ブックマーク / www.du-soleil.com (14)

  • 西加奈子『通天閣』〜工場とスナックが交わる通天閣でこれまで言えなかった全員分の「好きや!」を叫ぶ - 太陽がまぶしかったから

    『通天閣』で交わるふたつの生活 『サラバ』で第152回直木三十五賞を受賞した西加奈子氏が、2006年に発表した小説である。「底辺」とか「場末」という言葉似合う工場勤務のおっさんと、スナック勤務の女性の生活が交互に描かれながら、大阪の「通天閣」を交差点に、ほんのちょっとだけ救われる展開に何か温かいものを感じる。 の大阪ミナミの町を舞台に、若々しく勢いのある文体で人情の機微を描く。このしょーもない世の中に、救いようのない人生に、ささやかだけど暖かい灯をともす絶望と再生の物語。第24回織田作之助賞受賞作。 [asin:4480426698:detail] ゆめにっき 章の始まりには、登場人物がその晩に観た「夢」が記述される。大抵は「焦り」だったり、「喪失」を暗示しているのだけど、その人物の心理状態を直接的に表現するよりも、真に迫るものがある。フロイトがどうとは言わないが、夢を覚えて言語化すると、

    西加奈子『通天閣』〜工場とスナックが交わる通天閣でこれまで言えなかった全員分の「好きや!」を叫ぶ - 太陽がまぶしかったから
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    mementm0ri 2015/01/22
    次は「舞台」か「ふくわらい」を読んでみましょう。「さくら」でも良いかも。ほんわかラブストーリーが読みたかったら「きいろいゾウ」
  • 増田仮名として振り返るはてな匿名ダイアリー私選集(2014年版) - 太陽がまぶしかったから

    photo by Pieter Musterd 増田仮名として振り返る はてなブログを始める前には、はてなアノニマスダイアリー(増田)のユーザーだったのだけど、未だに入り浸ってしまうところではある。増田関係の場所にいる時には「増田仮名」を名乗るという設定があるのだけど、だからなんだという話だ。 そんなわけで、「ブログで2014年を振り返る」ひとりアドベントカレンダー16日目は増田について語りたい。 テンパると機転が効かない 人の性って、やっぱり無意識だったり余裕がない時に現れるよな。 (中略) 俺が友達少ない理由も、ずっと彼女がいない理由も、仕事がイマイチできない理由も、合点がいった瞬間であった。 つまるところ俺は、 ・考えが浅くて ・自己中心的で ・他人を思いやれない すごく抉られる。僕も結局のところで余裕がなくなるとダメになってしまうのだ。真面目系クズとしての人格を感情労働で無理やり

    増田仮名として振り返るはてな匿名ダイアリー私選集(2014年版) - 太陽がまぶしかったから
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    mementm0ri 2014/12/17
    ネット上すら人目を気にする時代だから、これくらいアノニマスじゃないと本音書けないね
  • 哲学的ゾンビ映画 としての『苦役列車』とパラレルワールドトラベラーとしての森山未來 - 太陽がまぶしかったから

    映画『苦役列車』感想 第144回芥川賞受賞・西村賢太の小説映画化。1986年。19歳の北町貫多は、明日のない暮らしを送っていた。ある日、職場で新入りの専門学生・日下部正二と知り合い、友達と呼べる存在となっていく。やがて、古屋で店番をしている桜井康子に一目惚れした貫多は、日下部の仲介によって彼女とも友達になるのだが…。森山未來、高良健吾、前田敦子ほか出演。 苦役列車 森山未來Amazon 映画は森山未來演じる貫多が風俗から出てくるところから始まる。主人公は19歳で舞台は昭和のバブル前。父親の性犯罪による家庭崩壊を経て中卒の日雇労働者となっている。いかにも薄汚くて、なけなしの金を酒と女につぎ込んで無一文になってしまう典型的なロクデナシである。 それでいてギャンブルもせずに読書が好きで、どうせ家賃を踏み倒すのに月1万円のボロアパートを追い出されていく小心者の倫理がある。小説家ワナビー映画とし

