離れ小島──。なんとも心を揺さぶる言葉だ。同じ日本国内にありながら、特有の歴史と生物相を持つ場所。ただし一部の観光地をのぞけば、よほどの事情がない限り行く機会がない。 「文春オンライン」編集部では、そんな日本国内の離島にルポライターの安田峰俊氏を派遣。現地をルポしてもらうことにした。まず最初の訪問地に選んだのは、沖縄県内でも最辺境に位置する元「社有島」、南大東島だ。(全2回の2回目/前編から続く)
思わずそんな感想を抱いてしまった。レンタルした原付にまたがり、サトウキビ畑をつらぬく道路を走り続けて数キロ。1人も村人に会わず、1台の対向車ともすれ違わない。建物もほとんど見かけず、道路がアスファルトで舗装されているのがかえって不思議なほどだ。冗談抜きで、文明崩壊後の社会に1人だけで放り出されたような気になってくる。 空気がすこし不穏である。数百キロ南方のフィリピン海上で台風が発達しているらしいのだ。強風のせいで、晴れているのにちょっと肌寒い。しかもいっそう不穏なのは、路上に点々と黒い肉片が落ちていることだった。これらはすべて体長7~10センチくらいのヒキガエルの死体であり、路面に顔を近づけるとかすかに屍臭を感じる。 島の路上に点々と散らばる黒いシミはすべてヒキガエルの死体。たいへんな場所に来てしまったような……。 死体は乾燥してミイラ化したものと、轢死して腐っているものがあった。人間が引
ライオンの頭を無防備になで、ワニの口に笑顔で頭を入れる。ライオンに右手の中指を食べられてもまったく懲りる気配すらない。“動物愛”という枠を大きくはみ出した畑さんの生き方は日本中を魅了した。1980年に始まった「ムツゴロウとゆかいな仲間たち」はあっという間に人気番組になり、平均視聴率は20%に迫った。 しかしTVシリーズは2001年に終了し、2000年代後半には北海道の中標津から東京のあきる野市に移転した「ムツゴロウ動物王国」も閉園。3億円とも言われる巨大な借金を抱えたが、それもあふれるバイタリティで完済し、現在は40年前に移り住んだ北海道の中標津にある大自然に囲まれたログハウスで生活している。
先日、選挙ドットコムという媒体の動画企画で論客の西田亮介さんとご一緒する機会があり、その席で「おい、一郎。情報通信白書読んだか。ついに新聞を読んでる10代がゼロになったぞ」と教えてもらったんですよ。 見物にいったら、やっぱり新聞を読んでいる10代はほぼゼロになっていました。 政治や社会問題の争点が遠い世界のことに これは大変なことだと思うんですよね。 総務省:情報通信白書令和2年版 https://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/r02/html/nd252510.html 何が大変だって、新聞やラジオに親しんできた60代から80代以上の世代と、これから日本社会を担う10代の若者たちの間では、当たり前のことですが「どの媒体から情報を得て、何に信頼を置くのか」がまったく異なるようになってしまうということですよ。 ある調査では、年代別
「圭吾ってそんなキャラだっけ」和光学園同級生が「いじめ告白インタビュー」に抱いた“違和感” 検証ルポ「小山田圭吾事件」 #2 ※連載第1回(「コーネリアス」にも「渋谷系」にも興味がない私が小山田圭吾にインタビューした理由)を読む 「ブギー・バックマンション」で 東京の世田谷、目黒を抜けて、東京タワーへと続く一本の都道がある。数年前まで、私はこの通り沿いの年季の入ったマンションの一室に居を構えていた。部屋は40平米ほどのワンルーム。窓の向こうに、すっくとそそり立つ東京タワーを眺めることができた。 マンションの古参の住人から、私の部屋にかつて大物ミュージシャンOが住んでいたという話を聞いたのは、引っ越して間もなくのことだった。そのミュージシャンこそ小山田圭吾氏と「フリッパーズ・ギター」というユニットを組んでいた「オザケン」こと小沢健二氏だった。小沢氏のセカンドアルバム「LIFE」。1994年発
