどんなものか、そして生産と消費が拡大しないのはなぜか。可能性と問題点をじっくり聞かせてもらった。 ダチョウ肉の可能性に掛けて、ダチョウ専門のPR会社を設立私が加藤さんと知り合ったのは今から7年前。当時26歳の青年だった加藤さんとお会いしたとき、「ダチョウの肉を売る人だけあ

    ダチョウ肉の味とサスティナビリティ(持続可能性)に魅せられて、茨城県に牧場を立ち上げるまでの軌跡【いろんな街で捕まえて食べる】 - SUUMOタウン
  • 移住して14年のベテランリモートワーカーが思う「ちょうどいい田舎」兵庫県西脇市の話|伊藤淳一 - SUUMOタウン

    著: 伊藤淳一 僕が住んでいるのは「日のへそ」を自称する兵庫県西脇市だ*1。 東経135度、北緯35度が交差する日列島の中心に位置するこの町に、14年前僕は大阪から移住してきた。現在はフルリモートのITエンジニアとして働いている。 西脇市の自宅から見えたある日の虹 今回記事を執筆するにあたり「西脇市の魅力が伝わる話を書いてほしい」と編集部よりリクエストを受けたのだが、「これ!」というパンチの効いたトピックが出てこない。 いや、別に特産品や観光地がまったくないわけではないのだが、「西脇以外では手に入らないものか?」「筆舌に尽くしがたい絶景か?」などと自問してみると、「うーん、そういうわけでもないよな……」と思ってしまう。 このまま一人で考えていても、らちが明かないと確信したので、僕はに助けを求めることにした。西脇生まれ・西脇育ちのなら、きっと「西脇の魅力を伝える何か」を知っているに違

    移住して14年のベテランリモートワーカーが思う「ちょうどいい田舎」兵庫県西脇市の話|伊藤淳一 - SUUMOタウン
  • フレッシュ唐辛子の魅力に惚れ込んで、副業で唐辛子農家をする二重生活の苦労と魅力【いろんな街で捕まえて食べる】 - SUUMOタウン

    著: 玉置 標 心から熱中できる対象を見つけたとき、それを業にする道を選ぶか、あくまで趣味として手軽に楽しむか。一瞬でも迷ったことがある人は多いと思う。もちろんケースバイケースだし、明確な答えなどないのは当然だ。 これまでは業にすることを選んだ人から話を聞く機会が多かったが、今回は業か趣味かの二択ではない生き方の例として、大好きな唐辛子の栽培を「第二の人生」ならぬ「第二の仕事」とした人に、その体験談を伺った。 村山さんの運命を変えた、手違いで実ったハラペーニョ世界の唐辛子栽培というちょっと変わった兼業農家をしているのは、平日は東京都内にてITエンジニア仕事をフルタイムで勤務し、週末は作業着に着替えて群馬県の山奥で多種多様な唐辛子を育てている、村山晋作さん(47歳)だ。 村山さんの農園があるのは周辺には人が住まなくなった過疎地で、この地に移り住んできた母親と一緒に、約800坪の唐

    フレッシュ唐辛子の魅力に惚れ込んで、副業で唐辛子農家をする二重生活の苦労と魅力【いろんな街で捕まえて食べる】 - SUUMOタウン
  • 平屋の間取りが知りたい!平屋でおしゃれに住みたい!坪数別&LD別間取り実例集 - 住まいのお役立ち記事

    平屋と聞くと、昔ながらの日の家というイメージを持つ人もいるかもしれませんが、最近の平屋はとってもおしゃれで個性的。若者や子育てファミリーからも人気が集まっています。しかし、「1階部分しかない平屋だと、具体的にどんな間取りにすればいいかわからない」と悩んでいる人も多いようです。 今回は、ダイワハウスの清水智代(しみず・ちよ)さんと、住友林業の中野邦彦(なかの・くにひこ)さん、石河麻美(いしかわ・あさみ)さんに平屋住宅の特徴やおしゃれにするポイント、坪数別のオススメの間取り実例についてお話を伺いました。 「平屋」ってそもそも、どんな家?人気が集まる理由とは? 平屋とは「1階建ての家」のことです。すべての空間がワンフロアに収まり、上下移動の必要がありません。2階建ての家と比べると柔軟なつくりにすることが可能で、コの字型やロの字型にして庭をつくるケースも多いようです。 それでは、平屋に人気が集ま

    平屋の間取りが知りたい!平屋でおしゃれに住みたい!坪数別&LD別間取り実例集 - 住まいのお役立ち記事
  • 時間がまだらに積み重なる街、熱海 - 住んだことのない街に、一週間住んでみる -(寄稿:pha) - SUUMOタウン

