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ブックマーク / www.komenet.jp (4)

  • 米穀安定供給確保支援機構:米ネット

    制作・著作 公益社団法人 米穀安定供給確保支援機構 このホームページに掲載の文章・写真・動画像および音声情報の無断転載・転用を禁じます。

  • 6-2 弁当箱の始まりは安土桃山時代

    6-2 弁当箱の始まりは安土桃山時代 旅先で、あるいは野良や山仕事、あるいは漁に出かけて仕事する場合には、べものを持参して空 腹を満たさねばなりませんでした。古代から携帯品として貴重だったのが糒(ほしいい)です。いわゆる飯を干したもので、夏なら水で冬ならば湯につけてふ やかすだけ。もっとも米のでんぷんが完全にアルファ化しているので、水がなくてもよく噛めばそのままべても消化がよく、戦国時代の行軍や旅の携帯と して欠かせないものでした。「糧袋(りょうぶくろ)」という麻袋に入れ携帯するのが常で、最近の菓子材料に用いられる「道明寺干飯」やインスタントの強飯 (アルファ化米)の原形は、この糒なのです。別の言葉でかれいいともよびました。このほかに米をモミのまま焼いてはぜる焼米(やきごめ)もあり、これはそ のままべることができます。 一般的に、外に持ち出してべる便利な料理を弁当と呼んでいま

  • 6-1 膳の始まりは奈良時代

    6-1 膳の始まりは奈良時代 かつての日の家屋には、専用の堂はありませんでした。料理を並べた膳を据えた場所が、即、堂になるという格好で、しかも、部屋そのものが普段の間 と客間に分かれていたので、奥の間は来客の時か、何か特別のことがある時に使いました。通常は、台所や囲炉りにある板の間で事を摂っていました。 今から1200年ほど前の平城京跡から出土した器や具の中に、ひのきで作られた折敷(おしき)がみつかりました。折敷は今もお茶事などで使われる足のない膳のことです。この折敷に料理を並べて使っていたわけですが、庶民はムシロやゴザで作った、ランチョンマットに似たものを使っていました。宮廷における儀式の場合には案(つくえ)を使いました。夏の宴会の時はハスの壮(さかり)葉を膳にした ことがあったことが万葉集に記されています。 平安時代になると、貴人達は高杯(たかつき)を用いるようになります。

  • 10-2 すしの始まりは“なれずし”から

    10-2 すしの始まりは“なれずし”から もともと、すしは東南アジア起源の外来の魚の加工法で、日へは稲作の伝来とともに中国から伝 わったとされています。魚貝類や畜肉(イノシシやシカ)を強く塩にまぶして米飯のなかに何か月も漬け込んでおくと、飯が糖化して乳酸発酵をし、独特な酸味 が生じます。その間に魚肉などの動物たんぱく質は自己分解してうまみとなり、そして、この乳酸がしみ込んで保存性が高まり、おいしくべられるようになり ます。つまり動物性たんぱく質の貯蔵法の一種です。この場合、飯は漬け床であって用にするのではありません。このすしを日では「なれずし」とよんでお り、現在でも滋賀県琵琶湖沿岸地方で作られるふなずしは、このなれずしの原型をよく伝えるものと考えられています。なお他方、飯に麹を加えて、塩漬けした魚肉などを発酵させるかぶらずし(金沢の特産)などは、いずしとよばれる別の系統のものです

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