「メニューの表記と違う食材を使用していたのは事実です。開店当初は表示通りの食材を使用していたのですが、仕入れ先の卸業者を変更したりする中で、店主の私がそのズレを把握できておらず、開店当初のメニューを使用し続けていました。大変申し訳ありません」 ――いつ頃から表示と違う食材が使われていたのでしょうか。 「海老や牛肉など食材によって時期は違うのですが、一番古いものでは2019年8月からメニュー表示と異なる食材を使っていたことがわかりました。私自身が複数の店舗の経営で忙しくなってしまい、現場の従業員との情報交換が十分にできず、把握することができなかったという状況です」 「麺匠 八雲」で使われていたインドネシア産の海老。メニューでは「国産のみ」と表示されていた 「海老ともやしに加えて、牛もつ、豚肉…」 ――故意ではなく記載ミスということですが、お客さんから見ればいわゆる“産地偽装”になります。責任
『ロッキング・オン・ジャパン』等、複数の雑誌で小山田圭吾氏が過去の障害者いじめを語り、東京五輪開会式の演出チームを辞任した問題は広く報道された。その際に、彼個人よりも、背景にある障害児教育の問題に目を向けていたのが野口晃菜博士だ。 インクルーシブ教育の専門家として各種委員を務めるほか、学校・自治体・民間企業などと連携して共同研究、仕組み作り、助言等を行っている野口氏は「ダンピング(投げ捨て)」という問題が障害児へのいじめの背景にある可能性を指摘する。重度脳性麻痺と発達障害を持つライターのダブル手帳(@double_techou)が野口氏に「ダンピング」について伺った。 「ただ一緒にいるだけでわかりあえる」は幻想だ ——ダンピングとは何ですか。 野口晃菜博士(以下、野口) ダンピングを説明するために、まず「インクルーシブ教育」の説明をしますね。 これは日本だと単に「障害のある子とない子が同じ
「7月22日から事件当日までは、仕事で借りている大阪の家にほとんどいました。すぐに帰る予定だったのですが帰れない日が続き、長男にある程度のお金は渡していたのですが心配になり、7月30日には近所の知り合いに頼んで様子を見てもらいました。お金が足りなかったら渡してほしいと頼んだら、1000円だけ渡してくれたそうです。ご飯も作り置きはしていましたが、長男に頼りすぎていたのかもしれません」 5度の結婚、4人の子供 ――Mちゃんが倒れていた公園にはよく行っていたのですか? 「家から一番近かったので、よく行っていました。Mは他の子がたくさんいると、恥ずかしがって遊具で遊ばなかったので、行くときはいつも長男と私と一緒でした。ジャングルジムは『落ちたら危ないから絶対に登ったらダメ』と言っていました」 Mちゃんが倒れていたジャングルジム Ⓒ文藝春秋 ――Mちゃんには17歳の長男の他にも兄弟がいると聞きました
開会式の作曲担当を辞任した後は、関わってきた番組が放送を見合わせたり、楽曲の差し替えが次々と決定。8月にはフジロックフェスティバルの参加を見合わせるなど、表舞台から姿を消している。 9月上旬、小山田氏は取材場所に黒のパンツに白の半袖シャツ姿で現れた。精神的に追い詰められ、7キロほど痩せたという。小山田氏が言う。 「今回の騒動について、どこかのタイミングで、自分から説明をすべきだと考えていました。また改めて謝罪の思いも伝えたかった。ただオリンピック・パラリンピックには、僕のことで迷惑をおかけした関係者の方が大勢いらっしゃいます。話をするにしても、全ての行事が終了したタイミングにしたいと考えていました」 取材時は憔悴した様子だった ©文藝春秋 騒動の発端は開会式の9日前、7月14日に組織委員会が演出チームのメンバーを発表したこと。その一員に小山田氏の名前もあった。だがその直後、過去の雑誌のイン
