事件の経緯 阿佐吉廣は、1994年頃までに山梨県で「麻企画」を設立し、東京や大阪から集めた浮浪者を寮に住まわせ、山梨県内の工事現場に作業員として派遣する人材派遣業を始めた。 人材派遣業というと聞こえはいいが、麻企画のやり方は ”ヤミ手配” というもので、日給8000円で募集しておきながら、寮費・食費などで7000円を違法に天引きし、1日働いても1000円にしかならなかった。 その1000円さえも支払われないことがあり、いくら働いても大阪に帰る交通費さえ貯まらず、近所の民家に助けを求めて逃げ込む作業員が、後を絶たなかったという。 寮も、6畳部屋に4人も詰め込まれる過酷な環境だった。 反抗的な作業員を撲殺 1997年3月頃、雇っていた作業員Aが、寮でナイフを持って暴れる騒ぎを起こした。騒ぎが大きくなれば警察沙汰になり、仕事に支障が出ると考えた社長の阿佐吉廣(当時47歳)は、作業員Aに対して説教