中国漢代の公文書の末尾に、急々に律令のごとくに行え、の意で書き添えた語。のち、呪文じゅもんの終わりに添える悪魔ばらいの語として、道家・陰陽師おんようじ・祈祷僧きとうそうなどが用いた。
中国漢代の公文書の末尾に、急々に律令のごとくに行え、の意で書き添えた語。のち、呪文じゅもんの終わりに添える悪魔ばらいの語として、道家・陰陽師おんようじ・祈祷僧きとうそうなどが用いた。
グーグル(Google)、アップル(Apple)、フェースブック(Facebook)、アマゾン(Amazon)の4社のこと。頭文字を取って称される。いずれも米国を代表するIT企業であり、4社は世界時価総額ランキングの上位を占めている。また、世界中の多くのユーザーが4社のサービスをプラットフォームにしている。 グーグルは、検索エンジンやオンライン広告事業を始め、スマートフォンの基本ソフト(OS)である「Android」や「Pixel」ブランドのスマートフォン、スマートスピーカーの「Google Home」などの開発を手掛ける企業。アップルは、スマートフォン「iPhone」や、タブレット「iPad」、パソコン「Mac」などのハードウエアメーカーである他に、クラウドサービスの「iCloud」や、iPhoneやiPad用のアプリケーションを提供する「App Store(アップストア)」などの開発、
兵庫県北西部、養父郡(やぶぐん)にあった旧町名(関宮町(ちょう))。現在は養父(やぶ)市の北西部を占める一地区。1956年(昭和31)養父郡関宮村と美方(みかた)郡熊次(くまつぎ)村が合併して関宮町が成立。2004年(平成16)八鹿(ようか)、養父、大屋(おおや)の3町と合併、市制施行して養父市となる(なお、この合併により養父郡は消滅)。旧関宮町の町名は関神社に由来する。西部の鳥取県境には兵庫県の屋根といわれる氷ノ山(ひょうのせん)(須賀ノ山(すがのせん)、1510メートル)があり、ブナの原生林などの雄大な自然に恵まれ、絶滅の危機にある国指定天然記念物イヌワシなどが生息する。中心集落の関宮は、古代山陰道が通り、今日では国道9号が通じる。近年では高冷地蔬菜(そさい)の栽培に特色をもち、夏物ダイコン、キャベツなどの生産が多い。また、中世発見の中瀬鉱山(なかせこうざん)が近年まで操業をしていたが
〘 名詞 〙 原稿を執筆したことに対する報酬。[初出の実例]「凡そ八九十枚なぐりつけたが、其原稿料(ゲンカウレウ)大(おほい)にたまって総計二十円程になりにけりさ」(出典:当世書生気質(1885‐86)〈坪内逍遙〉一七) 作家,ジャーナリスト,学者らの知的労働生産物である著作物に対して,使用者である出版者が支払う報酬。著作権使用料の一種。著作は通常,原稿用紙に執筆されるので,原稿料と呼ばれ,多くの場合,400字詰原稿用紙1枚当りの報酬を単価とする。原稿料は新聞・雑誌などの著作物1回の使用料で,書籍の場合は大多数が印税方式をとる。欧米では,印税は日本とほぼ同じであるが,原稿料の単位は語数による。日本で原稿料制度が普及したのは,出版が企業化された1910年代以降である。江戸時代の山東京伝や曲亭馬琴らが稿料をもらった記録はあるが,1編いくらで原稿料とはいえなかった。文明開化の時代に福沢諭吉は非合
特定の職業や専門の枠を超えて、広く人間として、また社会人としてもつべき知識や技能をさす。生活に直接役だてているという即時的なものではなく、精神を深め豊かにすることを目的とし、人生をより意義深くする観点から主張された。古代ギリシアの自由人がもつべきとされたエンキュクリオス・パイデイアε’γκκλιος παιδεαつまり一般的教養ないし一般的教育に起源をもつ、ヨーロッパにおける伝統的な人間教養の理想となっている概念である。ルネサンス期の人文主義および18世紀の新人文主義にその思想が復活、発展した。現代では、科学技術の発展によって人文と科学との関係および知識の専門化の点から、一般教養の意義が現代的展開を遂げるよう迫られている。 [諏訪内敬司]
