Kazuto Suzuki @KS_1013 「私は大学教授だから特急に乗って帰らなければならないのだ」と受付の学生に存在しない特急の時刻表を要求する会員をなだめる。 #学会開催校の恨み 2012-05-22 11:11:51
2009年に「家の裏でマンボウが死んでる」という衝撃的なボーカロイドナンバーを引っさげニコニコ動画に現れた、その名も家の裏でマンボウが死んでるP。以来「クワガタにチョップしたらタイムスリップした」「My Colorful Confuse」など、独特の世界観をもつ楽曲を30曲以上制作し、ニコ動では500万回以上の再生回数を獲得している。 そんな人気ボカロPが、来る4月25日にメジャーデビューアルバム「My Coloful Confuse」をリリースする。さらにこれに伴い、自身の名前をタカハシヨウと発表。これまで一連のマンボウ作品の映像を手がけてきた、タカハシの実姉・マンボウの姉、改め竜宮ツカサをアートワーク担当の絵師として正式メンバーに迎え入れ「家の裏でマンボウが死んでるP」を、タカハシと竜宮のユニット名にすることを発表した。 楽曲から編成まで、全てにおいて異例ずくめのボカロPはいったいどん
以下の文章は、Hal Whiteheadのゼミで読むべきものとされていたものを日本語訳したものです(訳の間違いは天野に責任があります。見つけられたらご連絡を)。実は、アメリカの生態学系の大学院では広く読むことを奨められている文章のようです。大学院に進んで、研究者を目指すときに重要な点がいくつもストレートに述べられています。観点がやや異なる二つの文章がありますが、結局言っていることにあまり違いはないように思います。日本とアメリカの大学院というシステムの違いもありますし、若干古い文章で現状とは合わなくなっている点もありますが、私の研究室のみならず、どこの大学ででも海棲哺乳類の研究を目指す人にとって重要な指針となるものと思います。大学院進学を決める前に目を通しておいて損はないでしょう。少なくとも私の研究室に大学院生として進学を希望する人は、研究者を目指す心構えで来て欲しいですし、入学すればそのよ
テレビで魚に右利き左利きがあることを発見した教授が出ていて、その話がすごすぎた。餌をとるのに右にばかり曲がる魚とか、魚にも利きというのがあるらしく、しかもそうした魚を干物にすると、右利きは右に曲がって干からび、左利きは左に曲がって干からびる、つまり骨格から利きが決まっているらしい。その比較を見せてもらったときは鳥肌がたったわけで、偉大すぎるだろ、とびびっていたのだけれど、アナウンサーさんは変な研究、と言いたげに苦笑していて、しまいには「なんの役に立つんですか?」という自然科学でもっとも野暮な質問をしてしまっていた。 うーん。「なんの役に立つんですか?」という言葉は、実はいろんなことに投げかけられている。「マンガなんて読んで、なんの役に立つの?」「宇宙なんて研究して、なんの役に立つの?」「絵画なんて観て、なんの役に立つの?」大衆にとってもっとも価値があるのは「利便性」だ。「利便性>娯楽性>芸
Diamond.jpに連載されていた「『会社のワガママちゃん』対処法」が非常に面白く、身につまされて痛い。大学で学生指導を担当している教員のみなさんは目を通した方が良いと思う。 「会社のワガママちゃん」対処法 ここで言っているワガママちゃんというのは、ギャングエイジと呼ばれる精神的成長時代に人にもまれなかったために、ストレス耐性が著しく弱い未成熟な人のこと。 では私たち精神科医が捉える、人格の成熟の「指標」とはなんでしょうか? 精神科医の斎藤環先生(※1961年生まれ。筑波大学医学研究科博士課程修了、医学博士。専門は思春期・青年期の精神病理学、病跡学)は次の2点をあげています。 ・ストレスに耐えて葛藤を克服できる能力 ・相手の感情を感じて自分の感情を適切にコントロールできる能力 これらは、小学生時代から高校生くらいまでの思春期前後に、親子関係や友人関係における精神的葛藤体験の克服から獲得さ
うさぎがおいしいわけじゃないし、 「かの」という言葉も よくわかんないまま 歌ったり使ったりしていました。 石井桃子さんの翻訳した クマのプーさんのシリーズとか、 あのあたりの本にも おとなの言葉がすごく混じり込んでて、 読んだときのまま、そのままにしちゃって たのしい自分がいました。 宙ぶらりんで、すごく気持ちいいな、って 思ったおぼえがあります。
勤務先が自転車で15分の場所にあるおかげで、朝の連続テレビ小説を見て出勤するのが長年の習慣になっている。気の合う作品と出会えると、朝の仕事にもその作品に合った調子が出て、半年間がその作品の緩急にうっすら染まる一方、一、二ヶ月で見落とすようになってしまうこともあり、そんな場合は、ドラマもそこそこに出勤してしまう。これまで、最後まで見続けたものは『オードリー』『てるてる家族』『芋たこなんきん』『ちりとてちん』と大阪放送局制作のものが多い。 『カーネーション』を、3/31まで楽しみに見続けた。『カーネーション』を見ていると、作者や演出家、スタッフが、朝の生活をいかに丁寧に描いているかがよくわかった。早い朝、眠い朝、ミシンを踏みながら迎えてしまう朝、子どもを蒲団から追い出す朝の光が描かれ、時代ごとにかわる衣装や家のつくり、調度に配慮が行き届き、物語の朝が、見ているこちらの朝に染みてくる。 尾野真千
