女性が男性になりすまし「イケメンだらけの男社会」で生活する。そんなテレビドラマが目立った。これだけ同趣向の設定の作品があいついだのは偶然の産物なのか? 視聴者は何を求めているのか、その背景と心理を探る。 「男装で潜入」モテモテになるドラマ 2011年7月から、女性が男性になりすまして男性社会で生活するテレビドラマが同時期にあいついで放送された。その要因として直接的な影響力があったのは、10年に日本で巻き起こった韓流ドラマ「美男(イケメン)ですね」とチャン・グンソクブームである。09年に韓国SBSで放送された「美男ですね」は、10年7月からBSジャパンとフジテレビで放送され大きな反響を呼んだ。その後、11年1月と4月に2度にわたってフジテレビで再放送されたことからも人気のほどがわかる。 10年のチャン・グンソクブームが、11年になって「美男ですね」の日本版制作(TBS系)と設定がよく似た、「
霊芝(れいし)やふじばかまのように、よい香りのする草といっしょにいると、その霊気や香りが身体にしみつくように、善人や君子といっしょにいると、自然に感化されよくなるという意味。すぐれたすばらしい友人との交際によって、自然に受けるよい影響や、美しい徳の感化を受けることをいう。 『書言故事(しょげんこじ)―朋友類・芝蘭』に、「謝二朋友作成一、曰三仰拝二芝蘭之化一」とある。 〔例〕入学式の祝辞などで、「勉強ももちろん大切でありますが、よい友人をつくらなければ、学園生活の意味がございません。芝蘭之化という言葉がありますが、香り高い花の中にいれば、よい香りが身につくように、よい友人が得られれば、知らず知らずのうちに感化されていくものです」というように使う。
コロナ禍の繁華街「新世界」と通天閣(大阪市浪速区) 総合的な目で大阪維新の会を分析する必要性 2021年10月31日に行われた第49回衆議院議員選挙において、大阪維新の会を母体とする日本維新の会は、大阪府内において圧倒的な勝利を収め、前国会から4倍近い議席増を果たした。メディアは維新の躍進を報じ、一部の論者は大阪における維新支持の構図が極めて盤石であるとの分析を報告している。論評のいくつかは、大阪府内で強化される「維新の会」の支持が、メディア支配やポピュリズム的傾向によるものではなく、大阪維新の会の政策運営に対する有権者の合理的な評価の結果であるとしている。例えば、関西学院大学教授の善教将大(ぜんきょう・まさひろ)氏は、維新の会の衆議院選挙における躍進の背景として、大阪府と市の行政機能の調整に際してリーダーシップを発揮した大阪維新の会に対する大阪府民の評価が広がったのではないかと分析を加え
光州市民たちの大規模なデモは「主権者であり憲法制定権力である国民として、新軍部側の国憲紊乱行為に立ち向かい憲法守護のために結集したもの」とされ、被告(全斗煥や盧泰愚)がこれを暴力で粉砕したことを内乱行為とした。これにより「光州事態」は「光州5.18民主化運動」となり、光州の市民軍や尹祥源は歴史の勝利者となった。 望月洞旧墓地の敷地内にある、民主化運動で命を落とした人々の遺影を集めた施設。「大韓民国は民主共和国である」という憲法第一条が刻まれている。(筆者撮影) だがその真相がすべて解明されたわけではない。特に5月20日の光州駅前、21日の全南道庁前での発砲命令を誰が下したのかというのは未だに一つの焦点となっている。当時の状況から、命令を下したのは全斗煥や空輸部隊を率いた鄭鎬溶(チョン・ホヨン)特戦司令官などと見られているが、これが明らかになった場合、内乱目的殺人罪の適用範囲が広がることにな
「光州事件」を超えて〜韓国民主化の中で40年生き続けた光州5.18を知る(中)から続く 【(上)はこちら】 民主化を求めて軍に立ち向かった韓国・光州市民たち。(1980年5月23日) (6)光州が残したもの 「市民の皆さん、今、戒厳軍が押し寄せています。愛する私たちの兄弟、姉妹たちが戒厳軍の銃剣により死に向かっています。私たちは皆、戒厳軍と最後まで闘いましょう。私たちは光州を死守します。皆さん、私たちを忘れないでください。私たちは最後まで闘います。市民の皆さん、戒厳軍が押し寄せています」 戒厳軍が攻撃を開始する直前の(1980年5月)27日午前3時50分、静寂の中、全南道庁屋上のスピーカーから流れた朴泳順(パク・ヨンスン)のこの訴えを、少なくない光州市民が耳にした。全南道庁の制圧後、光州は早くも日常に戻ったが、27日晩にも全南大学の付近で知人の家に本を借りに行く途中だった15歳の少女が戒厳