    著: pha 「もしもし」 「はい」 「前に『SUUMOタウン』で、『住んだことのない街に、一週間住んでみる』って企画やったじゃないですか」 「千駄ヶ谷のやつですね」 「あれが好評だったのでまたやりませんか?」 「やります。人の金で行けるんだったらどこにでも行きます」 「どこか住んでみたいところはありますか」 「そうっすねー、海の近くに一度住んでみたかったんですよね。あと温泉があるといいな。温泉に入って海を眺めて毎日ぼーっと暮らしたい」 「じゃあ熱海とかどうですか。海も山も温泉もありますよ」 「いいですね」 そんな感じで、突然熱海に一週間住んでみることになったのだった。こんな仕事ばかりやって生きていきたい。 5月26日(日):男二人で花火を見る というわけで熱海に着いた。 「おう、久しぶり」 熱海駅の前で大学時代の友人のSと合流した。Sがたまたま熱海に旅行に来ているというので会うことになっ

    時間がまだらに積み重なる街、熱海 - 住んだことのない街に、一週間住んでみる -(寄稿:pha) - SUUMOタウン
  • ただの住宅地「新川崎」に住んでいたら、勝手に7年が経った(寄稿:やしお) - SUUMOタウン

    著: やしお 気付いたら新川崎に7年住んでいる。人生で7回引越しているが、居住年数の最長記録を更新している。でも「この街が大好きだから」長く住んでいるわけじゃない。 例えば、CoCo壱番屋に行くと「ロースカツカレー+チーズ」を毎回注文してしまうし、すき家に行くと「高菜明太マヨ牛丼の中盛」を毎回注文してしまう。メニューを開いて、期間限定の新メニューもチェックして、真剣に比較検討して「何が一番いいだろう」と考えた末に結局、また同じものを選んでしまう。 真剣に考えれば考えるほど、現状を追認しただけの選択をする。家選びにもそれと全く同じことが起きていて、新川崎に7年住んでいる。26歳で引越してきて、自動的に33歳になった。 2年ごとのアパートの更新が近づくたびに、引越しを真剣に考える。もう少し駅に近いほうがいい、もう少し防音のしっかりした部屋がいい、もう少し広い部屋がいい、もう少し景色のいい部屋が

    ただの住宅地「新川崎」に住んでいたら、勝手に7年が経った(寄稿:やしお) - SUUMOタウン
  • そうして僕は笹塚に助けられた - SUUMOタウン

    執筆: chocoxina 荷物はほとんど実家に置いてきた。 いちばん大きなリュック一つと、古物屋で買った1000円のトランク。その中にありったけの着替えと生活必需品を詰め込んだら、趣味のものが入る余地はほとんど残っていなかった。 不動産屋にもらった鍵で古びたドアを開け、風呂なしの6畳間にひととおりの荷物を放り投げる。ふう、とついたため息が部屋の寒さで白いかたまりになり、ほどなく隙間風にかき消された。 2月のある静かな夜、僕は笹塚に逃げてきた。 身一つの自分に、ディスカウントストアが優しい この場所に特別なこだわりがあるわけではなかった。 即入居可で、極力安い部屋があるところ。なるべく当時の仕事場から近く、交通費のかからないところ。実家の継母が年の離れた妹を口汚く怒鳴り散らす声や、僕の部屋の前を通るたびに発する悪態が聞こえないところ。家の不和をどうにもできない父が、僕に当たり散らしてこられ

    そうして僕は笹塚に助けられた - SUUMOタウン
  • デビューして「何者」かにならないと、石川に帰れないと思った――宮崎由加 #juicejuice - SUUMOタウン

    インタビューと文章: 榎並紀行(やじろべえ) 写真:関口佳代 華やかなスポットライトを浴びる女性アイドル。東京で夢をかなえた彼女たちは、どんな街に生まれ、どんな風景を見て育ったのでしょうか? 地元の街を出て上京したアイドルに「ふるさと」での日々、思いを聞くインタビュー企画。今回ご登場いただくのは、ハロー!プロジェクトに所属するアイドルグループ「Juice=Juice」のリーダー、宮崎由加さんです。 ◆◆◆ 宮崎さんは石川県出身。2012年の夏、18歳で上京するまで海辺の田舎町で暮らしました。どこまでも続く海岸線と夕焼けが印象的な、美しい街だったと振り返ります。 少女時代は東京に住むこと、ましてやアイドルになることなど想像すらせず、小さなその街でずっとのんびり暮らしていくものと考えていた宮崎さん。今も特別な思いを抱く、地元の魅力について語っていただきました。 田舎道を自転車で駆け回った幼少期

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  • ―本屋は世界に必要ないのか― 出版の街「神楽坂」で校閲として考えたこと - SUUMOタウン

