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ブックマーク / www.aozora.gr.jp (43)

  • 芥川龍之介 六の宮の姫君

    一 六の宮の姫君の父は、古い宮腹(みやばら)の生れだつた。が、時勢にも遅れ勝ちな、昔気質(むかしかたぎ)の人だつたから、官も兵部大輔(ひやうぶのたいふ)より昇らなかつた。姫君はさう云ふ父母(ちちはは)と一しよに、六の宮のほとりにある、木高(こだか)い屋形(やかた)に住まつてゐた。六の宮の姫君と云ふのは、その土地の名前に拠(よ)つたのだつた。 父母は姫君を寵愛(ちようあい)した。しかしやはり昔風に、進んでは誰にもめあはせなかつた。誰か云ひ寄る人があればと、心待ちに待つばかりだつた。姫君も父母の教へ通り、つつましい朝夕を送つてゐた。それは悲しみも知らないと同時に、喜びも知らない生涯だつた。が、世間見ずの姫君は、格別不満も感じなかつた。「父母さへ達者でゐてくれれば好い。」――姫君はさう思つてゐた。 古い池に枝垂(しだ)れた桜は、年毎に乏しい花を開いた。その内に姫君も何時(いつ)の間にか、大人寂(

    maturi
    maturi 2024/02/05
  • 江戸川乱歩 人でなしの恋

    門野(かどの)、御存知(ごぞんじ)でいらっしゃいましょう。十年以前になくなった先(せん)の夫なのでございます。こんなに月日がたちますと、門野と口に出していって見ましても、一向(いっこう)他人様(ひとさま)の様(よう)で、あの出来事にしましても、何だかこう、夢ではなかったかしら、なんて思われるほどでございます。門野家へ私がお嫁入りをしましたのは、どうした御縁からでございましたかしら、申すまでもなく、お嫁入り前に、お互(たがい)に好き合っていたなんて、そんなみだらなのではなく、仲人(なこうど)が母を説(と)きつけて、母が又私に申し聞かせて、それを、おぼこ娘の私は、どう否(いな)やが申せましょう。おきまりでございますわ。畳にのの字を書きながら、ついうなずいてしまったのでございます。 でも、あの人が私の夫になる方かと思いますと、狭い町のことで、それに先方も相当の家柄なものですから、顔位は見知ってい

  • 新美南吉 二ひきの蛙

    緑の蛙(かえる)と黄色の蛙(かえる)が、はたけのまんなかでばったりゆきあいました。 「やあ、きみは黄色だね。きたない色だ。」 と緑の蛙(かえる)がいいました。 「きみは緑だね。きみはじぶんを美しいと思っているのかね。」 と黄色の蛙(かえる)がいいました。 こんなふうに話しあっていると、よいことは起(お)こりません。二ひきの蛙(かえる)はとうとうけんかをはじめました。 緑の蛙(かえる)は黄色の蛙(かえる)の上にとびかかっていきました。この蛙(かえる)はとびかかるのが得意(とくい)でありました。 黄色の蛙(かえる)はあとあしで砂(すな)をけとばしましたので、あいてはたびたび目玉から砂(すな)をはらわねばなりませんでした。 するとそのとき、寒い風がふいてきました。 二ひきの蛙(かえる)は、もうすぐ冬のやってくることをおもいだしました。蛙(かえる)たちは土の中にもぐって寒い冬をこさねばならないので

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    maturi 2022/03/23
  • 桑原隲藏 支那人間に於ける食人肉の風習

