前編:そして、PowerPC連合へから続く 接近と離反 初代Mac誕生から10年目、1994年に登場したPower Mac(PowerPC搭載Mac)以降、AppleはPowerPCに注力する。 だが、Intelとの縁がまったく切れたわけではなかった。1990年代中頃にさしかかると、もはやIntel系プラットフォームのマーケットシェアは無視できない状況になってきていた。 Macは個人で楽しむ上では、十分な機能を提供していたが、会社で使おうとするとMS-DOSやWindows用のソフトを使わなければならない状況も出てくる。 そこで、AppleがMacの使いやすさも楽しめつつ、必要なソフトとの互換性も実現するための苦肉の策として発表したのが、「Macintosh Quadra 610 DOS Compatible」(1993年)と、「Power Macintosh 6100/66 DOS Co
そして、PowerPC連合へ Appleは、このスタートレック計画の後、IBMと固く手を取り合って、Wintel(Windows+Intel製ハード)打倒とPowerPC普及に精を出し始める。「PowerPC Reference Platform(PReP)」や「Common Hardware Reference Platform(CHRP)」というWintel対抗のオープンなパソコンハードウェア仕様までIBMらと共同で策定している。 いったい、スタートレック計画に何があったのだろう。これについてはいくつかの説がある。 スタートレック計画が始まった頃には、既にAppleはIBMと手を組み、(主にPinkという次世代OSのプラットフォーム用として)PowerPCというCPUを開発する計画を発表していた(すぐにモトローラもこれに加わった)。 そんな頃、スキー休暇を楽しんでいた「Macintos
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