    哲学的ゾンビ映画 としての『苦役列車』とパラレルワールドトラベラーとしての森山未來 - 太陽がまぶしかったから
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    mementm0ri 2014/08/05
    文化圏がたまに合わさっても人間的に合わなかったりすることもしばしばで孤独
  • 1年間ブログ書いていますけれど「何かを得られた」からこそ書き続ける意味は見出しません - 太陽がまぶしかったから

    photo by manoftaste.de ブ、ブログ論だー! やっぱり、ブログやるよりも、リアルでバンドやったり、絵を描いたり、小説書いたり、漫画描いたり、はたまたフットサルやったりしたほうが得るものは大きいと思う。まあ、個人的に思うってだけだし、ブログをただただ書いて「俺は色んなものを得ることが出来た!!」と言う人も中にはいるだろうけれど。また、ブログ書いて他の人と色んなつながりができて、リアルでも色んな事を得ることが出来た、と言う人もいるでしょう。ただ、俺はブログでの繋がりをリアルに持ちこむことはしないスタンス。そうなると、何も得ることは無い。意見を表明して、それに対する批判/同意/反証を貰うことはそれはそれで有意義かもしれないけれど、それが面白いかっつーと、極めて微妙なワケで。 (中略) 逆にブログを書いているだけの人はどうなんでしょうか?何かを得ることができてはいるのだろうか?

    1年間ブログ書いていますけれど「何かを得られた」からこそ書き続ける意味は見出しません - 太陽がまぶしかったから
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    mementm0ri 2014/06/11
    俺はラリるのが下手なんだな。上手に酒が酔えないみたいな気分だから生きるのが下手。酔いたい時、ラリる時はスパッと後腐れ無くトんだ方が幸せなのだ。自己言及なんて邪魔だ
  • 真面目系クズすぎると二度死ぬ - 太陽がまぶしかったから

    photo by Nikita Kashner 真面目すぎると死ぬ 「真面目すぎると死ぬ 」という話を読んだ。簡単にいうと規範を守る意識が強すぎると疲れるし、環境の変化に耐えられなくなって死ぬということである。この議論についてはよく聞く話でもあるのだけど、何点か気になるところがあったので、そこを掘り下げたい。 「真面目系クズ」を対比にするのはおかしくないか 不完全情報ゲームで臨機応変にするのは死にパターン 真面目すぎると疲れる 「真面目系クズ」を対比にするのはおかしくないか 文中において真面目な人が「ルールを守ること」を絶対的に肯定するのに対して、我々真面目系クズが「ルールを守ること」を損得勘定の末の選択肢として扱う事について「真面目系クズ」という言葉が使用されているけど、これは来の意味の「真面目系クズ」からすると違うんじゃないかと思う。 そもそも「真面目系クズ」という言葉であるが、初

    真面目系クズすぎると二度死ぬ - 太陽がまぶしかったから
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    mementm0ri 2014/06/03
    真面目に不真面目するとかえってダメってこと?
  • Q「週末にひとりで家にいる無趣味な人って何してるの?」A「社会に影響しない生活をしている」 - 太陽がまぶしかったから

    photo by reallyboring 週末にひとりで家にいる無趣味な人って何してるの? 今日も家の中で過ごす。「週末にひとりで家にいる無趣味な人って何してるの?」みたいに聞かれることもあるのだけど、取り立てて何かをしているわけでもない。家事をして、寝転んで、読書をしたり、ネットを見ているうちに1日は簡単に過ぎる。強いて答えれば「生活をしている」とは言えるだろう。 社会や他人への寄与をもってして自身の価値を測定するパラダイムがあるのは知っているし、まったく寄与しないなんて事もありえないのだけど、濃度と範囲は小さくしたい。仮に影響力があるとして、常に「良い影響」ができると素直に信じられる人が羨ましくもあるが、僕に関わってこられると面倒に感じる。 社会に影響しない生活をしている 今週も出張があったり、問題対応があってなかなか忙しい。それに限らずとも平日のイベントにいくのは難しい。仕事は忙し

    Q「週末にひとりで家にいる無趣味な人って何してるの?」A「社会に影響しない生活をしている」 - 太陽がまぶしかったから
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    mementm0ri 2014/06/02
    「休みは外で遊べ」って同調圧力
  • その文章を難しいと判断して、「頭がいいと思われたい人なんだ」と他人の内心を忖度してるのは誰の基準でしょうか - 太陽がまぶしかったから

    頭がいいと思われたい人なんだ? 頭がいいと思われたいことってすごく人間臭い欲求だし悪いことじゃありません。 ただ、ちょっとダサい。 かっこ悪いですよね。 そういうダサい大人にならないように、自分が「頭がいいと思われたい人」になってるなあという時の特徴を考えてみました。 (以下見出し) 平易な言葉を避ける わかりにくい例えを使う 態度が大きい 他責的 読みましたー。言いたいことはよく分かりますし、共感しやすいのですが、だからこそ結構危険な話法だなぁと直観的に思いました。その事について、「どういう事だろう?」とちょっと考えてみました。頭がいいと思われたい人なので。 「私の難しい」と「あなたの難しい」のレベル感は等しい? 1対1の対話において理解されないのであればコミュニケーションが成立していないので、そこを合わせられない人は「頭がいいと思われたい人」でも良いのかもしれません。文章中では「地域住

