風俗行ったら人生変わった 2 Tweet カテゴリ☆☆☆☆☆ 前スレ:http://hamusoku.com/archives/6300858.html 45:遼太郎 ◆wS2fCa8rNY :2011/10/25(火) 23:01:07.00ID:0kPk05Q00 晋「本当かどうかが、絶対に分かるわけではないです。」 俺「だよね?」 晋「だから、まずガリガリですわ。スカウトの前に、ガリガリを追い込んで、ほんまのことを話させんと。」 俺「そうかぁ。」 晋「そういう奴は、脅かすか、小金をつかませたら、簡単にうたいますよwww」 俺は、徐々にガリガリやスカウトより、君が怖くなってきたよ、晋作君www 晋「ガリガリの電話番号とメアドは、かよって娘が知ってるんですよね。」 俺「うん。」 晋「だから、ちょっと難しいけど、俺さんの仕事は、まずガリガリをかよさんに呼び出させるってことですわ。」 俺「
ブータン国王の婚礼で話題の中心は王妃となるジェツン・ペマさん(21)だろう。たいそうな美人である。王様もイケメンではあるが。▼ブータンで私の世代が思うのは切手である。変わり種の切手が多かった。外貨収入のためもあって奇抜なデザインとしたのだろう。貧しい国だった。今でもそうだと言えるのだろうが、物質的な豊かさではなく、心の充実「国民総幸福量(GNH)」を国政の指針としているということで、日本でも支持者が多い。日本の着物に似た民族衣装を守っていることも懐古的な感傷になるのだろう。▼ブータンでは今回の王妃も民間から採ったように民主化が進んでいる。が、最近ではどうか知らないが、ブータン国民は民族衣装着用を義務づける法律があった。「伝統的な価値と礼儀作法を守る運動」もあった。ナショナリズムである。当然、排外主義でもある。かつては人口の三割にも達したネパール人を追い出す政策でもあった。▼ブータン王国に隣
木曜日の朝、僕は自宅で新しくAppleのCEOになったTim Cookはどんなプレゼンをするんだろうか、と思って前日行われたキーノートスピーチをビデオで見ていました。 それから会社に移動し、30分も経たない間にスティーブ・ジョブズが亡くなった事を知りました。 既に痩せ細った姿が報じられ、いずれは、という事は感じていたものの、実際にそれが起こってみると、体の力がすーっと抜けていき、うまく体に力が入らなくなりました。 正直なところ、なぜ自分がそれほどまでにショックを受けているのか、最初は分かりませんでした。 アメリカのとある会社の社長が亡くなったことで、どうしてこんなに自分はショックを受けているんだろうか。 最初に思ったのは、自分が毎日Apple製品に触れているということです。 ここ数年、電話はiPhone、パソコンはMacbook Airです。 以前にPower MacやMacbook Pr
充実した日々をすごしているだろうか。 ただ年齢だけを重ねてはいないだろうか。 休みともなればなんとなくテレビを朝から晩まで見ている。ということが多くないだろうか。 法句経に智恵ある者たちが怠りなきことを守ることは、あたかも最上の財産を守るようなものである。とある。
スティーブ・ジョブズが亡くなって、その名講演の言葉をなんども見かけた。あれである、「もし今日が自分の人生の最後の日だとしたら、今日するはずのことを私は本当にやりたいだろうか?」 英語だと、"If today were the last day of my life, would I want to do what I am about to do today?" (参照) 人生は限られているし、望んだ人生を生きられる人も少ないから、この手の言葉が心に刺さるのもしかたがないなと思う。それにいずれ、だれにも、人生の最後の日は来る。 もうちょっと引用すると、その一文とは違う含意も見えてくる。 "I've looked in the mirror every morning and asked myself: "If today were the last day of my life, woul
東日本大震災の直後、日本全国の企業から救援物資や義援金が集まった。が、それらの配布がうまくいかなかったという。大きな避難所ほど物資の取りあいが起こり、義援金の分配もいまだに進んでいないらしい。「行政」は平時を前提としたシステムであり、身分証明書さえも流されるような緊急時にはうまく機能しない。 その点、宗教施設の避難所では穏やかさが目立ったという。寺や、新興宗教の道場だ。信仰仲間・檀家仲間という意識があるため、譲り合いの精神が自然と機能したのだそうだ。緊急時における“助けあい”には、国家や大企業といった巨大組織はあまり役に立たない。「地域」や「信仰」といった中間的な「共同体」が必要になる。 この「共同体」という発想について、このところずっと考えている。 戦後史をざっくりと復習すると:かつて田舎の村に存在した「共同体」が高度成長とともに切り崩され、企業がその代替を果たすようになった。日本の大企
そんなわけで、バブル真っ只中のシンガポールでありますが、日本では法人税や所得税が上がるってことで、利益の出ている法人さんがシンガポールや香港に本社を移そうという流れが加速しているようでありますね。 利益の出る部門が日本から去ってしまったら、利益の出ない残された部門や社員や国民はどうなってしまうのか、という気持ちもないではありませんが、日本を脱出して来た人たちや会社さんがたって、すでに一儲け終わった産業に従事してる人たちばっかりなんですよね。もともと日本に再投資しようと思っている人たちではない以上、別に日本を出たからといって日本経済にマイナスになるわけでもなく、出たければ出ればいいんじゃないかとしか思わないような連中ばっかりであります。自分を含め。 とりあえず、生産部門を東南アジアに移そうぜ、コンテンツ関連も投資のHQはシンガポールに置いておこうぜ的な流れが顕著なんですが、出られる部門はもう
