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ブックマーク / d.hatena.ne.jp/zoot32 (8)

  • とりあえずやってるうちにできるようになる - 空中キャンプ

    デジタルカメラが普及してから、カメラを趣味にしている人たちの腕前、その全体的なレベルが一気に向上したという話を聞いたことがある。撮った後、すぐに結果を確認できること、デジタルデータなので無制限に撮れるため、たくさんの写真を気がねなく撮っていくらでも練習できることなどがその理由らしい。なるほど。 わたしはこうした「とりあえずやってるうちにできるようになる」といったたぐいの話がすきだ。前準備とか、研修とか、事前の慎重な検討といったことよりは、考え込まずにひとまず現場にでてあれこれやってみる、という姿勢がすきなのだ。もちろん現実はそれほど単純ではなく、トレーニングは重要だし、現場で学んだことをフィードバックさせて、もう一度あらためて学習しなおす必要だってあるのだけれど、なにがともあれいったん経験してみる、というのはけっこうたのしいとおもう。 わたしは友人に美容師が何人かいるのだが、彼らの話を聞く

  • あたらしい婚活 - 空中キャンプ

    トルーマン・カポーティの小説に、死んだの墓参りのために墓地を訪れた男性が、ふとしたきっかけから、たまたまその墓地にいた女性と会話になるという短編がある。墓地で見知らぬ女性から声をかけられるという状況にとまどう男性。作品を読み進めると、それは「を早くに亡くし、お墓参りにきている独身男性」をターゲットに声をかけ、結婚へ持ち込むべく婚活中の女性であった……ということがわかる。 これは、自分の目標に向かってターゲットをいさぎよく絞りこんだ、なかなかいいアイデアではないかとわたしはおもった。自分がなにを求めているかがはっきりしていなければ、こうした行動は起こせない。墓地という場所の選択にも意外性があっていい。短編では、女性のほんとうの意図があからさまになってしまい、婚活は失敗するのだが、こうしたアイデアはさまざまな場面で活用できるのではないだろうか。 弁護士を狙うなら、裁判所の近くにある定屋さ

    makou
    makou 2009/04/11
    「寡夫.com」。カッコ良すぎる。
  • その子は僕のものだ - 空中キャンプ

    makou
    makou 2008/12/12
  • デリカシー - 空中キャンプ

    なにしろデリカシーはたいせつである。この世の中、なにがいやって、デリカシーのないやつだとおもわれるのは、いちばんいやだ。よってわたしも、「デリカシーだいすき!」「はい、デリカシーいっちょう」という殊勝な気持ちで日々をすごしていくようにしているし、あらためて世間を見回してみても、むしろデリカシーのない人を見つける方がむずかしいとすらいえる。触れてはいけない話題、そっとしてあげた方がいいこと。そうしたイシューには、きめこまやかなデリカシーを持って臨む。それがきちんとしたオトナというものだ。 たとえば、あなたの職場にゾンビの新入社員が配属されたとする。そこでデリカシーのない人は、ゾンビへのあいさつもそこそこに、「あの、からだのいろんなとこから、膿がでちゃってますけど」とか、「男性の人肉と女性の人肉って、やっぱり味が違うものなんですかね?」等のくだらない質問をしてしまう。あー。これでは、いくらゾン

    makou
    makou 2007/11/09
  • 空中キャンプ - 2007-09-07 とりあえずなにか言ってみる

    いぜん通訳の学校にかよっていたとき、もちろん学期の最後には評価があるんだけれど、評価の項目のひとつに、「自信」(Confidence)という欄があって、これはおもしろいなとおもっていた。どれほど文法的に正しくても、発音がきれいでも、びくびくしながら話していては評価が下がるのである。逆に、時制も構文もめちゃくちゃで、発音もひどいんだけど、いったんディスカッションがはじまると、マーティン・ルーサー・キングばりの演説をぶち上げるタフな女の子とかいて、彼女はけっこう高評価だった。わたしは、どうにか Confidence のスコアを上げようと、すこしテンポを落としてゆったりと話すようにしたり、語尾に I think(…とおもうんです僕) とか I guess(たぶんですけども)とかつけるクセをなくすように工夫していた。このあたり、努力や学習というよりは、ほんらいの性格とか度胸の問題になってきて、いま

  • http://d.hatena.ne.jp/zoot32/20070724

  • 空中キャンプ - なんとなく働くという知恵

    25歳までふらふら遊んでいた、ともだちの女の子が、ついに就職することを決め、職探しをしているところだという。彼女の話をいろいろと聞いていると、とても興味ぶかく、社会経験のあまりない子たちが、「就職をする」ということをどうとらえているのか、わずかだが、わたしなりに気がつくことがあった。 何社か履歴書を送った、というので、会社名を教えてもらうと、「COACH、プラダ、エスティーローダ」。その子にとって、就職がどういうものなのか、会社名だけでもなんとなくわかる。そういった、きらびやかな会社に入ることが、彼女にとっての自己実現であり、それ以外のよくわからない仕事をするのは、単なる苦役のようなものであるらしい。うーん。気持ちはわかるのだが、働くということに対するイメージが、すこし貧しいように感じた。世の中にはたくさんの仕事があって、どれもがそれなりにおもしろい。どんな仕事だって、やってみればけっこう

    makou
    makou 2007/03/23
    「世の中の人たちがみんな、すきなことを仕事にしていたら、成立しないからね。社会は。」 参考:弾さん「志まで雇われたいの?」
  • 空中キャンプ-音楽があまり重要ではなくなってしまった

    三十代になっても、音楽がなによりすき、という人がうらやましくてたまらない。かっこいいなあ、とおもう。わたしは、そういうおとなを目指しながら、いつしか挫折してしまった。日常的に、音楽をあまり聴かなくなった。音楽を聴いて、ふるえるような感動をすることがなくなった。そして、生活の中で、音楽があまり重要ではなくなってしまった。こんな自分がなさけない。十四歳のわたしがそれを知ったら、さぞやがっかりするだろうなあ。いったい、いつからこうなってしまったのだろう。せっかく買ったiPodには、NHK「フランス語講座」のテキストCDしか入っていない。しかし、三十代で、あるていど音楽から遠ざかってしまっている人なら、わかってもらえるのではないか。十代、二十代の頃とおなじように音楽と接することは、もうできないという感覚が。 感受性が鈍ってきているのだという自覚がある。わたしも以前は、もっと繊細でするどい感受性があ

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