    その文章を難しいと判断して、「頭がいいと思われたい人なんだ」と他人の内心を忖度してるのは誰の基準でしょうか - 太陽がまぶしかったから
  • 積まれていく皿からビジュアル化された<私の怠慢>を意識する - 太陽がまぶしかったから

    モテるために結婚する 家具の片付けが終わってなかったので、ガンガン酒を呑みながら殆んど夜通し作業していたのだけど、そんな中で悪魔の発想がでてきた。 不倫しようにもも恋人もいないから失楽園にならないとか、脱税するほどの収入がないみたいな話によって自動化倫理兵となっている。みなさんも良き倫理を。— 池田仮名 (@bulldra) 2014年4月19日 既婚者になればモテるのかな。— 池田仮名 (@bulldra) 2014年4月19日 @bulldra モテるために結婚するメソッド!— 加野瀬未友 (@kanose) 2014年4月19日 しかし道ならぬ制約があればこそ、KOIGOKOROに火が付けられる部分というのもきっとあるのではないか。「自分を安売りするな」という言葉があるけれど、安すぎて逆にアカンみたいなところはあるのだろうと思う。まぁAMなんかを読めば同じような話はたくさん載ってる

    積まれていく皿からビジュアル化された<私の怠慢>を意識する - 太陽がまぶしかったから
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    mementm0ri 2014/04/21
    “<私の怠慢>を認めて適切なところを任せる態度が必要なのだ。”
  • 特殊性を獲得しようと試みるほど「いつか救われるのだから、現在は辛くてもよい」と「いま/ここ」を疎外することになる - 太陽がまぶしかったから

    photo by Commodities Now おじさんのサブカル疲れ 昔はサブカルをこじらせていたので、とにかく「他人と違うことをしよう」とか、「僕は変わり者で・・・」みたいなポジショニングをしようとしてきたところがあったのだけど、疲れてきた。 それでも少し意識したいのが、「大枠を維持しながらも、昨日とは違うことをしよう」という部分。急にインドに旅立つとか、アフィリエイトだけで暮らしていきます!とかは全く考えていないけど、かといってゼロにするわけでもなくて、細かい部分での工夫や変化をもうちょっと追求したい。 ルーティンに対するPDCAを回すとか、なるべく違うものをべようとか、違う道を歩いて帰ろうとか。そんな時に「すでに他人がやったことだから、僕がやる必要はない」という自意識が邪魔になることがある。 社畜乙、恋愛主義粉砕、マイルドヤンキー(笑)みたいな事を考えるほど、その呪詛は自分

    特殊性を獲得しようと試みるほど「いつか救われるのだから、現在は辛くてもよい」と「いま/ここ」を疎外することになる - 太陽がまぶしかったから
  • 村上春樹は「長編小説」の拡充のためにこそ翻訳や短編の仕事をしているのだけど、僕の「長編小説」はなんなのだろうか - 太陽がまぶしかったから

    photo by jjpacres 「長編小説」の拡充のためにこそ翻訳や短編の仕事をする 村上の著作は長短編小説のほかエッセイ、翻訳、ノンフィクションなど多岐にわたっており、それらの異なる形態の仕事で意図的にローテーションを組んで執筆している。しかし自身を来的には長編作家であると規定しており、短編、中編小説を「実験」の場として扱い、そこから得られたものを長編小説に持ち込んでいると語っている。またそれらのバランスをうまく取って仕事をする必要があるため、原則的に依頼を受けての仕事はしないとしている。 村上春樹 - Wikipedia 処女作の『風の歌を聴け (講談社文庫)』からして、原稿を英語で書いてから翻訳するという手法で書かれていて、それが「日人が受容するチャンドラー」のような感覚を与えるような文体に繋がっている。最初から日語で書かれたら達成できない文体だったのだろう。 「長編小説

    村上春樹は「長編小説」の拡充のためにこそ翻訳や短編の仕事をしているのだけど、僕の「長編小説」はなんなのだろうか - 太陽がまぶしかったから
  • 「オタサーの姫」はむしろホモソーシャルチキンレースを劇化してたという側面もある - 太陽がまぶしかったから

