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『松本零士の宇宙戦艦ヤマト(その5)のルーツ』
「松本零士の宇宙戦艦ヤマト」の最終回。 1974年4月。 小沢さとる氏の代役として、急遽「宇宙戦艦ヤマ... 「松本零士の宇宙戦艦ヤマト」の最終回。 1974年4月。 小沢さとる氏の代役として、急遽「宇宙戦艦ヤマト」のメインビジュアル(キャラクターデザイン/メカデザイン/美術設定)に起用された松本零士氏。 松本氏の作品への貢献は、視覚面のみにとどまらず、 設定面やストーリー面でも多大で、 頓挫気味だった企画を飛躍的に加速させ、 それが故の、後年の「全部自分でやった」という自負と主張に結びつくのだが、 それはともかく、 いきなりの起用にしては、待ってましたとばかりに、 水を得た魚のような活躍ぶり。 西崎氏が話を持ちかけた時、小沢氏にはすでに、 「ギンガ、ギンガ、ギンガ」(1966)のヤマトワンダーがあったが、 松本氏にも、事前にできあがっていたものがあったんだろうか。 例として思い浮かぶのは、「電光オズマ」(松本あきら名義・1961)に登場する、 その名もズバリの、宇宙戦艦大和(うちゅうせんかんやま