まあもうちょっとまじめに説明すると、ロキノンはアーティストからトラウマだの苦悩だのそういった言葉をそういったものを無理矢理引き出してそういう性格付けのインタビューを掲載することで、雑誌は人気を得る、読者はアーティストのことを何か深く知った気になれるというものなので。それをロキノン文化圏外に持ち出してあーだこーだと語るのはぜんぜん意味がないってかんじですよ。 ただ、ある文化圏内だけで盛り上がるものをその文化圏外に持ち出してあーだこーだいうのは、ネットが普及してきて以来普通の出来事になってきてるからなあ。それは弊害のほうが多いようにしかおれには思えないけども。 http://d.hatena.ne.jp/strange/20090621#p3 Perfume周辺に多大な混乱を巻き起こした件に関する、strangeさんのこのエントリへの勝手な補足と個人的なメモとして。 まず、ロキノン派生媒体(?
プロレスリング「NOAH」の社長であり、エースだった三沢光晴がリング上の事故で亡くなった。対戦相手のバックドロップを受け、ほぼ即死の状態だったという。 まったく信じられない、三沢だけは、リングで死ぬはずがない。 第一報を受けたファンの多くは、そう感じたに違いない。”受身の天才”、”不屈のゾンビ”……三沢光晴の代名詞は、常に「リング禍」からもっとも遠いところにあった。三沢の死は、単にひとりのレスラーの不幸な事故では片付けられない、プロレスという世界のイメージを根底から覆してしまうような出来事だった。 今回の件、あの男はどんな風に受け止めているのだろう。プロレスの中も外も知り尽くした男、前田日明に話を聞きに行った。三沢が死んで、それでもプロレスは続いてゆく。これから私たちは、どんな気持ちでリングを見上げればいいのか──そのヒントを、前田なら与えてくれそうな気がした。 ──まずは、前田さんが今回
7/9の日記では麻生太郎氏にナショナリズムの臭いがしないという話をしましたが、彼のナショナリズム観もちょっと独特なところがあります。「自由と繁栄の弧」でも取り上げられていたソートリーダーに関する話の中に、それが伺える場所があります。 日本が恐らく、最大のコストを払って学んだ難問とは、ナショナリズムの扱い方だったのではないかと思います。 わが国ナショナリズムの昂じるところ、過去の歴史において、韓国や中国を始めとするアジアの国々で無辜の民を苦しめたことは、引き続き謙虚な反省の念をもって臨まなくてはならない問題です。また先の大戦では、われわれ自身に多くの犠牲を生んだことでもありました。 そればかりではありません。日本の現代史は、民主主義の激情が、容易にナショナリズムの興奮へと転化しかねない事実をも教えています。若い民主主義は、ないし、民主主義を希求しようとする若いハートは、由来激しやすいのです。
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