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ブックマーク / ameblo.jp/addicto (8)

  • 『「ギンガ、ギンガ、ギンガ」(後編)蒼きヤマトへの憧憬(68)』

    これ(「ギンガ、ギンガ、ギンガ」・前編)の続き。 ※英語記事からの再変換、適宜編集、脚色のため、 事実証言と語句が一致しませんが、悪しからず。 「宇宙戦艦ヤマト」の初期案「アステロイド6」 (1973年4月下旬に、豊田有恒氏に依頼)は、 〈アステロイド号〉の乗組員の6人が、別個の惑星を訪れ、それぞれが重要なアイテムを入手して船に帰還する話。 小沢さとる氏の未発表作品「ギンガ、ギンガ、ギンガ」 (1966年に、200ページの鉛筆下書き原稿が存在)は、 戦艦大和を模した宇宙船〈ヤマトワンダー号〉が、3つの銀河を旅して、必要な物資を手に入れていく話。 ----というわけで、ほぼ同時期に、似通った話が、共通のデザインコンセプト(=戦艦大和の宇宙版)で、まったく別々に展開していた。 それだけに、西崎氏は小沢氏の自宅で見せられた原稿に、思わずうなったという。 その影響もあって、「ギンガ、ギンガ、ギンガ

    『「ギンガ、ギンガ、ギンガ」(後編)蒼きヤマトへの憧憬(68)』
  • 『奇跡の軌跡「生賴範義 展 THE ILLUSTRATOR」in 上野の森美術館〈その1〉』

    「生賴範義 展 THE ILLUSTRATOR」in 上野の森美術館 企画を実現させた主催者、 (ORAI氏からのゆかりをもじって)OIRA氏のてんまつ報告は、 Facebook内の記事、 ここでも読める。 とはいえ、ブログから参照リンクをたどる人は少なく、 ここでそれを置き去りに、 私ごときの感想を書くのもどうかと思うし、 ご当人から以前に展覧会の告知をいただいたこともあり、 ここに図々しく無断転載して、皆様に強制的に読んでいただくことにする。 (一部編集・適宜改行) OIRAの異常な愛情(加筆版) または 私は如何にして心配するのを止めて生賴範義 展を開催するようになったか 「生賴範義 展 THE ILLUSTRATOR」in 上野の森美術館での開幕にあたり、 以前、展覧会開催までの経緯をまとめた不定期連載を一部加筆して再掲させていただきました。 (長文です) 1979年の「スターロ

    『奇跡の軌跡「生賴範義 展 THE ILLUSTRATOR」in 上野の森美術館〈その1〉』
  • 『松本零士の宇宙戦艦ヤマト(その5)のルーツ』

    「松零士の宇宙戦艦ヤマト」の最終回。 1974年4月。 小沢さとる氏の代役として、急遽「宇宙戦艦ヤマト」のメインビジュアル(キャラクターデザイン/メカデザイン/美術設定)に起用された松零士氏。 松氏の作品への貢献は、視覚面のみにとどまらず、 設定面やストーリー面でも多大で、 頓挫気味だった企画を飛躍的に加速させ、 それが故の、後年の「全部自分でやった」という自負と主張に結びつくのだが、 それはともかく、 いきなりの起用にしては、待ってましたとばかりに、 水を得た魚のような活躍ぶり。 西崎氏が話を持ちかけた時、小沢氏にはすでに、 「ギンガ、ギンガ、ギンガ」(1966)のヤマトワンダーがあったが、 松氏にも、事前にできあがっていたものがあったんだろうか。 例として思い浮かぶのは、「電光オズマ」(松あきら名義・1961)に登場する、 その名もズバリの、宇宙戦艦大和(うちゅうせんかんやま

    『松本零士の宇宙戦艦ヤマト(その5)のルーツ』
  • 『インターバル/大河原ザクを求めて(39)』

    今回は、話を先に進めずにちょっと立ち止まり、これの補足説明から。 デザイン と クリンナップ(設定画決定稿) は同一人とは限らず、そこらへんの線引きが曖昧でしたね。 もう一度きちんと仕切り直しておくと、 ガンダムの「デザイン」は、基的には大河原邦男。 ↑ガンダム大河原邦男バージョンの、ほぼ最終デザイン+色彩案。 このままだったら、「機動戦士ガンダム」という番組は、エポックとなり得たかどうか……。 「このドラマの主役に、口はないでしょ」と、 唇周りをカバーで覆い、 ↑準備稿(左)と決定稿(右)では、平行に走る2のスリットの位置が違う。 ↓原画は共に、安彦良和。 サマになる立ち姿の全身図を描き直し、 色まで決めたのも、安彦良和。 ↓かくして、危機は回避された! ガンダムの口以外に、安彦良和が「デザイン」した「メカ」は、 ガンキャノンと、 ↓ガンキャノンのデザイン変遷。 左の2点は安彦良和。

