あくまでクジャクの話です。 小出もと貴 ”男らしさがない”という理由で、彼女に浮気されフラれた教師・久慈弥九朗。世の中ジェンダーフリーのはずでは…!? と苦悶する彼の前に、モデルでインフルエンサーで成績優秀で“生物学部”部長の女子・阿加埜が現れ、生物学部の顧問になってくれと迫る。そして、なぜ結局「男らしさ」がモテるために必要なのか、クジャクの派手な羽を例に“生物学的”な説明を始める…! 身も蓋もない残酷な真実を突き付けまくる、生物学コメディ!
あくまでクジャクの話です。 小出もと貴 ”男らしさがない”という理由で、彼女に浮気されフラれた教師・久慈弥九朗。世の中ジェンダーフリーのはずでは…!? と苦悶する彼の前に、モデルでインフルエンサーで成績優秀で“生物学部”部長の女子・阿加埜が現れ、生物学部の顧問になってくれと迫る。そして、なぜ結局「男らしさ」がモテるために必要なのか、クジャクの派手な羽を例に“生物学的”な説明を始める…! 身も蓋もない残酷な真実を突き付けまくる、生物学コメディ!
※以下、結末までのネタバレを含みます。 信仰と赦しそのとき、ペトロがイエスのところに来て言った。「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。」イエスは言われた。「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい」(『新約聖書』「マタイによる福音書」18章21-22節) サラ・ポーリー監督・脚本の映画『ウーマン・トーキング 私たちの選択』(Women Talking、2022)は、実際に起こった事件に触発されて作られた。2005年から2009年にかけて、ボリビアのメノナイトが住むコロニーで、女たちが朝目覚めると体に不可解なアザなどがあるという出来事が続発するようになる。メノナイトはプロテスタントに属する再洗礼派と呼ばれる宗派のひとつで、このコロニーにはとくに保守的な宗派の信徒が住んでいた。しばらくは悪魔の仕業ではないかなどと言われていたが、実
はてぶを長く使っていると、他のプラットフォームと同様に、プラットフォーム利用者およびそのコミュニティをさげる発言を見かける。 例としては以下のような感じだ。 はてなー「はてなーは異常者の集まり」 2ちゃんねらー「2chなんて便所の落書きだよ」 ついったらー「ツイッターは陰キャが使うSNS」 物事に懐疑的で批判的な姿勢を持つことはいいと思う。 ただモヤモヤも同時に感じる。 そういう人の投稿履歴をみると、かなり長い時間入り浸っていたりするのだ。 企業のサービスを存分に利用し依存しておきながら、サービスのユーザーやコミュニティを腐すような発言をする。 愛国者と呼ばれる集団が、日本を少し批判的に書いた記事に烈火のごとく怒りまくる様子をみて滑稽だなと感じたことはあるが、俺はハテウヨ化しているのだろうか。 はてなに愛着を感じてはいないし、なくなればそれはそれで問題なく、すぐに忘れるだろう。 時間を潰す
バブルの頃、仕事から帰ってくると、母親と子どもたちの楽しそうな団らんの輪の中に入れず、居場所をなくした男性の話をよく聞いた。 同じ頃、定年退職した男性が「濡れ落ち葉」になる話も。会社という居場所を失った男性が、濡れ落ち葉のように妻にベッタリまとわりついて離れなくなる現象。 昔、仕事人間だった男性から久しぶりに電話が。日本会議に参加して充実してるという。話を聞くと、貞淑さを失った女性、年上への敬意を欠いた若い世代を嘆き、男性が再び敬意を受ける社会に戻したい、という話をしあっているらしい。そうか、日本会議は居場所のない男性に居場所を提供してたのか。 再びバブルの頃。新興宗教が盛んだった。景気はよいからお金には困らない。しかし、自分を必要としてくれるものがなく、居場所を見つけられない若者が多かった。そんな中、「退廃した社会を正すのは君だ、それが君の使命だ」と言葉をかけられ、居場所を新興宗教に見出
■追記 続き https://anond.hatelabo.jp/20240830173230 ■ここから本文 ホームレス関連の投稿がバズっているので、ホームレス経験者の俺が思い出を語るぞ!! https://anond.hatelabo.jp/20221120222034 「ホームレス?今は福祉が充実しているから好きでやってるんじゃないの?」 「結局ドヤ(安宿)で寝れるからそんなにつらくないんじゃない?」 「実際気楽なんでしょ?」 という声を聞くので、全部答えるぞ!!! ではまず睡眠編!! ダンボールが快適なのはガチ。「家電製品に使われるダンボールは二重になっているからより快適」という情報が一部であるが、それはウソ。無尽蔵にあるダンボールを重ねれば良いだけなので、元から二重なのかどうかはほとんど関係がない。たまにペラペラのダンボールだと重ねても地面の冷たさが伝わってくるが、より重ねてダン
『巨人の星』の“父殺し” 『シン・エヴァンゲリオン劇場版』(以下『シン・エヴァ』正式には末尾にリピート記号)を観て、ちょっと驚いたのは予想以上に親子関係が大きな要素を締めていたからだ。だから映画を観ながら、これまでのアニメで描かれてきたさまざまな親子関係──特に父子関係──が頭の中をいろいろ去来することになった。アニメはいったい、どんな父子関係を描き、そこで“父殺し”はどういうかたちで表現されてきたのだろうか。 アニメに出てくる父親の中で有名な存在といえば、まず『巨人の星』の星一徹が挙がるだろう。星一徹は太平洋戦争のために巨人で活躍することが叶わなかった野球選手で、その思いが息子の飛雄馬に託されることになる。そしてこの「父の夢」がある種の“呪い”となって飛雄馬を呪縛することになる。 心理学者の河合隼雄は、父性原理を「切断」によって規範を示し、子供を鍛えるもの、母性原理を「包含」によって、子
