夜はいま 07/12 タンジール 06/19 太陽に噛みつかれて 12/27 私たちは、私たちは学ばないということを私たちは学ばないということを自然とは学ばない 09/21 故郷 06/17 記憶なく欲望なく 06/06 stay eager 04/06 逃走について 04/05 永遠の一角 02/28 翻訳について 02/05 壁を貫く 12/28 死者たち 11/30 切実であること 11/17 歩いている 11/11 秘密の約束 10/27 期待の終わり 10/04 眼華 09/16 固有名をめぐって 09/14 時間を消す 08/23 思考の胎児 name:ysmnb 幸いなるかな、両の眼よ おまえが見てきたものは それが何であれ じつに美しかった 「ファウスト」 (リュンコイスの唄より) web AMAZONの『会社は誰のものか』という書籍のレビューについて、著者の方といろいろや
(要旨) 現在日本のネット文化を考えるとき、コミュニケーション・ツールとしての電子掲示板(BBS:Bulletin Board System)が果たしている役割を無視するわけにはいかない。公共的な討議の場となることもあれば、友人との私的な会話空間や独白の舞台となることもある、あるいは、マスメディア的ジャーナリズムに対抗するような情報交換の場となることもあれば、匿名の有象無象が無責任な「放言」を垂れ流すだけのカオスともなることもある…毀誉褒貶さまざまな評価が差し向けられてはいるが、BBSが現代文化の「基層」を形成しつつあることは間違いないだろう。 本報告では、 1.日本におけるBBSの歴史的変容(90年代の「インターネットの世俗化」以前/以後の変容)を簡単にたどったうえで、 2.近年話題を集めている「ポストモダン社会」論、「データベース的消費」論(世界像を内包した物語よりは断
この件については読み返してみると、自分の大きな欠点(善悪の悪の部分)を目の当たりにせざるをえません。 エントリを読み返すのが苦痛で、返答が遅れました。 特にnomadicaさんがamazonへの書評を取り消した後となっては、私の悪の部分が残り、慙愧の念に耐えませんが、これも「」自分のなしたこと。永遠に人目にさらされる痛みにより、今後の教訓としたいと思います。 その後いろいろあって、本件のまとめサイト→ AmazonレビュアーVS著者 炎上顛末記 本件の続編→ nomadica様、まだお会いし、謝罪することは可能でしょうか? nomadicaさんの書評(そのほとんどは文学や歴史などについてですが)を私は熟読し、彼に才能というか正しい評価の力を認めました。だからこそ、彼の酷評に傷ついてしまいました。彼の本来の書評力ならば、僕の本を評価すべきなのに。という思いによりです。)彼が無能力ならば私は無
●僕の数学コンプレックス 僕は小さい頃から算数が嫌いだった。文章題は好きだったが、練習問題をいっぱい解くのが嫌いだった。嫌いだけど、幸い、成績はよかった。入学した三流高校の1年の最初のテストでトップだったのを覚えているが、夏休みを過ぎると何も分からなくなっていた。宿題の意味が全然分からなかったのだ。 算盤も嫌いで、2年以上通ったはずだが、7級どまりだった。7級というのはごくごく最初の級である。母親には「そのうち、機械が計算してくれるようになる」なんて言って止めた。7級で終わったのが恥ずかしかったが、ブラジルからの留学生、H君が「僕は算盤も得意です」というので級を聞いてみたら「7級です」と胸を張っていた。 算数、数学の宿題は大嫌いだった。毎日いっぱい宿題を出されたが、みんなどうしてあれだけの量をこなせるのか不思議でしょうがなかった。僕は計算が速いと思っていたけれど、それでもずいぶん時間がかか
「バロック」「キングオブワンズ」「ぷよぷよ」「トレジャーハンターG」「魔導物語」等のゲームを監督/脚本/企画した米光一成のSite 以前書いた「「アンチオレンジレンジ」サイトが「オレンジレンジファン」サイトになってる理由」ってネタは、オレンジレンジの曲が良い悪いとは全く関係のないネタだったのだ。 でも、オレンジレンジの曲が良い悪いで、コメントが盛り上がってしまった。 曲の良し悪しの議論って、ただの喧嘩になっちゃって(それは、それでおもしろいかもしれないけど)、対話としては不毛な感じになりがちだ。 わざわざ「あの曲はダメ!」と主張するのなら、不毛な対話にならないように、戦略を練ってからスタートしたほうがいいだろう。 以下、 【不毛な議論に陥らず「あの曲はダメ!」って言う5つのポイント】 1・主観的な感想なら主観的な言葉を使おう 好きになれない、すぐ飽きる曲だ、といった主観的な感想を、「質が低
「バロック」「キングオブワンズ」「ぷよぷよ」「トレジャーハンターG」「魔導物語」等のゲームを監督/脚本/企画した米光一成のSite LINK:レンジって盗作してんじゃね?FLASH オレンジレンジの曲が盗作って感じがしないのは、メジャーで誰もが知ってる曲があきらかにパッチワークされていて(しかも曲調がノーテンキアレンジだから)、盗作というコソコソ感がないためだと思う。 楽しげなパッチワークに思えてしまう。 本人たちが“オレたちの中の合言葉は〈パクろうぜ!〉です(笑)”と言ってることからも推測できるように確信犯的なパッチワークなのだ。 そのパッチワーク的な構造や、既聴感を楽しむべく作られているのだと思う(それが楽しいかどうかは聴く側による)。 「オレンジレンジの曲が盗作だ!」という主張のアンチオレンジレンジサイトが、アンチとしてはもうひとつ盛り上がらない(他の盗作指摘サイトみたいに問題として
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