三洋電機 モバイルエナジーカンパニー アルカリ充電池事業部トワイセル技術部 部長 田所幹朗。1962年生まれ。神戸市出身。神戸大学大学院工業化学専攻。1987年三洋電機入社。研究開発畑で水素吸蔵合金など、一貫して電池畑を歩む。2500mAhの高容量ニッケル水素電池開発のチームリーダーなども務め、エネループ開発では初めてのプロジェクトリーダーに。「大きな決断に迫られ、一か八かに賭けたり、ハラハラドキドキで開発しました」 「先入観があったら、新しいものは決して出来ない。社内の雑音は気にするな。実験やマーケの客観的なデータを大切にしろ。データのまま、素直に行ったらどうだ」 「はい……」 大阪・守口市にある三洋電機本社。電池事業の先輩技術者、宮崎徳之(のりゆき)は、後輩の田所幹朗(もとお)にこうアドバイスを送る。2人は神戸大学工学部でも先輩後輩の間柄だ。 2005年の年明け。このとき宮崎は品質統括
式典ラッパの澄んだ音色が高らかに鳴り響くと、巡礼者たちが誘われるように姿を現した。山の向こうに日が落ちて、町に影を落とす。ここはヒマラヤ山脈にあるブータン王国の首都ティンプー。これから、この日最後の儀式が始まろうとしていた。 群衆の端のほうには、おかっぱ頭でみすぼらしい服を着た農民たちが立っていた。遠く離れた山里から3日もかけて、“都会”のティンプーまで初めて出てきたのだ。都会といっても、信号機が一つもない首都は、世界広しと言えども、ここぐらいのものだろう。広場の中央付近では、僧侶たちがエンジ色の僧服を身にまとい、互いに腕を組んで集まっている。ヤシ科の高木、ビンロウの実をかむ彼らの歯も、僧服と同じくらい真っ赤に染まっている。 僧侶も農民も、町の人々も、広場の中央に立つ少年を一目見ようと押しあいへしあいしている。少年の名はキンザン・ノルブで、年齢は7歳。オレンジ色のシャツが長すぎて、ひざから
2008年、京都議定書の第一約束期間が始まりました。低炭素社会で、エネルギーをどう確保するか。私は今こそ、「新エネルギー国家・日本」を、強く内外にアピールすべき時だと思います。 現在、世界各国は競って、国家エネルギー戦略を構築しています。日本も今年2月、省エネルギーを主体とする京都議定書目標達成シナリオを発表しましたが、昨年12月の「気候変動枠組条約第13回締約国会議(COP13)」で、京都議定書後の枠組み、いわゆる「ポスト京都」が話し合われるなど、今や世界の議論の中心は、2013年以降に移っています。 ポスト京都の枠組みには、明確な中長期ビジョンもないまま、安易に対応してはならないと私は考えます。これまでのような省エネルギーだけでは、二酸化炭素(CO2)の削減には限界があります。供給側の構造を改革し、低炭素型に強烈にシフトしなくてはならない。 当初は、原子力発電のシェア拡大で対応で
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く