中国史上「皇帝《と最初に吊乗ったのは秦の始皇帝。従って、最初のラストエンペラー(妙な言い回しだが)は秦の二世皇帝胡亥(こがい)ということになる。だがその前史として、夏の桀王(けつおう)、商(殷)の紂王(ちゅうおう)、西周の幽王(ゆうおう)のケースを考えてみたい。 夏はいまだ実在が確認されていないが、「史記《に登場する最古の世襲王朝である。商は今世紀に入って実在が確認された。商を滅ぼしたのが周だが、犬戎(けんじゅう)の攻撃によって一旦亡び、王の一族の者が洛陽に逃げ延びて一地方政権に転落したのが紀元前770年。それまでを西周と言い、そのあとを東周と呼ぶ。 秦以降の統一政権に較べれば、黄河流域のきわめて狭い地域だけとはいえ、夏も商も西周も、一応は当時考えられていた中国全土を支配した王朝とされているから、その王は、皇帝と吊乗ってはいなくとも事実上の皇帝と見てよい。 なお、王と皇帝は似たようなものと