    『インターバル/大河原ザクを求めて(39)』
  • 『その後のヤマト/松本零士の宇宙戦艦ヤマト(その4)』

    これ(訂正記事だョ!全員集合〈その9〉/松零士の宇宙戦艦ヤマト・その3)の続きですが、その前に。 “ぷうぺら”さんから、 >当時のアシスタントの新谷かおる氏が、ジャンケンで負けて描いたため。 この情報ソースはおそらく島和彦の同人誌が一次情報だと思いますが、それに準じて関連画像を掲載するなら誌上で使われている超大型ミサイルの爆煙から飛び立つカッコイイ画稿を使うべきです。(同人誌ではここから島和彦が考える松パースの論考へ移っていきますので) ↓このコマですね。まぎれもなく、松零士人が描いてます。 ↑島和彦は、件(くだん)のアンソロジーで、この画稿のニュアンスを再現している。 新谷かおる=ブサイクヤマトの文面構成は全カットを新谷かおるが描いていなければ成立しませんので注意が必要と考えます。(私見ではペンタッチやパース取りが統一されていないので一人でやっていたとは思いません) 幻とな

    『その後のヤマト/松本零士の宇宙戦艦ヤマト(その4)』
    maturi
    maturi 2014/03/09
     みたことない流産デザイン画がいっぱいあって
  • 『その後のセブンとタロウ/内山まもるのウルトラマン(43)』

    3年もの中断を差し挟みながら、4年の長期に渡った、「ザ・ウルトラマン」(1975~79)について、 ↑「エース」「タロウ」「レオ」の抜粋抜きで、75年から79年までの、純然たる「ザ・ウルトラマン」を1冊でまとめて読むなら、これしかない。 ブログでも通算20回以上も記事にしてきたが、 次回作「ウルトラ戦士 銀河大戦争」についての分析は、 ↑このが発売されるまでの辛抱です。 8月にならないとできないので、しばらくは、依然「ザ・」で引っ張らざるを得ない。 そこで今回は、ウルトラセブンと、その従兄弟(いとこ)のタロウの、「ザ・」での描かれ方について。 両者とも、「ザ・」全編を通して一貫したスタイルというわけでなく、変遷があるので、まずは前段として、第2ウルトラシリーズ現役時代(1971~75)をふりかえり、それから話を先に進めよう。 ウルトラセブン(その1) ウルトラセブン(その2・「ザ・」の

    『その後のセブンとタロウ/内山まもるのウルトラマン(43)』
    maturi
    maturi 2014/01/12
  • 『いつから父に?』

    ふと疑問に思ったことはありませんか? ダース・ベイダーは、 いつから 「ルーク・スカイウォーカーの父」 ということになったのでしょう? 「何言ってンの? 最初からに決まってんじゃん!」と思ったそこのあなた、 だってジョージは天才だから? いやいやいやいや、んなこたぁない! それは甘いっ! というより、ルーカスを買いかぶりすぎている。 では、経緯を見ていきましょう。 1971年 ユニバーサル社が 「アメリカン・グラフィティ」(以下アメグラ)と「スター・ウォーズ」(以下SW)の2製作を契約。 しかし後に「SW」は企画の初期段階で却下。 1973年 「アメグラ」完成の数ヶ月後に、 ルーカスは "The Journal of the Whills"「ホイルス銀河史」 のタイトルでストーリー概要を執筆。 難解すぎて人以外には理解不能 ルーカスは次に13ページのあらすじ、The Star Wars

    『いつから父に?』
    maturi
    maturi 2014/01/12
    ダースベーダーはルークの父親を殺した悪役という設定で始まり、父親本人ではなかった
  • 『生頼範義のSW(1)』

    30年前の夏を思い出す回顧企画だす。 有名な生頼範義(おうらい・のりよし)画伯の描いた、 「スター・ウォーズ/帝国の逆襲」(1980)のポスター ↑質の悪い紙につや消し印刷なので、ルークの肌は土気色 映画パンフレット ↑若干彩度を抑えた鮮明な画調は、この絵の一番良いコンディションかも ノベライズ表紙 ↑徳間書店は「帝国」の出版権しかなかったので、「ジェダイ」の83年にようやく文庫化。 ロゴの黄色が上品で絵柄によくマッチ 原画 ↑生頼範義の画集から ↓一部拡大 日では、「帝国」のポスターといえば、この絵柄しか思い浮かばず、2008年のCJ(セレブレーションジャパン)でも、会場限定グッズ、「じゆうちょう」(学習帳)の表紙は、「帝国」だけ、アメリカ国ポスターの絵柄でなく、生頼バージョン。 アメリカでの「帝国」ポスターといえば、ロジャー・カステル画のこちら。 ロゴやタイトル配置を同じにした生頼

    『生頼範義のSW(1)』
    maturi
    maturi 2012/04/13
    ロジャーカステル
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