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ブックマーク / blog.miraclelinux.com (7)

  • ユメのチカラ: 取締役退任。生涯一プログラマ宣言。

    6月30日臨時株主総会において、ミラクル・リナックス株式会社の新取締役として、児玉崇、伊東達雄を選任し、それに続く、取締役会議により、新しい代表取締役として児玉崇を選任した。佐藤武前代表取締役社長は、取締役会長へ、わたしは取締役を退任した。 ここにご報告する。 さて、ここからが題(?)である。取締役を退任したからといってミラクル・リナックスを辞めるわけではない。今後は経営者という責任ある立場を退き一技術者としてミラクル・リナックスに貢献していく。 2000年6月にミラクル・リナックスを創業以来8年にわたって取締役CTOとしてミラクル・リナックスとともに歩んできたが、取締役というよりも、技術屋としてミラクル・リナックスのV1.0の開発、OSDL (Open Source Development Lab -- The Linux FOundationの前身)への参画、そしてAsianuxプロ

  • ユメのチカラ: なぜメリークリスマスが禁句なのか?

    1989年年末、わたしは米国ニューハンプシャー州にいた。米国DECのRdb開発チームに出向になっていて、せっせとアジア版Rdbのコードを体へマージしていた。 日人で米国ニューハンプシャー州ってどこにあるのか知っている人は少ない。初対面の人となんかでニューハンプシャー州に居たんですよという話になって、ああ私も実はなんてことになると、一気に盛り上がってしまう。マサチューセッツ州の北にある、縦長の州で、米国独立時の13州のうちの一つである。ニューイングランド地方の一つである。紅葉が綺麗だ。 80年代は、日の産業が実力以上に元気で、米国とは経済摩擦を引き起こしていた。半導体は日のメーカーがトップ10のうち多くを占めていたし、銀行もぶりぶり言わせていた時期である。日企業が米国の資産を買いあさっていたバブルのころである。 ニューハンプシャー州のナシュアという田舎町で働いていたころ、会社の帰り

  • ユメのチカラ: 開発工程を別々に担当してはいけない

    古典的なウォータフォールモデルでは、ソフトウェア開発を要求仕様分析、概要設計、詳細設計、実装(コーディング)、内部テスト、統合テスト、運用、保守みたいな工程にわけ、通常は各工程を別々の人が担当するというような方法がよくおこなわれている。 特に、要求仕様の分析、概要設計などは上流工程などとよばれていて、詳細設計、実装とは別の人ないしは組織が担当する。実装とかテストは下流工程などとよばれている。 よくあるパターンとしては元請けが上流工程を、下請け、孫請けが実装やテストなどを担当し、人月単価も下流の方が安い。 ウォーターフォールモデルでは各工程毎に成果物(仕様書や各種ドキュメント、プログラム)が大量に生産される。各フェーズ毎に定義された成果物がそろってから次のフェーズに移行するというのが建前なので、各フェーズでのドキュメントはどうしても冗長になりがちである。 一度固定した文書は次のフェーズで変更

  • ユメのチカラ: シリコンバレーの思い出

    今から約10年くらいまえにシリコンバレーにいた。米国Oracleのデータベースエンジンの開発部隊にいた。さらにそれを遡ること数年前、米国DECのデータベースの開発部隊、これは東海岸(New Hampshire州Nashua)にあった、で開発していた。 われわれはよく欧米とか言う。欧州の国々の文化と米国の文化を一緒くたに議論したりしがちである。しかし、米国と英国ですら文化的には随分違うし、ドイツスペイン、スウェーデンなどなども相当違うのではないかと想像する。 米国ですら、東海岸と西海岸も生活してみて、これが同じ国かというほど違う。東海岸といっぱひとからげに言うのも語弊があるかもしれないが、ニューハンプシャー州の住んでいたところと、西海岸のシリコンバレーでは気候も回りの人々も随分違う。 東海岸の米国DECは典型的な垂直統合型ビジネスモデルで、会社の文化も、西海岸の水平統合型の米国Oracle

  • ユメのチカラ: オープンソースの破壊力

    池田信夫氏がフューチャリスト宣言がオープンソースを誤解しているとブログで書いている。「    『オープンソースというのは、誕生してからわずか10年以内です。もともとフリー・ソフトウェアというのはあったけれど、それは一つの研究室の中で作られるなど、物理的制約に縛られていた。(p.33)(フーチャリスト宣言)』 Richard Stallmanが聞いたら、椅子から転げ落ちるだろう。GNUプロジェクトができたのは1984年、Linuxの開発が始まったのは1991年だ。 EmacsもTeXも、インターネットを使ってさまざまなバージョンが共同開発された。たしかに"open source"という言葉をEric Raymondが使い始めたのは1998年だが、それ以前からTCP/IPもHTMLも、すべてオープンだったのだ。オープンとかフリーとか強調していないのは、初期のハッカーにはそれが当たり前だったから

  • ユメのチカラ: ブログと人材採用

    事業拡大にともなって人材の積極的な採用を継続的におこなっている。われわれソフトウェア製造業は、人材が価値を生みだすので、人が全てといっても他ならない。再三このブログで記しているとおりである。 実は、このブログ(ユメのチカラ、2007年1月23日23:00)「人材」で「弊社ではエンジニアを募集中であるが、びびらないで気楽に応募してほしい。」などと記したのであるが、ある元気のいいエンジニアが応募してきた。面接、試験などを経て先日、はれて入社。おめでとうございます。 さて、最近入社の人達とランチべる機会があって、いろいろお話をうかがうのだが、入社のきっかけとか動機というのは、人それぞれで面白い。最近増えてきたのが弊社のブログを読んで社風が気にいったとか、楽しそうだとか、物を作りたいとか、そーゆーポジティブな印象を弊社のブログから受けたからというのがある。 入社をしたいというくらいだから、弊社

  • ユメのチカラ: Rubyって何よ。

    先日、NHK土曜ドラマ「ハゲタカ」の事をこのブログで書いたものだから(「ハゲタカ」、「職人気質」など)、日頃このブログの読者でない方も多数訪問されている。ご訪問ご苦労さまです。45度おじぎ。(ぺこり) ハゲタカファンの皆様にとってはこのブログ、わけのわからない、Rubyだ、オープンソースだ、gdbの使い方だで、ほとんど興味を引かないものばかりかと思うのだが、ここは一つ、ハゲタカファンの皆様にRubyについて、お話をしてみたいと思う。 Rubyというのは、まつもとゆきひろという一人のプログラマが作ったソフトウェアである。(ふむふむ)。ソフトウェアを記述する言語のことをプログラミング言語というのであるが、Rubyはそのプログラミング言語の一種である。(ふーん)世界には様々なプログラミング言語があるのだけど、Rubyは赤丸急上昇の人気言語なのである。 ソフトウェアの世界にも流行すたりがある。プロ

    mathatelle
    mathatelle 2007/04/29
    難しいことをわかりやすく伝える
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