    一國の歴史を闡明するには、その一國の記録だけでは不足を免れぬ。是非その國と關係深き他國の記録をも、比較參考する必要がある。支那歴史の研究者としては、支那國の史料の外に、日、朝鮮、安南等の記録を參考するは勿論、遠く西域諸國の記録をも利用せなければならぬ。兩漢以來、支那の國威が四表に張ると共に、その國情が次第にキリスト教國や、マホメット教國の間に傳はり、又此等遠西の諸國民も極東に觀光して、その見聞を公にした。此等の見聞録の中には支那の風俗世態等に關して、往々國の記録に見當らぬ貴重な材料を供給するものも尠くない。極東に關係あるギリシア、ラテンの記録は、略 Coeds 氏の Textes d'Auteurs Grecs et Latins relatifs L'Extrme-Orient に備はり、マホメット教徒の記録――その地理に關係ある部分を主としてあるが――は、大體 Ferrand 氏

  • 桑原隲藏 支那人の食人肉風習

    目下露國の首都ペトログラードの糧窮乏を極めたる折柄、官憲にて支那人が人肉を市場に販賣しつつありし事實を發見し、該支那人を取押へて、遂に之を銃殺せり。 といふ驚くべき外國電報が掲載されてある。私はこの電報によつて、端なくも、古來支那人間に行はるる、人肉用の風習を憶ひ起さざるを得ないのである。 一體支那人の間に、上古から人肉の風習の存したことは、經史に歴然たる確證があつて、毫も疑惑の餘地がない。古い所では殷の紂王が、自分の不行跡を諫めた翼侯を炙とし、鬼侯をにし、梅伯を醢にして居る。炙は人肉を炙ること、は人肉を乾すこと、醢とは人肉を醤漬にすることで、何れも人肉をすることを前提とした調理法に過ぎぬ。降つて春秋時代になると、有名な齊の桓公、晉の文公、何れも人肉をして居る。齊の桓公は、その嬖臣易牙の調理して進めた、彼の子供の肉を膳に上せて舌鼓を打ち、晉の文公は、その天下放浪中、に窮した折

  • 駈込み訴え (太宰 治)

    津軽の大地主の六男として生まれる。共産主義運動から脱落して遺書のつもりで書いた第一創作集のタイトルは「晩年」(昭和11年)という。この時太宰は27歳だった。その後太平洋戦争に向う時期から戦争末期までの困難な間も、妥協を許さない創作活動を続けた数少ない作家の一人である。戦後「斜陽」(昭和22年)は大きな反響を呼び、若い読者をひきつけた。 「太宰治」

    駈込み訴え (太宰 治)
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    maturi 2022/01/28
    太宰 ユダ
  • 中里介山 大菩薩峠 禹門三級の巻

    宇治山田の米友は、あれから毎日のように夢を見ます。その夢は、いつもはんで捺(お)したように不動明王の夢であります。夢や新聞は、毎日変ったものを見せられるところにねうちがあるのだが、米友のように、毎夜毎夜同じ夢ばかりを見せられては、驚かなければなりません。 夢から醒(さ)めたたびに米友の驚き呆(あき)れた面(かお)も、やはりはんで捺したようなものです。米友はついに堪り兼ねて、床の間にかけてあった不動明王の画像を取外しました。この画像があるから、夢を見せられるのである、画像が無ければ、夢も無くなるであろうと思って、その晩は取外して床の間へ捲いておいたけれど、やはり同じように、不動明王の像が夢に現われました。米友は癪(しゃく)にさわってこの画像を、よそへうつしてしまおうと思って、今、かつぎ出したところであります。 今日は例の手槍を持って出ることの代りに、かなり大きな不動尊の画像を担いで、例によっ

    maturi
    maturi 2022/01/26
  • 宮沢賢治 気のいい火山弾

    ある死火山のすそ野のかしはの木のかげに、「ベゴ」といふあだ名の大きな黒い石が、永いことじぃっと座ってゐました。 「ベゴ」と云(い)ふ名は、その辺の草の中にあちこち散らばった、稜(かど)のあるあまり大きくない黒い石どもが、つけたのでした。ほかに、立派な、たうの名前もあったのでしたが、「ベゴ」石もそれを知りませんでした。 ベゴ石は、稜がなくて、丁度卵の両はじを、少しひらたくのばしたやうな形でした。そして、ななめに二の石の帯のやうなものが、からだを巻いてありました。非常に、たちがよくて、一ぺんも怒ったことがないのでした。 それですから、深い霧がこめて、空も山も向ふの野原もなんにも見えず退くつな日は、稜のある石どもは、みんな、ベゴ石をからかって遊びました。 「ベゴさん。今日(こんち)は。おなかの痛いのは、なほったかい。」 「ありがたう。僕(ぼく)は、おなかが痛くなかったよ。」とベゴ石は、霧の中

