1867年(慶応三年)6月19日は、メキシコ皇帝・マクシミリアーノ1世が処刑された日です。 皇帝の処刑というだけで穏やかではありませんが、この人の生涯をたどってみると、「ナゼこんな目に遭わなければならなかったのか」と静かな怒りがこみあげてきます。 のっけから私見丸出しでスイマセン(´・ω・`) でもホントそうなんですよ……。 トップの画像は、世界史の教科書や資料集に出てくるマネの絵「皇帝マキシミリアンの処刑」で、撃っているのはフランス兵。 フランス人に殺されたのではないのですが、ここには深~~いワケがあります。 最後にその理由がわかります。 名前については、生まれてからメキシコ皇帝になるまでの間は「マクシミリアン」なんですが、この名前だと別人が大量に出てくるので、この記事では「マクシミリアーノ1世」で統一させていただきます。 オーストリア帝国のハプスブルク家に生まれてマクシミリアーノは18
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