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哲学に関するmadronのブックマーク (2)

  • 議論しない哲学者 ――ドゥルーズ+ガタリ『哲学とは何か』感想 - 鳥籠ノ砂

    ジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリ最後の共著であり、その思想の総決算とも呼ぶべき『哲学とは何か』(1991)は、タイトルが示すとおり、「そもそも、ドゥルーズとガタリは哲学をどのように捉えていたのか」について教えてくれる。一言で言うとすれば、彼らにとって哲学とは「概念(コンセプト)を創造すること」らしい。《こうして結局、かの問は、すなわち哲学についての問は、そこで概念と創造が互いに関係しあう特異点なのである》(23p)。ここで当然疑問に思うのは、ではその概念とはどのようなものか、ということだ。彼らの説明を順に追っていこう。 ひとつの概念とは、それ自体が概念となりうるような不可分の合成要素群から構成された「集積点」のようなものである。それは物体や身体ではないし、論理学的な命題でもないとドゥルーズ+ガタリは言う。彼らが挙げているデカルトのコギト、すなわち「我思う、ゆえに我あり」の例を見てみよ

    議論しない哲学者 ――ドゥルーズ+ガタリ『哲学とは何か』感想 - 鳥籠ノ砂
  • ■ - 偽日記@はてなブログ

    ●自分の背中や後頭部ごしに風景を見ながら歩く、という感じで散歩することは可能だろうか。 ●読んでいないけど、ジョルジュ・ペレックの『煙滅』という小説があって、それは「e」という文字を一度も使わずに書かれていて、その翻訳は「い段(いきしちに…)」を一度も使わずに訳されているそうだ。しかし、そのような、あからさまに実験的-挑発的なやり方ではなく、ひっそりと、ある一文字が使われないまま小説が書かれ、しかもその文字の回避は作者にとっても無意識に作動する抑圧としてなされ、作家にさえ意識されてもいなかったとき、その小説を読んで、特定の一文字の不在を感知することが出来るだろうか(実在しない文字が一つ追加された時は、その異物-過剰はすぐに感知されるだろうけど)。 いや、それはちがうか。そうではなく、その小説の「登場人物」が、その文字の不在に気づくことが出来るのだろうか。 あらかじめ、その基底にある一つの欠

    ■ - 偽日記@はてなブログ
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