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    maturi 2021/11/29
    無スキルでパーティー追放されたがザマアミロなろう小説かな?
  • 新美南吉 おじいさんのランプ

    かくれんぼで、倉の隅(すみ)にもぐりこんだ東一(とういち)君がランプを持って出て来た。 それは珍らしい形のランプであった。八十糎(センチ)ぐらいの太い竹の筒(つつ)が台になっていて、その上にちょっぴり火のともる部分がくっついている、そしてほやは、細いガラスの筒であった。はじめて見るものにはランプとは思えないほどだった。 そこでみんなは、昔の鉄砲とまちがえてしまった。 「何だア、鉄砲かア」と鬼の宗八(そうはち)君はいった。 東一君のおじいさんも、しばらくそれが何だかわからなかった。眼鏡(めがね)越(ご)しにじっと見ていてから、はじめてわかったのである。 ランプであることがわかると、東一君のおじいさんはこういって子供たちを叱(しか)りはじめた。 「こらこら、お前たちは何を持出すか。まことに子供というものは、黙って遊ばせておけば何を持出すやらわけのわからん、油断もすきもない、ぬすっと(ねこ)の

    maturi
    maturi 2020/04/29
    AMAZON 「そういうこと」
  • 江戸川乱歩 悪霊

  • 作家別作品リスト:ポー エドガー・アラン

    アメリカ、ボストンに生まれる。いくつかの雑誌の編集に携わりながら、『アッシャー家の崩壊』『モルグ街の殺人事件』などの作品を発表して行く。しかし貧窮の中、次第に酒に溺れるようになり、1849年、酒場で意識不明のところを発見される。病院に担ぎ込まれるが意識は回復せず、10月7日死去。 「エドガー・アラン・ポー」 公開中の作品 アッシャア家の覆滅 (新字新仮名、作品ID:61341)     →谷崎 潤一郎(翻訳者) アッシャー家の崩壊 (新字新仮名、作品ID:882)     →佐々木 直次郎(翻訳者) ウィリアム・ウィルスン (新字新仮名、作品ID:2523)     →佐々木 直次郎(翻訳者) うづしほ (新字旧仮名、作品ID:2075)     →森 鴎外(翻訳者)    →森 林太郎(翻訳者) 落穴と振子 (新字新仮名、作品ID:1871)     →佐々木 直次郎(翻訳者) 黒 (

    maturi
    maturi 2020/03/29
    少ない
  • 桐生悠々 関東防空大演習を嗤う

    防空演習は、曾て大阪に於ても、行われたことがあるけれども、一昨九日から行われつつある関東防空大演習は、その名の如く、東京付近一帯に亘る関東の空に於て行われ、これに参加した航空機の数も、非常に多く、実に大規模のものであった。そしてこの演習は、AKを通して、全国に放送されたから、東京市民は固よりのこと、国民は挙げて、若しもこれが実戦であったならば、その損害の甚大にして、しかもその惨状の言語に絶したことを、予想し、痛感したであろう。というよりも、こうした実戦が、将来決してあってはならないこと、またあらしめてはならないことを痛感したであろう。と同時に、私たちは、将来かかる実戦のあり得ないこと、従ってかかる架空的なる演習を行っても、実際には、さほど役立たないだろうことを想像するものである。 将来若し敵機を、帝都の空に迎えて、撃つようなことがあったならば、それこそ人心阻喪の結果、我は或は、敵に対して和

