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ブックマーク / finalvent.cocolog-nifty.com (3)

  • 交通量も少なく誰も見ていないとき横断歩道の信号機に従うだろうか?: 極東ブログ

    年末の連休に入った静かな明け方。ふと、散歩に出かけたくなり、出かけた。いつもなら早朝の通勤の人などもそれなりに見かける時間だが、今朝は少ない。自動車も少ない。そのまま私は、空虚に魅せられたようにさらに人の気配のない、死んだような朝の街を選んで歩いて行くと、横断歩道の信号機に合った。赤である。私は立ち止まる。 自動車は来ない。信号が青になるのを待ちながら、ふと、信号機が青に変わるまで待つ必要なんかあるのだろうかと思う。 見渡しが悪いわけでもない。自動車も来そうにない。信号機に従わなくても誰も見咎める人もいそうにない。つまり、信号機を無視してもなんら問題がない。 そういうとき、若いときの私は信号機を無視したものだった。欧米人は普通そうする。そもそもルールなんて人の世界の相対的なものである。などと思っていた。しかし欧米人ならすべてそうするわけでもない。フランス人は、自動車が来なければ信号を守らな

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    mapk0y 2015/12/30
  • 安保法制が否定されれば自衛官は死を覚悟して防衛するのだろう: 極東ブログ

    書こうかどうかためらっているうちに、すすっと時は過ぎてしまい、まあ、それでもいいやというとき、なにかもにょんとしたものが残る場合がある。今回も、ちょっともにょんとした感じがあるので、とりあえず書いてみよう。とま、ごちゃごちゃ言うのは、書く前から批判が想定されて、げんなり感があるからだ。最初に言っておきたいのだけど、以下の話は、安保法制を肯定せよ、という結論ありきで言うわけではない。日の防衛のありかたは日国民が決めればいいことだし、その結果がどうなっても日国民が受け止めればいいだけのことである。私は一市民として民主主義の制度の帰結を尊重するだけである。 さてと、で、なんの話かというと、安保法制が否定されれば自衛官は死を覚悟して防衛するのだろう、ということだ。こういう言い方は物騒なんで、もっと曖昧にすればいいのかもしれないが、自分のもにょん感がそこにあるのは確かなので、とりあえずそうして

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    mapk0y 2015/06/26
    なんか上澄みだけ掬って違憲でも許されると言われても理解できない
  • 平和安全法制をどう理解するか?: 極東ブログ

    昨日14日、政府は臨時閣議で「平和安全法制」関連法案を閣議決定した。これから国会で審議されることになる。同法制については、ネットなどを眺めても賛否の声がいろいろある。そうした国民の各種の声を国会での熟議に反映させることは民主主義国としてよいことだろう、と思う。 私はこれをどう考えているのか? 私はどういう意見を持っているのか。賛成なのか反対なのか? 率直に答えると、わからない、のである。 しかし、いずれ可否が決まるのに、どうするのか?とさらに問われるなら、現時点で取り分け反対ではないので、結果が賛成ということになればそれでよいと考えている。 なぜ、そんななさけないことになってしまったのだろうか? その理由をブログに書いてみたい。 結論を先に書く。「平和安全法制」は私の理解を超えている。それはどういうことなのかというのは後で触れる。ようするに「わからない」のである。なさけないなと思うが、どう

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    mapk0y 2015/05/17
    “日米安全保障条約”と法律が同列に語られてるのはなんでだろうか
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