第2次大戦中、ナチス・ドイツが迫る東欧リトアニアで、日本の外交官杉原千畝(ちうね)らが発給した「命のビザ」で救われたユダヤ人難民の数は約2500人だったとする研究結果を、ロシア国立人文大のイリヤ・アルトマン教授(68)がまとめた。難民が利用したソ連・シベリア鉄道の乗車記録に着目し、「命のビザは6000人を救った」とする従来の推論を退けた。モスクワで10日に開くシンポジウムで発表する。(カウナスで、小柳悠志、写真も) 日本外務省の記録によると、リトアニア・カウナスの領事館に勤務していた杉原は2139通のビザを発給。当時のビザは1通で子どもらの分も有効だったため、ソ連と日本を経由、第三国に逃れた難民の数はビザ発給数を大きく上回るとの期待があった。難民の多くはポーランド東部(現ベラルーシ)出身だった。 ただ、アルトマン氏がソ連国営旅行会社インツーリストや運輸当局に残る1940〜41年のシベリア鉄
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