立教大学の歴史は、米国聖公会の宣教師チャニング・ムーア・ウィリアムズが1874年に創立した「立教学校」から始まります。キリスト教が厳しく弾圧されていた時代に聖書と英学を教える私塾を開くのは、計り知れない苦闘があったことでしょう。それでもウィリアムズは教え伝えること自体が自分の使命だと確信し、需要のない中でも教育を行う道を選択しました。145年以上を経た現在においても、その姿勢は失われていません。立教大学は世間のニーズに応える形で教育を展開するのではなく、「普遍的真理を探究し、この世界や社会のために働く者を生み育てる」というミッションのもと、人類が築き上げてきた知の体系とそれらを社会に還元していく力をもつ人を育む場として存在しているのです。 本学の教育方針の基軸であるリベラルアーツは、単なる教養教育などではありません。人類が長い歴史の中で探究してきたいまだ到達し得ない理想——それを追い続ける
もし今日が人生最後の日だったら、あなたは後悔を口にしますか。それはどのようなものですか。 人生最後の時を過ごす患者たちの緩和ケアに数年携わった、オーストラリアの Bronnie Ware さん。彼女によると、死の間際に人間はしっかり人生を振り返るのだそうです。また、患者たちが語る後悔には同じものがとても多いということですが、特に死を間近に控えた人々が口にした後悔の中で多かったものトップ5は以下のようになるそうです。 1. 「自分自身に忠実に生きれば良かった」 「他人に望まれるように」ではなく、「自分らしく生きれば良かった」という後悔。Ware さんによると、これがもっとも多いそうです。人生の終わりに、達成できなかった夢がたくさんあったことに患者たちは気づくのだそう。ああしておけばよかった、という気持ちを抱えたまま世を去らなければならないことに、人は強く無念を感じるようです。 2. 「
エラー(403 Forbidden) アクセスされたホームページは、アクセス制限によりご覧いただくことができません。 三重大学情報基盤センターホームページ閲覧中に、このページが表示された方へ 情報基盤センタートップページで、「」マークのあるページは学内からのアクセスに限定されています。 三重大学構成員の方は、「セキュアVPN接続サービス」を使うことで、学外からも学内制限ページにアクセスが可能になります。 (情報基盤センター以外の学内制限ページ・システムにもアクセス可能になります)
11:無名草子さん:2008/11/28(金) 22:21:25 貴志祐介の「新世界より」(上)(下) はあまりに分厚すぎて本の表紙に「2,3日有給をとって読まれることを心からお奨めします」 て書いてあった。正月休みに読んでみたい。 26:無名草子さん:2008/12/11(木) 00:39:33 真保裕一 「奪取」 手に汗握りながら読んだ本は後にも先にもこの本以外にありません。 29:無名草子さん:2008/12/11(木) 11:10:17 ドストの『罪と罰』。 夕方の4時から読み始めて、翌日の1時に読み終えた。 41:無名草子さん:2008/12/19(金) 16:40:27 色々あるけど本当に自分でも以外だったのが パールバックの大地 文庫4巻を徹夜で一気に読んだ(会社も休んだww) 44:無名草子さん:2008/12/23(火) 00:24:23 >>41 いいな。そういう有給の
丸善が出している『學鐙』という雑誌に教育論を寄稿した。 一般の方にはあまり手に取るチャンスのない媒体なので、ここに採録しておく。 不便さと教育 というタイトルを頂いて原稿を書くことになった。たぶん「教育と効率」の背馳について論じて欲しいというのが編集部の趣旨であろうと思うので、それについて書くことにする(違ったらごめんなさい)。 教育と効率は本質的になじまない。というのは、効率というのは、「単位時間内の仕事量」を以て考量するものであるが、教育がそのアウトカムを計測するときの時間の幅は原理的に「その人が死ぬまで」というもので、「単位時間」を切り出すことができないからである。 もちろん、無理をすれば単位時間を切り出して(「1時間以内の」とか「一学期以内の」とか「卒業時までの」とか)教育のアウトカムを考量することもできないことではない。 けれども、そこではじき出された数値は、教育を受ける本人にと
2月中旬。中学3年の男子生徒から高校合格の連絡を受けて、電話を切った小楠あゆみ(46歳)は安堵のため息をついた。 よかった――。 この数カ月、土日返上で南三陸町の子供たちの自習を支えてきた。高校受験を目前に控えた子供たちが、毎日のように小楠の下に通ってくる。正月も子供たちに付きっきりで過ごした。受験直前には手書きの模擬試験を作り、叱咤激励しながら、中学生10数人の受験へのラストスパートを見守った。 正直、プレッシャーは大きかった。だが、蓋を開けてみれば、受験した子供たち全員が隣町の進学校や国立の高等専門学校などに合格した。 「被災地だから」「自分の部屋がないから」「遺族だから」 そんなふうに子供たちが諦めたり、憔悴しきった状態になってはいけない。未来に向かって挑戦してほしい。その一心で過ごした小楠と子供たちの10カ月が、ひとつの節目を迎えた瞬間だった。 それは、避難所の片隅から始まった。
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く