「光州事件」を超えて〜韓国民主化の中で40年生き続けた光州5.18を知る(上)から続く 襲いかかる軍から逃れる光州市民(1980年5月20日) (4)市民軍の結成 明くる(1980年5月)21日に戒厳軍は20師団を投入し陣容を厚く整えた。さらに市外電話を完全に遮断し、列車とバスの運行も止めるなど光州を孤立させようとした。全南道庁前で再び市民と戒厳軍が睨みあう中、午後1時頃に道庁屋上のスピーカーから「愛国歌(国歌)」が流れると同時に一斉に発砲が始まった。市民に照準を合わせた「射撃」だった。付近のビルの屋上からはスナイパーが市民の頭を狙った。ヘリからの機銃掃射もあった。妊婦が、女学生が、父親が、目の前で撃たれ次々に死んでいった。 一方で、市民は武装を始めた。自動車工場から組み立て済みの自動車と装甲車を奪った。さらに近郊の街である羅州(ナジュ)市、和順(ファスン)郡、霊岩(ヨンアム)郡、潭陽(タ
2018年、『タクシー運転手〜約束は海を越えて~』と『1987、ある闘いの真実』という2本の韓国映画が日本で静かなヒットを呼んだ。それぞれ1980年5月の「光州5.18民主化運動」と1987年6月の「6月抗争」という、韓国の民主化と関わる大きな歴史的事実を題材としたものだ。 この二つは別々の出来事ではない。それどころか「光州5.18がなければ6月抗争もなかった」と言われるほど密接な関わりがある。韓国で5月、6月は韓国民主化を考える上で欠かせない時期とされる。本稿を通じ40周年を迎えた「光州5.18」を理解することが、今なおダイナミックな韓国社会を知るヒントになるだろう。 旧全羅南道庁の全景。今は「5.18民主広場」と名を変えた手前の噴水台のある広場を含め、光州5.18民主化運動の中心地となった。(筆者撮影) (1)想像を絶する出来事 習志野に本拠地を置く第一空挺団は、日本の自衛隊における最
『鬼滅の刃』という作品がこれほどの人気作となり、未曽有(みぞう)の記録を打ち立てているのはなぜなのか。様々な理由があるでしょうし、それは様々な専門家や評者、読者やファンが今後それぞれの角度から分析していくことだと思います。 私はここで、マンガの『鬼滅の刃』を一読者として正面から読みながら、自分なりにその秘密に迫ってみたいと考えています。ネチネチした進み方になるかもしれません。私が自分なりに言葉にしてみたいのは、『鬼滅の刃』という作品が、この世界の残酷さと理不尽さにいかに向き合っているかということ、自分の中にもひそんでいるかもしれない「鬼」の怖さをごまかしていないこと。にもかかわらず、この作品の主人公たちが人間の日々の努力や勇気の意味を、そして他人に対する強い信頼の心を見失っていないのはなぜかということです。そしてそれらすべてが、きっと若者や小学生たちの心にも届きえている――その意味について
◆◆◆ 鬼になった禰豆子を殺そうとする義勇に対し、炭治郎は土下座して殺さないでくれ、と嘆願します。それに対し義勇は、驚いたことに、「生殺与奪の権を他人に握らせるな!!」と炭治郎を叱りつけます。家族を殺され、妹は鬼になり、混乱と悲しみのさなかにある少年に対しては、あまりに過酷な言葉に見えます。しかしそれはたんなる叱咤ではなく、じつは激励でもあります。文字通りの叱咤激励です。 義勇からの「生殺与奪の権を他人に握らせるな!!」という言葉は、この世界の残酷さ、理不尽さという「真理」を炭治郎に伝え知らせるための言葉なのですが、上記のような非対称な状況にもかかわらず、それがたんなるハラスメント的な言葉ではないのは、義勇自身が誰よりも鬼の犠牲者の痛みと無力さをわかっているからでしょう。 義勇はさらに「弱者には何の権利も選択肢もない、悉く力で強者にねじ伏せられるのみ」「鬼共がお前の意志や願いを尊重してくれ