    オタサーの姫 社会学者「オタクがオタサーの姫に関して総じてネガティブな意見ばかりなのは『二次元にしか興味ない』やロリコンアピールのためにストライク年齢を下げていくようなホモソーシャルチキンレースはポーズでしかないと姫が鮮やかなくらいに暴き、彼らの“物語”に終焉を告げる存在だからです」 ちょうど『げんしけん(1) (アフタヌーンコミックス)』を読んでいる。オタサーの姫問題については色々とあるのだろうけれど、自分の中ではむしろ逆の解釈をしていた。 僕自身の周りではホモソーシャル的空間で牽制し合ってるなかで、誰かが抜け駆けると模倣欲望による競争が生まれて「絶対に負けられない戦いがここにある」状態になっちゃうだけになる経験をしていた。その時に「姫」は完全に代替可能であり、むしろホモソーシャルチキンレースは劇化していた。 ホモソーシャルチキンレース 別に「姫」の事がすごく好きってわけじゃなくても、一

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    mementm0ri 2014/02/25
    ああ、不毛だなあ
  • ハロー今君に素晴らしい世界が見えますか - 太陽がまぶしかったから

    ファンタジーを生きる 10年ぐらい前の地方都市のが合っていたのではないかと思う事がある。それなりの都会に生まれて、それなりの都会で過ごして、でも男子校で、理系で、何も無かった。周りも殆んどがそうだったから焦りもしなかったし、そんな事よりゲームだった。 その頃に誰かが感じていたであろう感覚は絶対に味わえないのだろうし、だからなんなのだろうとも思う。『[asin:B00DMUJOA2:title]』も『ゼロの使い魔 (MF文庫J)』も僕からの相対距離はおんなじぐらいだ。当の事を言うと何も危機感を感じていない。 「ウータン・クランはちょっとファンタジーの世界に生きてんだよね。仲間内でここは少林寺なって設定作って、勝手にいい感じの世界に転換して生きてんの。当の日常はクソなのに、自分たちはその脳内設定で世界を見てるから、どれだけ最悪でも耐えられるっていう」 ここは退屈迎えに来て 作者:山内 マリ

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    mementm0ri 2014/01/29
    ここではないどこかなんて無いのかなあ
  • 普通の事が出来ないボンクラがサブカルで食うための4Jとは?〜大槻ケンヂ『サブカルで食う』 - 太陽がまぶしかったから

    サブカルでう 全国のサブカル糞野郎の皆さんハロニチワ。僕はサブカル糞野郎のフリをしている普通の人です。『渋谷直角 『カフェでよくかかっているJ-POPのボサノヴァカバーを歌う女の一生』〜自意識の不良債権を背負ったサブカルクソ野郎達への鎮魂歌 - 太陽がまぶしかったから』では下層サブカルの悲哀について愛憎入り混じった感情を吐露しました。 30を超えても売れない歌手やライターや劇団員をやってて、アルバイトでいつないで、友達同士で客になり合って、堅実な道に進んだ仲間を見下す生活。 僕自身は「見下されていた側」なので、なんともいえませんが、こちらからも当にそれで良いの?と思ったりすることもありました。自分は「きっと何者にもなれない」という事を自覚したのが比較早かったので、「あー、はいはい」と思えて、痛みへの当事者性は低いのかもしれません。 でも、それは羨ましくもあるのです。当は社会時評や書

    普通の事が出来ないボンクラがサブカルで食うための4Jとは?〜大槻ケンヂ『サブカルで食う』 - 太陽がまぶしかったから
  • ピカソはなぜ小切手を使い続けたか〜山口揚平『なぜゴッホは貧乏、ピカソは金持ちだったのか?』 - 太陽がまぶしかったから

    photo by eVo photo ゴッホとピカソ ゴッホといえば、「死後に評価された悲劇の画家」として有名です。生前に売れた作品は1点のみであったり、耳を切り落としたエピソードなどが思い起こされます。一方でピカソと言えばオークションを活用するなどして莫大な富を得ていた事が有名です。 どちらが画家として優れていたかなんて事は言えませんが、ピカソに「マネタイズ」の才能があったという事は確かだと著者は指摘します。その上で「マネタイズ」だけでは説明できないエピソードが紹介されます。 生前のピカソは、日常生活の少額の支払いであっても、好んで小切手を使ったという。 (中略) 商店主は、小切手を銀行に持ち込んで現金に換えてしまうよりも、ピカソの直筆サイン入りの作品として部屋に飾るなり、大事にタンスにしまっておくだろう。そうなれば、小切手は換金されないため、ピカソは現金を支払うことなく、実質的にタダで

    ピカソはなぜ小切手を使い続けたか〜山口揚平『なぜゴッホは貧乏、ピカソは金持ちだったのか?』 - 太陽がまぶしかったから
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