8月は終戦の季節なので。 1941に真珠湾で開戦し、当初は連戦連勝だったが、1943辺りから敗色が濃くなった。 選択肢としては、そのまま「本土決戦」まで突っ走らずに、ミッドウェーとか ガナルカナル、フィリピン争奪戦辺りで、アメリカと講和する、という選択肢もあったかもしれない。 (欧州でヒトラーが交戦状態だったので、日本単独の講和が可能かどうか微妙だが) しかし、歴史にイフは禁物だが、 「1943頃に、中途半端に講和休戦する」より、 「1945まで玉砕で突っ走って、無条件降伏に追い込まれた」ことが、 数十年後の日本にとっては、結果的にハッピーだったと思う。 数値は腰溜めの数値だが、 「A=開戦前の4分の3の国力の状態で1943頃に休戦し、その後5%の経済成長の日本」と、 「B=開戦前の2分の1の国力まで落ち込んで1945に無条件降伏し、その後10%の経済成長の日本」。 確かに一時的に辛いのは
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