イギリスのアレン・レーンSir Allen Lane(1902―70)が1935年に発刊した世界的に著名なペーパーバック・シリーズ。まず、ヘミングウェイ著『武器よさらば』など10点、各2万部ずつが、1部6ペンスという低価格で発売された。書店だけでなく、新聞売店、小売チェーン店、百貨店といった非書籍販売組織を利用して売り出され、内容の質の高さや簡潔で上品な表紙デザインが人気をよび、好調な売上げを達成した。その後ノン・フィクションを主とするペリカン・ブックスPelican Booksをはじめとして、数多くの姉妹シリーズが刊行されるに至っている。アメリカではペンギン・ブックスの成功にヒントを得て、1939年にマス・ペーパーバック・シリーズ、ポケット・ブックスPocket Booksが1部25セントで発刊されるなど、世界的な「ペーパーバック革命」の推進、普及役として多大の貢献を果たしている。 [金
…この間,国際的にも活躍し,パリ講和会議,ワシントン会議,ロンドン国際経済会議等に随員または全権として出席した。38年総裁辞任後枢密顧問官に任命されたが,その議事ノート《枢密院重要議事覚書》(1953)は政治史の貴重な資料となっている。また,回顧録《回顧七十年》(1941)は,金融政策史の基礎文献とされている。…
スタニスワフ・アウグスト・ポニャトフスキ Stanisław August Poniatowski 生没年:1732-98 ポーランド最後の国王。在位1764-95年。ポレシエ地方(現,白ロシア共和国領)にあったチャルトリスキ家の領地ボウチン(ブジェシチ・リテフスキの近く)に生まれる。父は大貴族サピエハ家の庶子として生まれた。1720年チャルトリスキ家の娘と結婚し,6番目に設けた子どもがスタニスワフである。入念な教育と西欧旅行で啓蒙思想を身につけた。チャルトリスキ家の尽力で55年にリトアニア大侯食膳担当官(勲章に似た意味をもつ名目的な肩書)に任命され,さらに55-56年にはイギリス大使館の書記官となった。57-58年にはポーランド使節としてペテルブルグに滞在し,国王アウグスト3世と結ぶポトツキ家,ラジビウ家(ともに〈共和派〉と呼ばれた)に対抗して,アウグスト3世の廃位と国政改革の実現を計画
…スコットランドのエジンバラに名門の弁護士の子として生まれ,幼時小児麻痺のため片足が不自由になったが,かえって古い伝説や物語にロマンティックな空想をはせる性癖を養った。エジンバラ大学卒業後弁護士となり,かたわら古民謡の採集に熱中,《スコットランド国境地方古謡集》3巻(1802‐03)を出版し,古歌謡の形を模した《最後の吟遊詩人の歌》(1805)で詩人としての名声を確立した。《マーミオン》(1808),《湖上の美人》(1810)などスコットランドの過去に取材したロマンティックな物語詩で文名はますます上がった。… ※「《スコットランド国境地方古謡集》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。 出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
…53年には年間27本の長編が作られるに至った。 〈サイエンス・フィクション〉なることばは,H.ガーンズバックが主宰する《アメージング・ストーリーズ》誌から1929年に生まれて以来,もっぱら小説の呼称として使われてきたわけだが,ここに至って,初めて〈書かれたサイエンス・フィクション〉に対して,〈ムービー・サイエンス・フィクション〉,または〈スクリーン・サイエンス・フィクション〉が市民権を得たといえる。 [インベーダーと放射能怪獣] 1950年代のSF映画の二大特色は〈インベーダー物〉と〈放射能怪獣物〉で,映画史家S.C.アーリーによれば〈怪奇映画が50年代になってSF映画になって現れた〉ことになり,〈狼男やミイラ男や歩く死骸(ゾンビ)が,宇宙からの侵略者や核爆発の放射能によって眠りからさめた太古の恐竜,あるいは巨大化した生物になった〉のである。… ※「スクリーン・サイエンス・フィクション」
…プロテスタントの父とカトリックの母の間にダブリンで生まれ,この地のトリニティ・カレッジを卒業。法律家の資格を得ようとロンドンに出たが,やがて文筆の世界に転じてボーリンブルック卿の抽象的社会理論を風刺した《自然社会の擁護》と,美的感覚を心理的に解剖した《崇高と美の観念の起源》(1757)で文壇に登場し,ドズリー書店から《年鑑》を創刊して単独で編集に従った。まもなく穏健なホイッグ貴族ロッキンガムの秘書,65年には下院議員となり,アメリカでの印紙法の騒擾について処女演説して一躍名演説家たる声望を得た。…
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