ブックマーク / ja.wikipedia.org (12)

  • 経度の歴史 - Wikipedia

    経度 経度の歴史(けいどのれきし)では、経度にまつわる歴史について記述する。 経度という概念は緯度とともに古代から存在したが、基準に基づく経度の測定は緯度と比べて難しく、正確に求められるようになるまでには長い年月を要した。 また海上で航海に必要とされる精度で経度を求めることは歴史的に困難な課題だったが、クロノメーターの開発により実用上解決された。経度の基準も、ロンドンのグリニッジ子午線を基準(初子午線)として世界中で採用された。 エラトステネスの地図(19世紀に再現されたもの) 地図を経線と緯線で区切って、その座標で各地点の位置を表すという発想は古くから存在した。古代に地球の大きさを求めた地理学者エラトステネスは、シェネ(アスワン)とアレクサンドリアを結んだ線を基準として、それと平行に数の直線を引いた地図を作成した[1]。ただしこの線の間隔は現在の地図のように等間隔ではない。また、基準

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  • アスタ・ラ・ビスタ、ベイビー - Wikipedia

    「アスタ・ラ・ビスタ、ベイビー」(Hasta la vista, baby)は、1991年のSFアクション映画『ターミネーター2』でアーノルド・シュワルツェネッガーが演じるタイトルキャラクターに関連するキャッチフレーズである。 日語字幕および吹き替えでは「地獄で会おうぜ、ベイビー」(戸田奈津子による字幕)または「さっさと失せろ、ベイビー」と意訳された[1]。 起源と用例[編集] 「Hasta la vista」(逐語的には「見ることまで」)という言い回しは、スペイン語の別れの挨拶で、一般に「互いに(次)会う時まで」、「後で会いましょう」、「さようなら」を意味すると理解できる。1970年、ラクエル・ウェルチのテレビ特番『ラクエル!(英語版)』での「ロッキー・ラクーン」トリビュートの冒頭でボブ・ホープがウェルチに対しておどけて「Hasta la vista, baby」(hastaはハスタと

  • 警察官ネコババ事件 - Wikipedia

    警察官ネコババ事件(けいさつかんネコババじけん)は、1988年に大阪府堺南警察署(現在の西堺警察署)槙塚台派出所[注 1]の巡査が拾得物の現金15万円を着服(ネコババ)した事件である。 堺南署は、身内の不祥事を隠蔽するため、現金を届けた女性に着服のぬれぎぬを着せ、組織ぐるみで犯人に仕立てあげようとした。 1988年2月6日午前11時40分ごろ、大阪府堺市のスーパー経営者のは、店内に落ちていた15万円入りの封筒を、近くの大阪府堺南警察署(以下「堺南署」)槙塚台派出所に届け出た。派出所には巡査が一人いたので、15万円入りの封筒を拾ったことを告げると、巡査は「その封筒なら紛失届が出ている」と言い、封筒を受けとった。この時、巡査は女性の名前をメモに書いただけで、遺失物法に基づき作成が義務の「拾得物件預り書」を渡さなかった。女性は不審に思ったが、深くは追及せず帰宅した。届け出た現金15万円は遺失物

  • ゲエズ文字 - Wikipedia

    青銅器時代中期-原シナイ 前19-15世紀 ウガリット 前15世紀 原カナン 前14世紀 フェニキア 前11世紀 古ヘブライ 前10世紀 サマリア 前6世紀 アラム 前9世紀 ブラーフミー 前6世紀 (インド系) チベット 7世紀 クメール 7世紀 ジャワ 9世紀 他多数 ヘブライ 前3世紀 シリア 前2世紀 ナバテア 前2世紀 アラビア 4世紀 ペルシア 7世紀 ウルドゥ 11世紀 ターナ 18世紀 パフラヴィ 前2世紀 アヴェスタ 4世紀 ソグド 突厥 5世紀 ウイグル 8世紀 (契丹小字 10世紀) (女真小字 12世紀) モンゴル 13世紀 満洲 16世紀 シベ 20世紀 トド 17世紀 ワキンダラー 20世紀 ギリシア 前9世紀 エトルリア 前8世紀 ラテン 前7世紀 ルーン 2世紀 オガム 4世紀 ゴート 4世紀 コプト 300年 グルジア 4世紀 アルメニア 405年 グラゴ