Keeping Science and Ideology Apart May 11, 2013 by Peter Turchin 〔私が運営している〕社会進化フォーラム(the Social Evolution Forum: SEF)は、科学にフォーカスを当てることを指針としている。一方、イデオロギー的だったり党派的だったりする投稿やコメントは歓迎されていない(これまででそのようなコメントを削除したのは2件だけだ。大抵は、話題を政治に移すのは控えてほしいとだけ頼めばそれで事足りた)。 SEFでイデオロギーに基づく議論を禁止するのには、十分に実際的な理由が存在する。インターネットの黎明期、私はネット掲示板やオンラインフォーラムの多くをを追っていたのだが、そこでは議論が当初のテーマから政治の話題に移ると、激しい人格批判がなされるようになり、議論が終わってしまう、というウンザリするような光景が繰
pixivに初めて投稿したのは約八年前になる。 それから長い時間が経って、今は野良のプロとして漫画を描いている。特定の組織には所属していない。ごく稀にR18雑誌に寄稿したりもするが、基本はずっと一人だ。 今回、こうしてエッセイみたいなのを増田に投稿しようと思ったのは、感謝の念が芽生えたからだ。 ずっと、社会に恨みを抱いて生きてきた。子どもの頃からストレスが多い環境にいたせいだろう。最近、ようやく周りに感謝ができるようになった。以前は、作品を認めてくれるファンの人だったり、SNSで意見やコメントをくれる人だったり、本気で叱ってくれる人にしか感謝できなかった。 最近になって、子どもの頃から散々な目に遭わされた家族とか、昔々の、辛い状況でも諦めなかった自分に感謝ができるようになりつつある。ちょっと長くなるけど、自分語りをさせてほしい。 見た目があまりよくない。いじめに遭うことが多かった。 虫取り
社会の底辺層はプライドが高く自分が底辺にいることは認めない。むしろエリート階層をバカにする言説が好きで自己正当化する。左翼的な貧困層への支援をするような動きには賛同しない。というような現象を社会学的に分析したのがポールウィリスの「ハマータウンの野郎ども」。学校が勉強を強制するのに対して勉強しない自分を正当化するために勉強ができる子をガリ勉とバカにし、勉強以外の別の価値を見出す。 勉強を強制する学校に反抗して、進学より労働に意味を見出し、自ら底辺層の仕事に就く。 学校は勉強嫌いな子を量産することで底辺労働に人材供給するのに成功しているのだ。彼らは左翼運動に反対して自ら搾取される階級に飛び込む。結果として搾取を前提とする資本主義社会の再生産が継続していく。 こんな本を数十年前に読んだのを思い出した。
プロジェクトX [Blu-ray] 出版社/メーカー: ワーナー・ホーム・ビデオ発売日: 2013/07/03メディア: Blu-rayこの商品を含むブログ (4件) を見る 『クロニクル』について言及される際に本作も対で語られることが多い印象だったのでこちらも借りてみた。 うだつの上がらない高校生が主人公であり、また登場人物が撮影した映像を基にした作品という設定が共通するものの、こちらは超能力とは関係ない。 感想を簡潔に言うと、優れた映画かは分からないが、とても心地よかった。 主人公トーマスは父親も「あいつはルーザーだ」と漏らすくらいのとりえがなくイケてない高校生だが、ちょうど両親が留守にする週末に行う誕生日パーティを誰も忘れられないものにしてやろうと悪友二人ともくろむ。 主に悪友コスタの手引きにより、パーティには「イケてる」側の連中もやってきて三人は喜ぶものの、じきに彼らにも制御不可能
根本敬と村崎百郎が「日本を下品のどん底に突き落としてやりたい」と心の底から叫ばねばならないほど1990年頃の日本は抑圧的なオシャレと健全さと明るさと偽善のファシズムに支配されていた。それを知らない人が悪趣味や鬼畜カルチャーを批判しないでほしい。 https://t.co/N5Etah5EnC — 町山智浩 (@TomoMachi) 2021年7月20日 「90年代に悪趣味や鬼畜やってたのはお前だろう」と言われたら「はい、そうです」としか言えないが、それは電通フジテレビでセゾンでトレンディで一言でいえばSuntoryThinkingAboutTheEarthビール的なオシャレでバブルで偽善的で反吐が出るようなクソ文化への反抗だったんだけど、わかんねえだろうな。 https://t.co/LdyWQuE6cb — 町山智浩 (@TomoMachi) 2021年7月20日 知ってるから批判するけ
実力も運のうち 能力主義は正義か? 作者:マイケル サンデル 発売日: 2021/04/14 メディア: Kindle版 「能力主義」に対する批判には、二つのパターンが考えられる。「不徹底な能力主義」に対する批判と、「能力主義」そのものに対する批判だ。 学問的なものにせよインターネットなどにおける世俗的なものにせよ、能力主義に関する昨今の議論でなされている批判の大半は、「不徹底な能力主義」に対する批判である。 この批判は、「能力主義は出自や属性に縛られずに自分の意志と努力と才能で自分の人生を決定するチャンスを人々に与えるのであり、機会の平等を保証して、社会の流動性を高めるものだ」という主張に対して、「実際には能力主義の社会でも人々は出自や属性に縛られており、生まれ落ちた環境や場所によって人々の人生はあらかた決定されている」、という事実を突きつけるものだ。 たとえば、アメリカでは大学受験は階
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く