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ブックマーク / akihitok.typepad.jp (5)

  • ソニー社員に聞きました。「購入した自社製品が予定より早く壊れてがっかりしたことがありますか?」

    今日ネタにした、『週刊東洋経済』の2009年1/31号ですが。実は第2特集が「崖っ縁のソニー」となっていて、文字通りソニーの窮状についてレポートする内容となっています。 で、その中に「ソニー品質センターが2008年10月、世界の社員1万0226人を対象に行った意識調査の結果」なるもの(東洋経済の言葉を信じれば、「中鉢社長による社内ミーティング資料」を同誌が独自に手に入れて確認したとのこと)の抜粋が紹介されているのですが、こんな部分があります: Q2 購入したソニー製品が予定より早く壊れてがっかりしたことがありますか? 何度もある 11% ある 49% 時々ある 25% まったくない 15% ソニー製品を買ったことがない 1% 「何度もある」から「時々ある」を合わせれば、実に8割超の社員が「がっかり」を経験したという結果に。もちろん社員だから厳しい目を持っている(ウチの製品ならもっと長持ちす

  • 流出した石油は洗い流すな

    「目の前でアザラシ達が死んでいる」「油まみれの鳥がいる」など、心理的なインパクトは目くらましとなって合理的な判断を妨げかねない……という話: ■ ASSE: The Myths of Safety (Occupational Hazards) 1989年に発生した、プリンス・ウィリアム湾での原油流出事故のその後を追った調査について。エクソン社が所有するタンカーから原油が流れ出したという事故で、当時約21億ドルかけて除去作業が行われたものの、汚染地域全体の50%しか「清掃」できなかったそうです。さて、それから6年後。環境がどこまで回復したのか調査を行ったところ、なんと清掃作業が行われた地域よりも、行われなかった地域の方が回復が進んでいたそうです。つまり「清掃」という行為自体が環境破壊につながっていたのだ、とのこと。 当時エクソン社は清掃作業が「無意味なもの」と知りつつも、世論からの圧力に負け

    masaruyokoi
    masaruyokoi 2007/07/09
    そういうこともあるな
  • ネットはメディアを補完する

    evaluate さんのエントリを読んで、久しぶりにマスメディアの恣意性というか、情報を1つのソースだけに頼ることの怖さを実感しました。このブログを読んでいただいているような方々には、いまさら的な話かもしれませんが。 まずはYahoo!ニュースのトップにもなった、こちらの記事をご覧下さい: ■ 携帯わいせつ画像で口論、新婚の絞殺容疑の34歳逮捕 (YOMIURI ONLINE) 要点を箇条書きにすると、 夫がの首を絞めて殺した。 2人は新婚だった。 犯行動機は、「携帯電話に保存してあったわいせつ画像を見られたから」。 こんな感じ。これだけ読むと、なんてバカな男だというのが普通の感想でしょう。一方、読売新聞と双璧をなす朝日新聞のサイトでも、同じような報道内容です: ■ 携帯のわいせつ画像巡りけんか、が死亡 容疑の男逮捕 (asahi.com) こちらも「夫がを殺した」「原因はわいせつ

    masaruyokoi
    masaruyokoi 2007/05/07
    氷山の一角
  • 人間クローラー

    某社が六木から品川に移転しました。しかしシステムの移行が上手くいかず、某社に所属している僕は週末から会社のメールが見れないまま。大きな声では言えませんが、かなり無駄な時間が費やされています。 で、そんな時にありがたいのは「社内情報を熟知している人」。彼/彼女に聞けば、例え社内ネットワークにアクセスできなくても(そして客先暮らしをしていたとしても)、社内の状況を把握することができます。 そんな「人間版Google」を意図的に作り出そうと努力している企業もあるようです: ■ 百貨店コンシェルジュの極意 (日経流通新聞 2006年11月3日 第14面) 先週金曜日のMJに載っていた記事なのですが、最近大手百貨店では「コンシェルジュサービス」の導入が広がっているのだとか。もともとホテルで宿泊客のために、観光に関するアドバイスやチケットの手配をするのがコンシェルジュなわけですが、「百貨店コンシェル

  • POLAR BEAR BLOG

    竹書房文庫から11月に発売されたSF小説『ダリア・ミッチェル博士の発見と異変』を読み終えたので、感想を少し。 この作品は「2028年に出版されたノンフィクション」という体裁を取っていて、内容もさまざまな関係者へのインタビューや公的記録、個人が記した日記など(を装った文章)で構成されています。その目的は、2023年に起きたある事件の顛末を描くこと。映像作品の世界には、フェイクでありながらあたかも物のドキュメンタリーのように映像を綴る「モキュメンタリー」という手法がありますが、それを文章で表現したような体裁になっています。 では2023年に起きたのはどのような事件だったのか。前述の通り、書は2028年に出版されたという体になっている、つまり読者はみなその事件についてある程度の知識を持っている前提になっているため、冒頭で全容がネタバレされます(あくまで2021年を生きている私たちにとっての

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