昨今ではSDGsやESG投資、脱二酸化炭素といったキーワードが、毎日ニュースや新聞記事に現れる。ほんの一昔前には、こうした考え方は一部の「進歩的な知識人」や「左翼系の人々」による、現実を無視したファッションとしての理想論、絵に書いた餅、きれいごと、もっと言えば偽善や欺瞞であるとさえ、世間に受け取られていたのではないだろうか。しかし、精緻で実際的な理論の積み重ねと、経済学の正統的な研究を背景に、SDGsのような考え方を早くから提唱していた経済学者が日本にいた。今回は、宇沢弘文の『社会的共通資本』を採り上げ、それが流行をなぞるだけの表面的な「サステナビリティ」や「脱成長」を説く言説とどう出自が違うのか、どのような理論的な枠組みから生まれ、どのような意義を持つものなのかを考えてみたい。 アメリカで大変な業績を収めて日本に帰ってきた偉大な研究者が東大にいるらしい――。ほとんど大学に行かなかったエセ

