安浦町の三津口湾に堤防として横たわる武智丸は、終戦間際の日本の状況を語る生き証人です。 このページではその武智丸の詳細な歴史を記録します。 観光施設としての武智丸の情報はこちらをクリックしてご覧ください。 【コンクリート船の建造計画】 太平洋戦争直前の昭和16年,アメリカ等各国から日本への鉄や銅の輸入が全面的にストップした。戦争が始まると物資はさらに不足し兵器に使用する金属類は枯渇する。窮余の策で誕生したのが「コンクリート船」である。当時の日本ではコンクリート船の建造実績がなかったので,一部の者から「狸の泥船を造るのか」とののしられたらしい。 船の基本設計は遠山光一技術中佐,実施設計は舞鶴海軍工廠の林邦雄技術中佐が行った。 試験結果から十分満足できるものであり,本部に建造許可を求めたが,なかなか納得しなかった。 林中佐は様々なデータを示し,安全性・経済性に優れていることを説き,ようやく建造