悲劇の舞台裏で起きた 知られざる「真実」――北澤豪編(2) 今から20年前、1993年10月に行なわれたアメリカW杯アジア最終予選。第4戦の宿敵・韓国戦では、累積警告の森保一に代わって出場した北澤豪が奮闘。攻守にわたって活躍し、チームの勝利に貢献した。そして迎えた"運命"のイラク戦。あのとき、北澤は何を思ったのか――。 (1から読む>>) ピッチで戦っているみんなと 一緒に動いていないといられなかった 迎えたイラク戦。北澤豪(ヴェルディ川崎/現解説者)はベンチから戦況を見つめていた。もちろん、いつでもピッチに向かう準備は整えていた。攻撃の要であるMFのラモス瑠偉(ヴェルディ/現ビーチサッカー日本代表監督)が4試合にフル出場し、明らかに疲れが溜まっていたからだ。ラモスが動けなくなれば、自分の出番が来ると思っていた。 20年前の「ドーハの悲劇」について語る北澤豪。 予想どおり、日本は1-0で前