平賀源内(ひらがげんない)といえば、「土用の丑の日」や、エレキテルの発明を思い浮かべる方も多いでしょう。 発明家としてのイメージが強い平賀源内ですが、実際はどのような人物だったのでしょうか。 今回、平賀源内のかんたんな経歴、「土用の丑の日」を考えた?、エレキテルの発明ってなに?について紹介していきますよ。 平賀源内、プロフィール 平賀 源内(ひらが げんない) 出身地:讃岐国寒川郡志度浦(現・香川県さぬき市志度) 生誕: 1728年 死没:1780年1月24日 享年:52 時代:江戸時代中期 何した人?どんな人? 平賀源内は本草学、儒学、医学、オランダ語、漢学など幅広い分野の勉強をしていた人物です。 多くの人に知られるようになったのは、エレキテルを修理したため、そして物産博覧会をたびたび開催していたためです。 時の権力者であった田沼意次も平賀源内の存在を知っていたようです。 ここでは、平賀