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2020年12月2日のブックマーク (2件)

  • 「差別反対、みんな同じ」「差別反対、みんな違う」——文化多元主義の影の部分

    ツイッターで下記のようなツイートを見た。 人種差別、民族差別はされた者にしか分からないと思います。小学生時代をアメリカで過ごした私は差別されました。初めて奈良市役所に行った時「みんな同じ。差別はやめよう」というポスターがありました。違和感を覚えました。違うんです。みんな違うと認めるところから差別は無くなるんです。 赤松利市 @hZoImkE6gPbGnUs 午後1:27 · 2020年11月30日 私はこれを見てやや焦ってしまった。この標語は部落差別撤廃運動のためのものだからである。文化多元主義とは全くアスペクトが異なる。この差別においては、日の人々は特定の地区等に住む人を指して「あいつらは《違う》やつらである」とし、就職差別や通婚拒否などの差別的扱いをした。その撤廃運動のスローガンが「みんな同じ」なのである。 「みんな同じ。差別はやめよう」の類の標語と、「みんな違って、みんないい」の類

    「差別反対、みんな同じ」「差別反対、みんな違う」——文化多元主義の影の部分
    mahal
    mahal 2020/12/02
    「自分が重視する価値は、結果どういう不義の地雷を踏むか」の自覚が大事かな。アイデンティティ維持を重視するから貧者隔離の維持してしまうかもとか、涜神権を重視するから結果差別言説を正当化しちゃうかもとか。
  • 「瀧がもう一人いれば……」電気グルーヴ、言葉にできない二人の関係 | 朝日新聞デジタルマガジン&[and]

    63回。このインタビュー中に、石野卓球は、計63回「瀧」という言葉を発した。瀧とは相方のピエール瀧のこと。単純に計算すると、一時間のうち一分につき一回以上もその名前を口にしていることになる。 1989年に結成された電気グルーヴは、石野が高校時代に作った六人の固定メンバーを擁するバンド「人生」が前身となり、四人体制で発足。その後、メンバーを変えながら三人での活動が続くが、1999年の春からは石野とピエール瀧の二人体制に。約三年間の休止期間をはさみながら、2019年には三十周年(二人になって二十年)をむかえた。 人生の半分以上を共に生きてきた関係の原点は「友達」だが、石野いわく「ガワ(=関係性の意味)は後からついてきた」ものである。二人でいる、ということが常に先なのであって、その間柄につけられる名前や役回りには、プライベートでも仕事でもほとんど意味がない。相手に何かを期待するという概念すらない

    「瀧がもう一人いれば……」電気グルーヴ、言葉にできない二人の関係 | 朝日新聞デジタルマガジン&[and]
    mahal
    mahal 2020/12/02
    両方ともコカイン吸ってまうやろ…