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  • コブラ効果 - Wikipedia

    コブラ効果(コブラこうか、英:Cobra effect)は、問題を解決しようとしたけれども、実際には問題を悪化させてしまうときに生ずる[1][2] 。 これは「意図せざる結果」の事例である。この用語は、経済や政治において正しくない刺激を与えるきっかけとなることを説明するために使われる[2]。また、ドイツ経済学者ホルスト・シーバートによる同じタイトルの書籍(2001年)がある[2]。 「コブラ効果」という用語は、イギリス(英国)による植民地時代のインドにおける逸話に由来する。 インドを統治していた英国のインド総督府は、デリーにおける多くの毒ヘビ特にコブラの害を脅威と看做し[3]、コブラの死骸を役所に持ち込めば報酬を与えることにした。 最初のうちは報酬目当てに多くの蛇が捕獲されたので巧くいくと思われていたが、蛇の死骸を多く持ち込めば収入が多くなるのなら蛇を捕獲するよりは蛇を飼って増やせば良い

  • ダイマクション地図 - Wikipedia

    この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "ダイマクション地図" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL (2023年1月) ダイマクション地図。大陸はほぼ連続している。 ダイマクション地図(ダイマクションちず、英: Dymaxion map)は世界地図のひとつである。地球を多面体上に投影したもので、さまざまな形の展開図へと展開できる。バックミンスター・フラーによって発明され、1946年に特許が取得された。このときの例としては立方八面体(ベクトル平衡体)への投影が示されている。1954年に The AirOcean World Map(空海一体世界地図)として発表された版で

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  • 想像を絶する作戦 - Wikipedia

    1945年5月10日のヨーロッパにおける軍隊配置状況。 赤地に黄数字がソ連軍、緑地に黒数字がアメリカ軍、茶地にベージュ数字がイギリス軍 想像を絶する作戦(そうぞうをぜっするさくせん、英: Operation Unthinkable)は、1945年5月22日付けでイギリス軍が作成したソビエト連邦との戦争計画。アンシンカブル作戦とも呼ばれる[1]。実行に移されてはいない。イギリス政府にとって初めての格的なソ連との戦争計画であり、イギリス軍とアメリカ軍の連合軍がヨーロッパ東北部を主戦場としてソ連軍と対決するという内容だった[2]。 背景[編集] 1941年のモスクワの戦いでソ連軍がドイツ軍に対して勝利を収めると、第二次世界大戦終戦後はイギリス・アメリカとソビエト連邦の3ヶ国が協調して世界秩序を担う可能性が高まってきた[3]。イギリスの首相だったウィンストン・チャーチルにとってソ連が勝利する展開

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  • ポンジ・スキーム - Wikipedia

    ポンジ・スキーム(英: Ponzi scheme)は、投資詐欺の一種。「出資してもらった資金を運用し、その利益を出資者に(配当金などとして)還元する」などと嘘を語り、実際には資金運用を行わず、後から参加する出資者から新たに集めたお金(の大半)を、以前からの出資者に向けて“配当金”などと偽って渡すことで、あたかも資金運用での利益を出資者に配当しているかのように装い、破綻することを前提に騙し取る手法[1][2]。 名称は詐欺師チャールズ・ポンジ(Charles Ponzi)の名に由来する[3]。 詐欺師は、「あなた(御社)のお金を運用して増やし、増えた分を(「配当」などとして)あなたに支払う」などと謳ってお金(出資金)を集め、実際には(全くあるいは殆ど)そのお金は運用せずに大部分を詐欺師自身の懐に入れ、残りを以前からの出資者に「配当」と偽って渡すことで(つまり集めたお金の一部を横流ししているだ

