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ブックマーク / lessor.hatenablog.com (5)

  • 「つながり原理主義」の帰結 - 泣きやむまで 泣くといい

    子どもたちの居場所が必要だ、と言われる。それを否定する人はあまりいない。 学校があって家庭があるだけではまだ足りないから、求められる。求めているのが子ども自身なのかどうかは、よくわからない。「僕に居場所を」と訴える子どもはあまりいないからだ。必要性を言うのは大人である。もちろん根拠がないはずはなく、少しばかり見聞きした成功体験も背景にあるのだろう。 居場所を作りたい、という大人たちの希望にどんな風が吹いているかと言えば、ずっと追い風だと思う。学校教育でも生涯学習でも地域福祉でも子どもの貧困支援でも「居場所」やそれに類するものがバックアップされるような施策がある。既存の社会資源やネットワークの中で解決されていない問題があるとき、新たな「居場所」は魔法の箱として期待を集めていく。トップダウンかつ縦割り行政の中でそれぞれ中途半端につけられた「居場所」関連予算は、何ら新奇性を示せることなく、既存事

    「つながり原理主義」の帰結 - 泣きやむまで 泣くといい
    mahal
    mahal 2016/02/03
    子供側が「学校や家庭以外の場所が必要ない」と思ってるならそれはある種の合成の誤謬だと思うけど、それを解くための包括的な戦略がないと、なかなか上手く行かないものかも。
  • 「ちょうどいい責任」だけを背負えない社会で - 泣きやむまで 泣くといい

    自閉症連続体の時代 作者: 立岩真也出版社/メーカー: みすず書房発売日: 2014/08/26メディア: 単行この商品を含むブログ (6件) を見る 一読した後に「自分にとってはそれほどインパクトのある内容ではない」と思ったのだが、いくつかのニュースと世間の反応を見て、やはり意義があるなのだと思いなおした。けっこう時間が経ってしまったのでタイムリーとは言えないけれど、書き留めておきたい。 もう数週間前のことになるだろうか。視覚障害をもつ高校生が白杖につまづいた中年男性に蹴られる事件が起きた。世間の反応は「なんてひどいことを」であった。少しして「蹴られる方にも非がある」という声があがりはじめた。すぐにそのような声に対する批判もまた巻き起こった。 そこに、どうやら犯人がわかった、という報道がなされる。知的障害の男性だったと言う。そして、その後の報道はあまりなされなくなったような印象もある

    「ちょうどいい責任」だけを背負えない社会で - 泣きやむまで 泣くといい
    mahal
    mahal 2014/09/30
    何つーか、障害という名を付けられると色々と妙な政治的ポジションの依代になってしまう風潮からまずどうにかしたいが、そういう呪術的な感情こそが世の人を遍く引っ張る重力の井戸ではあるのだろうか。
  • 子どもにとって集団ってそんなによいものだろうか。 - 泣きやむまで 泣くといい

    公園で子どもたちと全力の鬼ごっこをする。もちろん仕事で。 もう何年も続けてきているのだが、自分が主に関わっているのは特定の支援が必要な子どもである。年月が経つにつれて、周囲の環境は変わる。特に「お友だち」の顔ぶれは変わっていく。 公園でいっしょに遊んでいる子どもたちの中に「発達の気になる子」は他にもいて、うまくいけばみんなが正しく人との関わり方を学べる場になる反面、下手をすると互いに傷つけたり傷つけられたりするコミュニケーションが加速していく。 低学年のうちは同級生の集団でうまいぐあいにやれていたが、多くの子どもは年齢があがってくると公園では遊ばなくなる。自分の印象では、年齢があがってきたのに公園で遊び続けている子どもの中に「気になる子」は多い。発達の凸凹が見られることもあるし、家庭環境の問題が垣間見えることもある。 「気になる高学年」と「その他たくさんの低学年」が交わるようになってきたの

    子どもにとって集団ってそんなによいものだろうか。 - 泣きやむまで 泣くといい
    mahal
    mahal 2014/04/09
    この辺りの成功体験を積み重ねて「空気を読まないリーダー」としての資質を育み、自身の「おかしさ」が可視化されない状態で社会的に成功する(そして社会にある種の歪みをもたらす)人間ってのも出たりすんのかな。
  • 「リード」をつけられて歩く子どもをはじめて見た - 泣きやむまで 泣くといい

    先週末のことである。これまで子どもと関わる仕事を続けてきて、街なかでも子どもの姿にはよく注意を向けてきたつもりだったが、「リード」をつけられて歩く子どもをはじめて見た。 リードとか「ハーネス」とか言うらしい。Amazonで調べてみると、幼児用にけっこうたくさんの商品が出てくるから、需要は高いのだろう。「迷子ひも」なんて呼び名もあるようだ。リュックサックにヒモがついたようなものもある。自分が見たのは、リュックなどがついていないために、もう当に「ヒモでつながれている」感じが目立つものだった。ヒモ部分も1メートルぐらいはあり、親子の身長差を補うというレベルでもない。 そのようなものを使うことがあるらしい、と聞いたことはあった。ネット上で調べると、実際に活用している親によるコメントも簡単に見つけられた。その内容はと言えば、想像通りで、「虐待だと説教された」「嫌味を言われた」など、周囲から否定的に

    「リード」をつけられて歩く子どもをはじめて見た - 泣きやむまで 泣くといい
    mahal
    mahal 2013/06/05
    人混みでのセキュリティとしては多分あれが最強。/うちだと、手を繋ぐ習慣出来る前は、荷物部分が小ポケット程度のダミーなリュックの吊り手持って歩かせてた。見た目的にはこっちのが気を遣わないってことで。
  • やはりゼロだった - 泣きやむまで 泣くといい

    おととい書いた記事に少しブックマークがついたので、他地域のこととはいえ、府知事選挙と市長選挙における「維新」のマニフェストを確認してみた。 その結果、「障害児・障害者」についての言及は、 府知事選挙マニフェスト:ゼロ 市長選挙マニフェスト:ゼロ であった。まあ、腹は立つがこのぐらいは予想どおりである。対立候補のものと比較するエネルギーはないので、今さらでも気持ちのある方がいれば誰かやってほしい。 ただ、より重大に思えることとして、府知事選挙のマニフェストのほうにはそもそも「福祉」への言及自体が一行もなかった。さらに「子どもの笑顔」をマニフェストの表紙の一番に書きながら、「子ども」について触れているのは例の「教育改革」のみで、他の部分には「子ども」の3文字すら一度も登場なかった。率直に言って、びっくりした。 市長選マニフェストのほうは「市民サービス」の中に「子育て支援」や「福祉」があり、その

    やはりゼロだった - 泣きやむまで 泣くといい
    mahal
    mahal 2011/12/01
    動機なんて考えても詮無い気はするかな>id:Outfielder氏。それ分かったところで、ハシシタさんを止められるとも、第二第三のハシシタさんの出現を防げるとも思われんですし。
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