才能や実力が大事なのはもちろんですが、人間の才能や実力には限界があるのであって、どんなときにも努力が必要なんだ、と。 とすると、『鬼滅の刃』型の努力主義は、自己啓発的な自助論や、新自由主義者たちの言う自己責任論や、家父長制度的な男らしさに紐づけられた能力主義(メリトクラシー)等々とおんなじものなのでしょうか、といえば、やはりそれは単純には同一視はできないものと思われます(鱗滝さんに育てられ、すでに殺された錆兎〈さびと〉の「男なら~」というセリフの「男らしさ」規範や、あるいは炭治郎の「長男だから~」という自己啓発的な自己鼓舞に対する批判をネットなどでは時々見かけますが、さすがにそれはどうでしょうか)。 たとえば自己啓発的な思想のロジックでは、一般的に「努力すれば人は必ず勝てる、成功できる」とされます。というのは、「現実的に負けたなら、それは本人の努力が足りなかったから」と見なされるからです。
また、他の映画の上映などに対しても、右翼団体などの街宣車による抗議活動などで上映を断念するケースもあり、日本の戦争加害や戦争責任を問うような内容の作品に関しては公開を自粛する傾向が支配的です。 しかし不思議なことですが、冒頭でも触れたようにドイツ人たちが行った戦争における残虐行為や戦争犯罪に関する映画は日本ではヒットするのです。 ではドイツ人たち自身はどうでしょうか。西ドイツは戦後、1960年代頃から自国の戦争犯罪や戦争加害に向き合い始めました。東ドイツはもっと早い段階で映画を通じてこの問題に取り組んでいます。戦後初のドイツの国産映画第1号である『殺人者はわれわれの中にいる』(1946年)はドイツ軍による占領地区での市民の大量虐殺を主題にした作品です。彼らも自国民の戦争犯罪を映画で観るときに、私たちが抗日映画を観るときに感じる苦痛と同じものを受けるはずです。しかしながらドイツでは、抗議行動
『この世界の片隅に』が描かなかったもの 2016年に公開されたアニメーション映画『この世界の片隅に』(片渕須直監督)は、観客から絶大な支持を集めた作品として今も記憶されています。なぜ、戦争をテーマにしたこの作品が支持を集め、ロングランのヒットとなったのか。当然ながらこの映画の内容に多くの人が共感したからにほかなりません。 満州事変から敗戦に至る十五年戦争を背景に、主人公の少女すずさんが成人して結婚し、戦争が激化する中で苦難に耐え、明るく希望を失わず夫や家族と共に生きてゆく姿に感動を覚えた人も多いことでしょう。この作品のヒットは、木下恵介監督の『二十四の瞳』(1954年)や市川崑監督の『ビルマの竪琴』(1956年)が当時の観客から絶大な支持を集め、今も日本における反戦映画の名作として位置づけられていることの延長線上にあります。 映画『この世界の片隅に』チラシ その一方で、日本では、ホロコース
かねて問題視されてきたコンサートチケットの高額転売。厳密な個人確認を行うなどの対策を取るアーティストもいるが、インターネット上の転売サイトをのぞいてみれば、定価の何倍もの値段でチケットが流通しているのが実態だ。こうした事態に経済学はどう応えることができるのだろうか? 経済学の中でも「マーケットデザイン」という新しい学問分野の専門家である坂井豊貴教授は、「ダフ屋は悪くないが、ダフ屋を必要とするいまのチケット市場の出来はひどく悪い」、「適切にデザインされたオークション市場でチケットを売れば、アーティスト側は儲かるし、ファンはダフ屋に仲介料を払わなくて済むようになる」という。 チケット転売に反対する音楽業界 「私たちは音楽の未来を奪うチケットの高額転売に反対します」――。日本音楽制作者連盟、日本音楽事業者協会、コンサートプロモーターズ協会、コンピュータ・チケッティング協議会ら4団体は、2016年
『小さいおうち』が描く戦前の中流家庭の豊かさ 昭和初期を描いた中島京子さんの小説『小さいおうち』。2010年に刊行され、第143回直木賞を受賞した作品だ。14年には名匠・山田洋次監督によって映画化された。この小説が最近、あらためて読み直されている。決して劇的とはいえない静かな物語の向こうに、「今」という時代の危うさが透けてみえるというのだ。中島さん自身はどんな思いで今の世相を見つめているのだろう。お話を伺うことにした。 『小さいおうち』の舞台は1930年代後半(昭和10年以降)、東京の私鉄沿線の町に住むサラリーマン家庭の「平井家」だ。主人公は東北からこの家に女中としてやってきた「タキ」という名の少女。彼女は平井家が暮らす赤い三角屋根の和洋折衷の美しい「文化住宅」に心惹かれる。それがつまり、「小さいおうち」だ。タキはそれ以上に、この家の「奥さま」である時子の優雅さに憧れ、彼女に仕えることに幸
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