  • 泉鏡花 義血侠血

    一 越中高岡(たかおか)より倶利伽羅下(くりからじた)の建場(たてば)なる石動(いするぎ)まで、四里八町が間を定時発の乗り合い馬車あり。 賃銭の廉(やす)きがゆえに、旅客はおおかた人力車を捨ててこれに便(たよ)りぬ。車夫はその不景気を馬車会社に怨(うら)みて、人と馬との軋轢(あつれき)ようやくはなはだしきも、わずかに顔役の調和によりて、営業上相干(あいおか)さざるを装えども、折に触れては紛乱を生ずることしばしばなりき。 七月八日の朝、一番発の馬車は乗り合いを揃(そろ)えんとて、奴(やっこ)はその門前に鈴を打ち振りつつ、 「馬車はいかがです。むちゃに廉くって、腕車(くるま)よりお疾(はよ)うござい。さあお乗んなさい。すぐに出ますよ」 甲走(かんばし)る声は鈴の音(ね)よりも高く、静かなる朝の街(まち)に響き渡れり。通りすがりの婀娜者(あだもの)は歩みを停(とど)めて、 「ちょいと小僧さん、石

    maturi
    maturi 2019/07/26
     泉鏡花 義血侠血 - 青空文庫
  • 泉鏡花 おばけずきのいわれ少々と処女作

    僕は随分な迷信家だ。いずれそれには親ゆずりといったようなことがあるのは云う迄もない。父が熱心な信心家であったこともその一つの原因であろう。僕の幼時には物見遊山に行くということよりも、お寺詣(まい)りに連れられる方が多かった。 僕は明(あきら)かに世に二つの大(おおい)なる超自然力のあることを信ずる。これを強いて一纏(まと)めに命名すると、一を観音力(かんのんりき)、他を鬼神力とでも呼ぼうか、共に人間はこれに対して到底不可抗力のものである。 鬼神力が具体的に吾人の前に現顕する時は、三つ目小僧ともなり、大入道ともなり、一脚傘の化物ともなる。世にいわゆる妖怪変化の類(たぐい)は、すべてこれ鬼神力の具体的現前に外ならぬ。 鬼神力が三つ目小僧となり、大入道となるように、また観音力の微妙なる影向(ようごう)のあるを見ることを疑わぬ。僕は人の手に作られた石の地蔵に、かしこくも自在の力ましますし、観世音

  • 和辻哲郎 巨椋池の蓮

    maturi
    maturi 2019/07/22
    は蓮の花の近接した個々の姿から、大量の集団的な姿や、遠景としての姿をまで、一挙にして与えられたのである。しかも蓮の花以外の形象をことごとく取り除いて、純粋にただ蓮の花のみの世界として見せられたのである
  • 森鴎外 沈黙の塔

    高い塔が夕(ゆうべ)の空に聳(そび)えている。 塔の上に集まっている鴉(からす)が、立ちそうにしてはまた止まる。そして啼(な)き騒いでいる。 鴉の群れを離れて、鴉の振舞(ふるまい)を憎んでいるのかと思われるように、鴎(かもめ)が二三羽、きれぎれの啼声をして、塔に近くなったり遠くなったりして飛んでいる。 疲れたような馬が車を重げに挽(ひ)いて、塔の下に来る。何物かが車から卸されて、塔の内に運び入れられる。 一台の車が去れば、次の一台の車が来る。塔の内に運び入れられる品物はなかなか多いのである。 己(おれ)は海岸に立ってこの様子を見ている。汐(しお)は鈍く緩く、ぴたりぴたりと岸の石垣を洗っている。市の方から塔へ来て、塔から市の方へ帰る車が、己の前を通り過ぎる。どの車にも、軟(やわらか)い鼠色(ねずみいろ)の帽の、鍔(つば)を下へ曲げたのを被(かぶ)った男が、馭者台(ぎょしゃだい)に乗って、俯向

    maturi
    maturi 2019/01/18
  • 落穴と振子 (ポー エドガー・アラン)