  • 回復体位 - Wikipedia

    回復体位(かいふくたいい、英語:recovery position)とは、意識障害のある患者に対して救急車などで二次救命処置が開始されるまでの間、安静を保つための姿勢の一つ。救急医学や救急医療の分野では「昏睡体位」(こんすいたいい)と呼称するのが一般的である[1] [2] [3] [4]。体位としては産婦人科のシムズ体位(Sims position)も基的には同じものを指している。 いわゆる左向き寝であり、気道確保を重要視している 「失神している」「意識がもうろうとしている」など意識障害のある要救護者の生命の安全を図るための体位で、急な嘔吐や容態の変化が起こっても窒息死に至らないよう考慮された姿勢である。 姿勢としては、図に示した通りの左側臥位(左向き寝)である。ただし、頭をやや後ろに反らせて、できるだけ気道を広げた状態に保つ点が一般的な横向け寝と異なる。また無意識に寝返りしたり痙攣して

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  • ギョベクリ・テペ - Wikipedia

    ゴベクリ・テペ(トルコ語: Göbekli Tepe[1]、クルド語: Girê MirazanまたはXerabreşkê) は、アナトリア南東部、シャンルウルファ(旧名・通称ウルファ、古代名エデッサ)の北東12km郊外の丘の上にある新石器時代の遺跡。遺丘の高さは15メートル、直径はおよそ300メートルに及ぶ[2]。地名は「太鼓腹の丘」の意[3]。標高はおよそ760メートル。1996年からドイツの考古学チームにより発掘調査が行われ、チームの指揮を執ったクラウス・シュミットが他界する2014年まで続いた。 ゴベクリ・テペの遺丘に残された構造物は非常に古く、紀元前1万年から紀元前8000年の期間に建てられた。祭祀に用いられたと考えられるこれらの構造物には2段階の発達が見られる。第一段階(先土器新石器A(英語版))では巨大な丁字型の石柱がいくつも円を描くように並べられている。物理探査(リモートセ

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  • 岡田更生館事件 - Wikipedia

    岡田更生館事件(おかだこうせいかんじけん)とは、岡山県吉備郡岡田村(現:倉敷市真備町岡田)に1946年(昭和21年)12月から1950年(昭和25年)まで存在した浮浪者収容施設・県立岡田更生館で起きた組織的な監禁、暴行傷害、殺人事件である。 外部からは「模範施設[4]」と評価されて施設の内情が閉ざされていたことから、犠牲者は開設から2年余りで76名[1][注 1]にものぼった。 この実情は、1949年(昭和24年)2月に施設収容者の一人が脱走して毎日新聞大阪社にリークしたことを契機に、同社社会部の記者であった大森実と小西健吉が潜入取材した結果、社会的に知られることとなった[5]。その後、件は国会でも取り上げられて、太平洋戦争後の混乱期における弱者支援制度の構造的な問題が指摘された[3][6][7]。事件発覚から1年後には館長や県職員らに判決が下っているものの、罪状は業務上横領ないし私文

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  • 大東島紙幣 - Wikipedia

    この記事のほとんどまたは全てが唯一の出典にのみ基づいています。 他の出典の追加も行い、記事の正確性・中立性・信頼性の向上にご協力ください。 出典検索?: "大東島紙幣" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL (2014年2月) 大東島紙幣(だいとうじましへい)とは、沖縄県の大東諸島において使用されていた紙幣類似証券の商品引換券のことである。正式には「南北大東島通用引換券」とよばれ、来は砂糖手形であったものが島の流通貨幣となったものである。別名を玉置紙幣ともいう[1]。 大東諸島は以前は無人島であったが、1885年に日領に編入されていた。1900年に玉置半右衛門を中心とした八丈島からの開拓団が大東諸島の開拓を開始し、サトウキビの栽培や製糖業を営む企業である玉置商会が島全体を所有していた。ま

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