定まらない、川の呼び名 「神田川支流」は京王線代田橋駅付近を源流とし、西新宿5丁目で神田川に注いでいた4kmほどの川で、いくつかの支流も含めて1960年代後半に暗渠化されている。昔から定まった呼び名がなく、流域の大部分を占める渋谷区では「神田川支流」という味気ない名称で管理されてきた。神田川の支流は他にもいくつもあるが、渋谷区内にはこの川しかなかったためだろう。 近年では、戦前の「中野区史」の挿図を典拠として「和泉川」と呼ばれることも多い。ただ、和泉はいくつかある源流の一つの地名にすぎず、おそらく便宜的に記されたのだろう。 一方、大正期の東京市の資料などでは「幡ヶ谷分水」と呼ばれている。これは上流で玉川上水から水を引き入れ、流域であるかつての幡ヶ谷村の水田に利用していたためだ。川のほとんどの区間は幡ヶ谷を流れているから、こちらの方が適切に思える。 なお、下流部の新宿区内の区間は砂利場川とも
【現場写真入手】五輪組織委の医療物資廃棄 スタッフの告発「譲渡を提案したのに…」 TOKYO 2020 未使用医療物資は語る 8月31日に東京五輪・パラリンピック組織委員会が発表した、未使用の医療物資の廃棄問題。実は「週刊文春」はこれに先駆けて現場写真を入手しており、8月30日にスタッフの証言をもとに組織委員会に事実関係を確認する取材を行っていたが、期限までに回答はなかった。 ところが、翌31日になって山下聡・大会運営局長が突如「会場撤収の過程で判明した」と発表。組織委員会によると、廃棄が行われたのは9会場。マスク3万3000枚、消毒液380本、ガウン3420枚を廃棄し、金額はトータルで500万円に上るという。山下氏は「あってはならないこと。謝罪申し上げます。組織委員会として大変申し訳ないことをした。再発防止に努めていく」と謝罪した。 だが、小誌に告発した医療スタッフによると、この廃棄は意
「主文。被告人を懲役2年に処する」 黒の短髪にスーツを着たやや小柄の男が、下を向いて裁判長の話を聞いている。首と手にはタトゥーを覆うようにベージュ色のテーピング。一見しても、この男がHIPHOP界を騒がせたプロデューサーであるMURVSAKI(ムラサキ)とは誰も気がつかないだろう――。 「文春オンライン」の取材で、MURVSAKIこと村上恭平受刑囚(32)が2020年11月29日に監護者わいせつ罪の容疑で名古屋市内で逮捕されていたことが分かった。村上被告は、後に児童買春、児童ポルノに係る行為等の規制及び処罰並びに児童の保護等に関する法律違反、東京都青少年の健全な育成に関する条例違反でも追起訴された。2021年3月4日から公判が始まり、同年6月10日に懲役2年の実刑判決を受けた。現在は刑務所で服役中だ。
元モーニング娘。の後藤真希を姉に持ち、自身もダンスボーカルユニットEE JUMPのメンバーとしてヒット曲「おっととっと夏だぜ!」を放った後藤祐樹(35)。 EE JUMP時代に不祥事を重ねて、デビュー2年目で引退。2007年には銅線窃盗事件で逮捕という、思わぬ形で再び世間の注目を浴びることに。 5年6ヶ月の刑期を終えてから9年。現在は千葉県八街市に引っ越し、再婚した妻や愛犬たちと暮らしているという。短い活動期間中に大きなインパクトを残した彼に、わずか10歳で経験した父との死別、非行に走った中学時代、姉の国民的アイドルグループ入りなどについて聞いた。(#1〜#3の#1/#2を読む) ◆ ◆ ◆ ーー八街市には初めて来ましたが、のどかで素敵な場所ですね。 後藤 そうなんです。自然が豊かで、ワンちゃんたちにとってもすごく環境が良くて。 ーー愛犬はピットブル5匹。もともとピットブルがお好きなんです
総理大臣の菅義偉さんが、個人の意地もあってか東京オリンピック・パラリンピックの開催を強行しましてね。正直、私もどうせなら五輪はもう1年延期したらと考えていたクチで、国民の健康を考えたら何してんだよと思いますが、いろいろ批判もありつつも相応の感染症対策はしますと宣言したうえで開催決行してしまいました。 読者の皆さんも、さまざまご意見あると思うんですよね。 人流を減らさなければ感染は広がる とにかく人流を減らさないと東京など首都圏はもちろん、近畿圏、福岡、沖縄、北海道に愛知も感染者数は減らず、高熱を出しても病院にも入れずに自宅待機になり、大変な思いをする国民の数は増えてしまいます。国民には「帰省しないでね」とお願いする一方で、オリンピックのような商業的大運動会を催して良いのか、我が国の政治は国民の健康よりも五輪開催を取ったと思われたら、国民もだんだん政府の言うことをきかなくなるんじゃないかと危