ツイッターでつぶやいたネタを再編。 尊敬しているブロガーさんの1人・内田樹先生がこんなエントリーをお書きになっていた。 情報リテラシーについて -内田樹の研究室 http://blog.tatsuru.com/2011/09/16_1350.php いわく、情報格差が拡大している。かつての日本は一億層中流の「情報平等社会」を実現していたが、インターネットの登場によりそれが崩れた。“強者”のもとには質の高い情報が集積される一方で、“弱者”は質の低い情報(デマ等も含む)に囲まれた環境で満足してしまう。このような状況は危険なので、私たちは「情報平等社会」に回帰すべきではないか。情報(価値観や思想、正義を含む)というものは、「公共の議論の場」で批判にさらされることで、はじめて「正しさ」を得られるのだから――。 だいたいこんな論旨だ。これって、なんかおかしくない? というわけで、つらつらと考えてみた
「感性に頼りすぎないゲーム設計というのを心がけている」「企画・開発はもちろんのこと、分析や事業戦略まで手を出しつつやっていく」など、これまでのゲーム作りの方法論を覆すという制作体制をとっているGREE、彼らはどのようにして数々のトップセールスを誇るプロダクトを作り上げているのでしょうか? 日本最大のゲーム開発者向けカンファレンス「CEDEC2011」にて、これまでのゲーム機業界での手法との対比を交えながらGREEが「セールスランキングNo.1プロダクトの作り方」というタイトルで、ソーシャルゲームの未来への展望について講演を行いました。 講師は過去にフロントミッションシリーズ、FFシリーズなどを手がけ、今年スクウェア・エニックスを退社してGREEに入社した土田俊郎氏、そしてソーシャルゲーム初期の名作「釣り★スタ」のプロダクトマネージャーを努めた岸田崇志氏の両名です。こちらの濃密な講演の全内容
吹奏楽コンクール リウマチの調子が悪い!薬の副作用もやばい! 副作用のせいでご飯が全然食べられなくなって顔から痩せていくんだけど、お腹とかお尻から痩せたらいいのに。蓄えがあるから多少痩せたってちょうどいいくるいやけど、幸薄そうに見えるから顔は太ったままがいいなぁ。 お…
吹奏楽コンクール リウマチの調子が悪い!薬の副作用もやばい! 副作用のせいでご飯が全然食べられなくなって顔から痩せていくんだけど、お腹とかお尻から痩せたらいいのに。蓄えがあるから多少痩せたってちょうどいいくるいやけど、幸薄そうに見えるから顔は太ったままがいいなぁ。 お…
エヌ氏の一日は、「いいね!」ボタンをクリックすることから始まる。 「いいね!」ボタンは、エヌ氏が参加している仮想世界上の友達の日記やひとりごとつぶやき機能についているお手軽評価ボタンのことだ。 エヌ氏の友達は、熱心に仮想世界上の日記に日々のできごとを綴っていた。 朝ごはんに食べたもの、今いる場所、気がついたこと、天気のこと、猫や花の写真とありとあらゆるものが仮想世界上の日記としてほぼリアルタイムに書き込まれていた。 エヌ氏は仮想世界上の友達との友好的なコミュニケーションを円滑に果たすために、早起きしてエヌ氏が就寝してから起きるまでの間に書かれた日記にたいして、「いいね!」ボタンを次々と押していった。 本来は、どういうふうに「いいね!」なのかを感想コメントとして残すべきなのだが、何せエヌ氏が読まなければならない日記の量は膨大で一日のうちのかなりの時間をそれに費やしていた。そんな状態だったので
もう二〇年も前だったか、渋谷陽一のサウンドストリートで、中国奥地のパンクバンド、ドラゴンズの「ゴッド・セイブ・ザ・クイーン」を聴いたことがある。かれらは受信状態の悪い短波放送でセックス・ピストルズを聴き、「なんかとりあえずワーワー言えばいいらしい、これならおれたちにもできる」と言って、とりあえずワーワー言うだけのスゲー楽隊を作ってしまったのだった。 その後かれらがどうなったのか知らない。でももし当時かれらの手元にあるのが短波放送ではなく、ネット経由のファイル共有だったら。ノイズとフェージングまみれではなく、クリアな音でセックス・ピストルズを聴いていたら。そしたらどうだったろう。たぶん、かれらはわざわざ自分でドラゴンズを作らなかっただろう。そしてかれらのまわりの人も、できそこないのドラゴンズなんか聴くかわりに、本家本元のセックス・ピストルズを聴いただろう。つまりかれらには創造するインセンティ
『山形浩生の:世界を見るレッスン』 連載 64 回 フォロワー数で変わるツイッターのメディア性 月刊『アルコムワールド』 2011/07号 要約:ツイッターの持つメディアの特性は、フォロワー数によってだんだん変わる。それに自覚的でない人の多くは、自分のおかれた環境にまったく鈍感なために愚かしい醜態をさらすことが多い。が、求める水準のメディアにとどめるための作業もむずかしい。 ある人の書くものでも、あるいはツイッターのツイートでもいいけれど、長いこと見ていると、ときどきその人がだんだん——または突然——おかしくなって、ぎょっとすることがある。今回の震災と原発事故では特に、ツイッターでそんな光景が見られた。それまで普通あるいは高めの見識を持つと思っていた人が、いきなりわけのわからないことを言い、デマに踊らされ、それをたしなめられると逆ギレして相手を罵り、過去の発言との矛盾を指摘されると変な言い
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