    暗黒の牢獄のなかで手探りの探索を始めた私…。19世紀初めのスペインで、宗教裁判官により「もっともいまわしい精神的の恐怖を伴う死」を宣告された男の恐怖の体験を描くポーの恐怖ものの一編。原作は、1842年「贈りもの」(The Gift)に発表。

    落穴と振子 (ポー エドガー・アラン)
  • 宮沢賢治 毒もみのすきな署長さん

    四つのつめたい谷川が、カラコン山の氷河から出て、ごうごう白い泡(あわ)をはいて、プハラの国にはいるのでした。四つの川はプハラの町で集って一つの大きなしずかな川になりました。その川はふだんは水もすきとおり、淵(ふち)には雲や樹(き)の影(かげ)もうつるのでしたが、一ぺん洪水(こうずい)になると、幅(はば)十町もある楊(やなぎ)の生えた広い河原(かわら)が、恐(おそ)ろしく咆(ほ)える水で、いっぱいになってしまったのです。けれども水が退(ひ)きますと、もとのきれいな、白い河原があらわれました。その河原のところどころには、蘆(あし)やがまなどの岸に生えた、ほそ長い沼(ぬま)のようなものがありました。 それは昔(むかし)の川の流れたあとで、洪水のたびにいくらか形も変るのでしたが、すっかり無くなるということもありませんでした。その中には魚がたくさんおりました。殊(こと)にどじょうとなまずがたくさんお

    maturi
    maturi 2018/07/20
    サイコみ
  • 作家別作品リスト:大阪 圭吉

    1912.3.20~1945.7.2。昭和初期に活躍した、探偵小説家。理詰めの謎解きに焦点を絞った、骨太の短篇を残した。名は鈴木福太郎。愛知県新城市の旧家に生まれ、日大学商業学校を卒業。1932(昭和7)年、作家、甲賀三郎の推薦を得て、雑誌「新青年」に『デパートの絞刑吏』を発表し、小説家としてデビューする。新城で役場勤めを続けながら、『死の快走船(『白鮫号の殺人事件』を改変改題)』『気狂い機関車』『とむらい機関車』等を発表。後には、ユーモア小説、スパイ小説、捕物帳へと方向を転じた。1942(昭和17)年、上京して日文学報国会に勤務しながら、作家活動の格化を目指すが、翌年応召。1945(昭和20)年、フィリピン、ルソン島にて戦病死。享年33歳。ペンネームは、大阪圭吉の他、大坂圭吉とも書く。 「大阪圭吉」 公開中の作品 あやつり裁判 (新字新仮名、作品ID:1268) 石塀幽霊 (新字

    maturi
    maturi 2018/06/20
    後には、ユーモア小説、スパイ小説、捕物帳へと方向を転じた。1942(昭和17)年、上京して日本文学報国会に勤務しながら、作家活動の本格化を目指すが、翌年応召。1945(昭和20)年、フィリピン、ルソン島にて戦病死。享
  • 岩野泡鳴 耽溺

    一 僕は一夏を国府津(こうづ)の海岸に送ることになった。友人の紹介で、ある寺の一室を借りるつもりであったのだが、たずねて行って見ると、いろいろ取り込みのことがあって、この夏は客の世話が出来ないと言うので、またその住持(じゅうじ)の紹介を得て、素人(しろうと)の家に置いてもらうことになった。少し込み入った脚を書きたいので、やかましい宿屋などを避けたのである。隣りが料理屋で芸者も一人かかえてあるので、時々客などがあがっている時は、随分そうぞうしかった。しかし僕は三味線(しゃみせん)の浮き浮きした音色(ねいろ)を嫌(きら)いでないから、かえって面白いところだと気に入った。 僕の占領した室は二階で、二階はこの一室よりほかになかった。隣りの料理屋の地面から、丈(せい)の高いいちじくが繁(しげ)り立って、僕の二階の家根(やね)を上までも越している。いちじくの青い広葉はもろそうなものだが、これを見てい