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『鬼滅の刃』を読む――この残酷な世界の中で誰もが鬼にならずにすむように 杉田俊介(批評家)
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『鬼滅の刃』を読む――この残酷な世界の中で誰もが鬼にならずにすむように 杉田俊介(批評家)
才能や実力が大事なのはもちろんですが、人間の才能や実力には限界があるのであって、どんなときにも努... 才能や実力が大事なのはもちろんですが、人間の才能や実力には限界があるのであって、どんなときにも努力が必要なんだ、と。 とすると、『鬼滅の刃』型の努力主義は、自己啓発的な自助論や、新自由主義者たちの言う自己責任論や、家父長制度的な男らしさに紐づけられた能力主義(メリトクラシー)等々とおんなじものなのでしょうか、といえば、やはりそれは単純には同一視はできないものと思われます(鱗滝さんに育てられ、すでに殺された錆兎〈さびと〉の「男なら~」というセリフの「男らしさ」規範や、あるいは炭治郎の「長男だから~」という自己啓発的な自己鼓舞に対する批判をネットなどでは時々見かけますが、さすがにそれはどうでしょうか)。 たとえば自己啓発的な思想のロジックでは、一般的に「努力すれば人は必ず勝てる、成功できる」とされます。というのは、「現実的に負けたなら、それは本人の努力が足りなかったから」と見なされるからです。