東京で生まれ育ったカズヒコさんは高校を卒業すると、飲食店に就職した。その後、板金工場や運送会社で正社員として働いた。自ら中古車販売を手掛けたこともあったという。 ただ最初に勤めた飲食店は見習いという理由で月給はわずか10万円。正社員時代はいずれも社会保険は未加入だった。一方で中古車販売をしていたころはバブル景気のさなかで「50万円で仕入れた車が100万円以上で売れることもあった」。 しかし、40歳を過ぎてからは小売店でのアルバイトや警備員、工場派遣、廃品回収など低賃金で不安定な仕事が増えていった。長引く不況の中、仕事や住まいを失うなどして何度か生活保護を利用することもあったという。 カズヒコさんは「バブルでおいしい思いをした世代だから、自分にも悪いところがある」と自己責任論を口にする。とはいえ法律を守らない会社や、雇用を流動化させただけで再就職のための教育研修や能力開発については力を入れて
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