山村和也 ――入国後、軽めの調整を行ったが、ベトナムの印象は? 「日本よりだいぶ暑いので、早めに順応していかなければいけないと思っています。それにしても、本当に暑いですね(笑)」 ――調整後、チームで唯一、現地メディアか […]
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それでは、農産物の品質とは何か、何がどうあるべきかについて考えたい。 「おいしい」は農家が信じているだけ 農産物の品質と言ったとき、生産サイドが重視しているのは、“おいしさ”である。まじめな生産者であれば、まずいものを作りたいとは考えていないはずで、多くの生産者は異口同音に「おいしいものを作りたい」と言う。 おいしいものを作るという方向は間違ってはいないと思うのだが、実際に流通に携わっている人の意見は、全く違うと言っていい。簡単に言えば、流通業者は「売れるもの。きっちりさばけて、利益が取れる農産物ががほしい」のである。 「おいしいものは売れる」と考えれば、両者の利害は一致しているはずなのだが、ここに落とし穴がある。生産者が「おいしい」という農産物は、誰が“おいしい”と決めたのか? ここにも基準の曖昧さがあり、そのことが、生産サイドと流通サイドの意識に大きなズレを生んでいる。 はっきり書くが
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