    著:柳下恭平 バカじゃないのって僕は思った その日、2014年4月7日は月曜日で、僕はいつものように会社に行こうと神楽坂を歩いていた。 坂上の交差点から神楽坂を登れば、道はなだらかに伸びていて、六丁目の角でゆるやかに曲がっている。 毘沙門天の裏、そのさらに奥の北町に住んでいた僕は、牛込北町の交差点をそのまま上がらずに、坂上の交差点から通勤するのが好きだった(コーヒーも飲めるしね)。 少しだけ遠回りだけれど、その日の予定を考えながら歩くのにはちょうどいい。 一日を格的に始める前の、このちょっとした時間の隙間は、滑走路で暖機をとる双発の複葉機みたいだ。つまり、飛ぼうと思えばいつでも飛べるんだってこと。でも、僕はまだ飛ばない。 坂を歩く——頭の中で今日の会議とアポイントメントを積み木みたいに並べてみる——どうやら大きな問題はないみたい——能動的というよりは受動的な一日になりそうだ——今日は天気

    ―本屋は世界に必要ないのか― 出版の街「神楽坂」で校閲として考えたこと - SUUMOタウン
  • 台地と谷間が複雑に絡み合うスリバチの町「麻布十番」の“表”と“裏”を歩く(寄稿:東京スリバチ学会) - SUUMOタウン

    著: 皆川典久(東京スリバチ学会 会長) 麻布十番。 こんなにも都会的で東京っぽい響きをもった地名がほかにあるだろうか。群馬で過ごした幼少のころから憧れた地名のひとつだ。ところで麻布十番の地名は何を意味するのだろうか? 「麻布」は、当時周辺に住んでいた農民が、麻の布をつくっていたのが由来だとか。古文書では、阿佐布・浅生・浅府・麻生・阿佐婦など、さまざまな表記があり、「麻布」で定着しはじめたのは明暦元年ごろらしい。 「十番」は、現在も麻布十番を流れる「古川」の改修工事が江戸時代にあり、「10番目の工夫(こうふ)を出した地域」だったからとか、「10番目の工区」だったからとか、諸説ある。しかしこの改修工事自体、5代将軍・徳川綱吉の別邸建設工事ともいわれ定かではない。 そして麻布で忘れてはならないのが、都内では浅草寺に次ぐ古刹「善福寺」だ。住職の姓は麻布、山号も麻布山。麻布十番の町は善福寺の門前町

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  • 「浜松」で出会ったのは、夢を追いかけていたころの僕だった - SUUMOタウン

    著: 田中嘉人 「あんたなんかにできっこない。できるわけがない」 母親は、まるで口癖のように僕に言い続けた。 母親がそう言うのも致し方なかったように思う。高校時代の僕は、ただの落ちこぼれ。なまじ進学校へ入学してしまったばかりに勉強は全くついていけず、赤点を取り続けた。スポーツや芸術の才能もゼロ。母親は、さぞ不安だったと思う。 僕が格的に焦りを感じたのは、高校3年になってからだ。次々と難関大学への合格を決める友人たち。偏差値も足りなけりゃ、やりたいこともない。周囲との圧倒的な差を感じたまま、僕の高校生活は終わった。そして、当然のように浪人生活が始まった。 1年後、どうにか滑り込んだのが静岡県浜松市にある静岡文化芸術大学という小さな大学だった。 思い返すと、今僕がライターという道を歩むことになった原点がここにある。僕にとって浜松は、夢を語らせてくれた街だったのだ。 “遠州のからっ風”が心の隙

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  • 【俳優・大泉洋さん】北海道で30年、東京で10年過ごして、いま一番住みたい街とは? - SUUMOタウン

    インタビューと文章: 榎並紀行(やじろべえ) さまざまな方に「街」にまつわるエピソードについて伺うインタビュー企画。今回ご登場いただくのは2017年12月1日(金 ※映画の日)に、最新作「探偵はBARにいる3」の公開を控えている大泉洋さん。 北海道の人気タレントとして確固たる地位を築いていた大泉洋さんが、東京で暮らし始めたのは30歳を過ぎてから。俳優としての自分を磨くため、役者の仕事が集まる東京で勝負することを決めたといいます。それから10年。全国放送の連続ドラマや映画で経験を重ね、主演映画『探偵はBARにいる』(11)では第24回日刊スポーツ映画大賞・石原裕次郎賞、第35回日アカデミー賞優秀主演男優賞を受賞されました。 生まれ育った北海道での30年。俳優として大きな飛躍を果たした東京での10年。今では、どちらも大事なホームタウンになったと語る大泉さん。暮らして分かった東京の良さ、離れて

    【俳優・大泉洋さん】北海道で30年、東京で10年過ごして、いま一番住みたい街とは? - SUUMOタウン