◆◆◆ ――今日はお時間いただきありがとうございます。オリンピックの主役はアスリートではなく観光客だったという指摘にはハッとしました。 マライ こちらこそありがとうございます。私自身はそれほど特別なことを言ったつもりはなかったので、反響に驚いています。ただ東京オリンピックって合計で4兆円くらいかかっていて、いくらなんでもアスリートだけのためにそんな額を出せるわけはないんですよね。だから何かプラスアルファの理由があるはずで、日本の場合はそれが「世界的な観光大国になるためのブースターとしてのオリンピック」なんだろうと自然に思っていました。 観光客が東京で遊んでくれれば… ――そのブースターの中心が、大会期間中に東京を訪れる大勢の観光客だったんですね。 マライ そうですね。私は千代田区や千葉市などのインバウンド政策のお手伝いもしていて、日本の交通機関や飲食店が海外から観光客を迎え入れるために何年
愛新覚羅氏をご存知だろうか? かつて中国大陸を支配していた「清」という王朝の皇帝の一族である。 もともと、現在の北朝鮮の国境とほど近い地域(現在の撫順市と通化市の間あたり)を拠点とした満洲族(女真族)の首長・ヌルハチがご先祖だ。ヌルハチは1616年に即位し、次代のホンタイジが国号を「大清」に改め、3代目の順治帝の時代に中国本土に進出。やがて康煕帝・雍正帝・乾隆帝の3賢帝の時代に極盛期を迎えた。現在の中華人民共和国の領域も、外モンゴルと台湾を除けばほぼ清朝の範囲を継承している。 清朝は1840年のアヘン戦争を境に衰退し、1911年の辛亥革命で滅びた。ただ、最後の皇帝・溥儀はやがて日本の関東軍に利用されて傀儡国家の満洲国の皇帝として即位、戦後は収容所を経て、最後は一般市民として北京市内で没する。このあたりの話は、映画『ラストエンペラー』や、溥儀の弟の溥傑に嫁いだ日本人・浩の自伝『流転の王妃』な
幻の“MIKIKOチーム版”五輪開会式を完全再現!【電子版オリジナル】 もし実現していたら、どうなっていたのか。小誌が入手した写真と資料で再現してみると…… 8月8日に閉幕を迎える東京五輪。小誌はかねてより、その最大のセレモニーである開会式をめぐる混乱ぶりを報じてきた。混乱の原因は昨年5月、演出振付家・MIKIKO氏が演出責任者の座を突如奪われたこと。MIKIKO氏に代わって責任者の座に就いた電通出身のCMクリエイター・佐々木宏氏は、既に完成していたMIKIKO氏の企画案を無残に切り刻み、作り替えた。しかしその佐々木氏も今年3月、小誌に渡辺直美をブタに喩える不適切な企画案を提案したことを報じられ、辞任に追い込まれた。 小誌はMIKIKOチームが完成させた“幻の企画案”を入手し、その内容を報じてきた。昨年4月6日付で、IOCにプレゼンをするために作られたものだ。MIKIKO氏はこの企画案の完
保護者会が行われたのは7月31日の夜のこと。事故当日は、園長がバスから園児全員を降ろしたか確認せずドアに鍵をかけたこと、出欠確認のカードを回収していなかったことなど園側に問題があったことが判明。そこで約80人もの保護者が保育園に集まり、園長が経緯の説明を行った。 会が始まると、不可解な説明に業を煮やした保護者たちは徐々にヒートアップしていく。 園長に対し、「全部(の確認)が出来ていない事ってあります?」「何で気付かないんですか?」などと詰問を続ける。 それに対して、園長は「(確認を)普段からしていないことはない」「噓ではないんです」「冬生くんがいないことは担任は気付いていた」などと弁解をする。 亡くなった倉掛冬生くん 園長と保護者とのやり取りの中で、過去の“閉じ込め”事案についても言及があった。子供を叱る際に、園の倉庫に閉じ込めていたことに対して、複数の親から「ウチもあった」「私の子供も」
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