安土桃山時代末期の天正18(1590)年、豊臣秀吉が関東の有力戦国大名・北条氏を滅ぼしたいわゆる「小田原征伐」の直後、秀吉が室町幕府将軍家の分家に当たる「関東足利氏」に送った書状が見つかった。北条氏亡き後、秀吉は東海地方で勢力を誇っていた徳川家康を関東に移封させたが、一方で分断状態にあった関東足利氏の統合に動いていた。室町幕府はすでになくなっていたが、家康を牽制(けんせい)するため「かつての権威」である足利氏を利用しようという意図があったことを示す、貴重な証拠といえそうだ。(橋本昌宗) かつての名家が“没落” 書状を展示している神奈川県立歴史博物館(横浜市中区)によると、書状は「豊臣秀吉朱印状(しゅいんじょう)」と呼ばれるもの。日付は天正18年7月17日で、秀吉から関東足利氏の末裔、足利頼淳(よりあつ、頼純=よりずみ=とも)に送られたものとされる。これまで書状の存在自体は知られていたが、現
![家康監視に足利氏を利用か 小田原落城後に出した秀吉の書状発見(1/3ページ)](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/b1fa2f130efdbfcca962caff73ecf0ddc2cd3ba9/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fwww.sankei.com%2Fresizer%2FK0ZzQb7EAf9VoEJqFT1q1iytp8U%3D%2F1200x630%2Fsmart%2Ffilters%3Aquality%2850%29%2Fcloudfront-ap-northeast-1.images.arcpublishing.com%2Fsankei%2FCYNXOQ7TXZP35JSBQ32ECLECRE.jpg)