2020年8月24日のブックマーク (4件)

  • 『ファイト・クラブ』 - THE★映画日記

    Fight Club (字幕版) メディア: Prime Video ジョセフ・ヒースの『反逆の神話』を読んでいるうちに観たくなったので、10年ぶりくらいに再視聴。 ヒースが指摘しているようにいまでは陳腐化したカウンターカルチャーの価値観が多少作品に反映されているので、100%ノることはできない。ただし、デビッド・フィンチャー自身がカウンターカルチャーにそんなに興味がないためか価値観を相対化して描いている風でもあり、エンタメとして普通に楽しめる出来栄えになっているのがいいところだ(というか、おそらく「価値観」全般に実のところあまり興味がないタイプの監督であるような気がする)。 「男の理想」な格好よさを体現する存在であるブラッド・ピット、そしていかにも不眠症になっていそうな神経質さやひ弱さを体現するエドワード・ノートンと、配役もこれ以上ない出来栄えだ。 作中におけるサブリミナル的な仕掛けや最

    『ファイト・クラブ』 - THE★映画日記
    maeda_a
    maeda_a 2020/08/24
    "それくらい、1999年に比べて2020年では「男性性」が問題視されて否定されているのであり、現代の監督が『ファイト・クラブ』を撮ろうとしたら男性性はとことん病理化して描かないと許されない"
  • 民主主義を貶め右翼を蔓延させるポストモダニズム - 道徳的動物日記

    ネットサーフィンをしていたら見つけた、ヘレン・プラックローズ(Helen Pluckrose)という人文学者による、『How French “Intellectuals” Ruined the West: Postmodernism and Its Impact, Explained(フランス知識人はいかにして西洋を台無しにしたか:ポストモダニズムとその影響を解明する)』という記事について、軽く紹介しよう*1。 areomagazine.com この記事の前半にて、著者のプラックローズは主にジャン=フランソワ・リオタール、ミシェル・フーコー、ジャック・デリダの思想について、説明しながらポストモダニズムの思想に含まれる特徴について論じている。上記の論者に共通して挙げられるのが「すべての知識や認識は相対的で等価なものであり、科学的認識が他よりも客観的な認識であるとはいえない」「科学的で客観的な

    民主主義を貶め右翼を蔓延させるポストモダニズム - 道徳的動物日記
    maeda_a
    maeda_a 2020/08/24
    "ポストモダニズムが科学や啓蒙を貶めたおかげで、右翼の主張が大手を振るうようになった"
  • ポストモダンの右と左 - 道徳的動物日記

    真実の終わり 作者:ミチコ・カクタニ 発売日: 2019/06/05 メディア: 単行 ようやく『真実の終わり』が図書館で借りれるようになったので、パラパラと読んでみた。内容としては大したことがなくて、HONZの書評にまとめられている以上のものはほとんど得られない。要するに、ポストモダニズム的な相対主義のためにフェイクニュースや知識に対する軽視がまかり通ってドナルド・トランプのような人間が大統領に選出されてしまった、というアメリカの現状を嘆くだ。 「ポストモダンの右傾化」という問題はミチコ・カクタニ以外の論者もよく指摘するものではある。このブログでも、フーコーとかデリダとかを批判しながら「ポストモダニズムが民主主義を毀損して右翼の増長を許したんだ」と主張する記事を紹介したことがある*1。 それとは別に、読んでいてわたしが思い出したのがジョセフ・ヒースの「『批判的』研究の問題」というエッ

    ポストモダンの右と左 - 道徳的動物日記
    maeda_a
    maeda_a 2020/08/24
    "一見すると…中立であったりする制度や事象のなかに潜む隠された意図や権力を見出すこと、それもナショナリズムであったりレイシズムであったりセクシズムであったり…こそが"文系"の勉強である、と思っていたフシ"
  • 覚え書き:ポストモダンの「ごにょごにょ規範主義」、サンドバッグとしてのネオリベラリズム(と優生思想) - 道徳的動物日記

    davitrice.hatenadiary.jp econ101.jp 先ほどの記事でジョセフ・ヒースの「『批判的』研究の問題」を取り上げたことなので、この記事から面白いところをいくつか引用しよう。 さっき言ったように,「批判的社会科学」の志は,たんに規範的な決意に導かれた社会科学をもたらすことだけではなくて,そういう規範的な決意を明示的にすることでもある.ぼくが読んだこの手のでいちばん大きな問題なのは,ほぼ例外なく,この後半部分〔明示化〕で失敗している点だ.著者たちは――ほんのひとにぎりの法学教授たちをのぞいて――規範的な論証をどう展開すればいいのかまるでわかっていなかった.それどころか,じぶんたちが採用しようとしている規範的な基準がどういうものなのかをはっきり述べるのを信じられないくらい忌避していた.その結果どうなるかといえば,まるまる一冊を費やして,「ネオリベラリズム」だなんだと

    覚え書き:ポストモダンの「ごにょごにょ規範主義」、サンドバッグとしてのネオリベラリズム(と優生思想) - 道徳的動物日記
    maeda_a
    maeda_a 2020/08/24
    “議論において、他人の主張に対して「内なる〇〇思想」や「内なる〇〇主義」を見出すことは禁じ手である。それを言い出したらなんだって言えてしまうし、議論というものが成立しなくなってしまうからだ”