vtuber文化の興隆はルッキズムからの解放ではなく、むしろルッキズムに技術が追いついたと言えるのではないか。 「生まれ持った容姿に関係なく人気者になれる」でもなく 「容姿が"悪く"ても人気者になれる」でもなく、 「容姿を"良い"ものに差し替えれば人気者になれる」であり、 それは「容姿が"良く"ないと人気者にはなれない」という言い換えに帰着する。 世界的に多様性を尊重しようとする大きな流れとポリコレ疲れ(と呼んで誰かを傷付けないための努力を揶揄するのは嫌いだけど、あえてこの言葉を使います)による反・反差別のようなぶり返しもある中、vtuberが世界的に人気なのって強烈なルッキズムを隠蔽しつつ「中身もわからないバーチャルな存在を受容している俺ってとってもコレクトでしょ」ってアピールができるからなのかなって。 本来バーチャル受肉は「なりたい/あるべき自分の姿になるため」の技術だと思うし、自分の
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