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ブックマーク / 1000ya.isis.ne.jp (9)

  • 0704 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    千の顔をもつ英雄 ジョセフ・キャンベル 人文書院 1984 Joseph Campbell The Hero with a Thousand Faces 1949 [訳]平田武靖・浅輪幸夫 超有名な。有名になったのはいろいろ理由がある。 俗っぽいところからいうと、ジョージ・ルーカスが大学でキャンベルの授業をうけて大いに感動し、その英雄伝説の基構造を『スター・ウォーズ』3部作にそっくり適用して大成功を収めた。何が基構造であるかは、あとで述べる。 やや学問的なことをいうと、神話学上で初めて「英雄」を規定した。英雄とは「生誕の再現」がたえずくりかえされる人間であり、その生命の啓示がカトドス(上り道)とアノドス(下り道)の交差の上に幾度となく成立するような人間のこと、総じては「自力で達成される服従(自己克服)を完成した人間」のことである。なるほどとおもわせる。 キャンベルはまた、神の造形はあ

    0704 夜 | 松岡正剛の千夜千冊
  • 0385 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    幕末三舟という。勝海舟・山岡鉄舟・高橋泥舟である。 いずれも変わっている。変人だ。猛烈に頑固だが群を抜く炯眼をもっていたのが海舟、槍しかつかえない武道者でありながら36歳でさっさと世を捨てたのが泥舟、掴みどころがないのに妙に"星一徹"だったのが鉄舟である。 その掴みどころがない鉄舟が「武士道」をおこした。 なぜ鉄舟にそのことが可能であったかを考えたいと思っていながら、いまだに果たせないでいるのだが、その解答のすべては書収録の文章から推し計るしかない。そのことはわかっている。ただ、はっきりしたことがわからない。 鉄舟に「武士道」という万延元年に書いた文章がある。書にも入っている。 「神道にあらず儒道にあらず仏道にあらず、神儒仏三道融和の道念にして、中古以降専ら武門に於て其著しきを見る。鉄太郎これを名付けて武士道と云ふ」とあって、鉄舟が初めて武士道という言葉をつくったか、あるいは初めて注目

    0385 夜 | 松岡正剛の千夜千冊
  • 1541夜 『ラーメンと愛国』 速水健朗 − 松岡正剛の千夜千冊

    先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。 ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。 それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、

    1541夜 『ラーメンと愛国』 速水健朗 − 松岡正剛の千夜千冊
    mfluder
    mfluder 2014/04/16
    "それに作務衣を着たのはラーメン屋だけではなく、一杯呑み屋から靴脱ぎ型の魚民・和民までがある。道の駅などもそうなってきた。平成の愛国モードは、あらためて衣食住のすべてを動員して語る必要があるだろう"
  • 1298 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    杉山茂丸は夢野久作の父君である。 近代日の命運に暗躍した稀代の怪人だ。 福岡を拠点に中央政界を動かし、 朝鮮や中国にも奇策を講じて触手をのばした。 仕掛けたことはつねに法外、埒外、論外だ。 けれどもその真意、どこにあるのかわからない。 国粋主義だかアジア主義だか、無節操主義だか、 コスモポリタンだか、マキャベリストだか、 政商だか、フィクサーだか、 たんなるホラ吹き男だか、さっぱりわからない。 それなのに、いまなら地検かマスコミに すぐに叩かれただろうことを、 しかし生涯にわたって豪快徹底して貫いた。 こんな男、もう日にはいない。 杉山茂丸の骨は夫人の骨と一緒に静かにぶらさがっていた。東大郷の医学部館の三階の標室である。そこには漱石の脳から高木彬光の『刺青殺人事件』(角川文庫など)で有名になった刺青の皮膚まで、近代日を象徴する数々の日人の“標”が展示されているのだが(ぼくは

    1298 夜 | 松岡正剛の千夜千冊
    mfluder
    mfluder 2013/11/28
    福岡から日本そしてアジア 思想と経営 明治・大正 玄洋社
  • 1167 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    私に千糸の髪がある 墨よりも黒い 私に一片の心がある 雪よりも白い 髪は断ち切ることができても 心は断ち切れまい 敬天愛人。西郷南州。 残念とは何かと思う。残念とは念が残ることをいう。残念無念は、その念すら見あたらないときをいう。来の無念は覚悟そのもののことである。 誰からもとくに咎められたことがないからといって、自らに咎めがないとはかぎらない。誰しも人前では申し上げない咎めとともに生きている。ぼくには何十もの咎めが跋扈する。その跋扈と去来は止みそうもない。 さあ、これをいったいどうしたらいいか。時計の針を戻してその現場に自分を置いてみるのか。謝るべき相手に低頭してお伺いをたてにいくものか。自分の内奥の土蔵をひたすら清掃するべきか。しばしば迷ったものだ。キリスト者の「懴悔」というものが羨ましく感じられ、仏教者の「瞑目」に説得力を感じもした。 しかし、日々の体験はどういうものであれ、たえず

    1167 夜 | 松岡正剛の千夜千冊
  • 0371 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    鹿児島生まれの海音寺潮五郎の晩年は、やはり西郷隆盛だった。何回にもわたって西郷を描き、さらにこれを大作に仕組んで、その完成を俟たずに亡くなった。ぼくはその西郷論に少なからぬ影響をうけた。 海音寺の作品では、一般によく知られているところでは『天と地と』が大ベストセラーになった。上杉謙信を描いた長編だが、昭和44年にNHKの大河ドラマになったときは、「文学がテレビの助けを借りねば読まれないなんて情けない」と強い不満を述べ、いっときは文壇からの引退を決意した。 そういう人なのだ。 海音寺はもともと歴史歴史学やメディアによってしか伝わらない風潮が大嫌いで、なんとか人々の歴史語りによって時代を継承していくことを訴えてきた。つまりは大河の脇に家を構えているような作家なのである。 そういう海音寺の傑作のひとつに『平将門』とともに、『武将列伝』『悪人列伝』がある。 いずれも連作で、かつ人々が武将や悪人を

    0371 夜 | 松岡正剛の千夜千冊
    mfluder
    mfluder 2013/10/06
    "海音寺はもともと歴史が歴史学やメディアによってしか伝わらない風潮が大嫌いで、なんとか人々の歴史語りによって時代を継承していくことを訴えてきた"
  • 0885 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    山中湖に徳富蘇峰記念館がある。紅葉が美しい2年前の秋、ここを未詳倶楽部の一行とともに訪れて、『近世日国民史』全百巻の威容を初めて見た。すぐ近くに三島由紀夫文学館もあるので寄ってみたのだが、蘇峰を見てからは残念ながら色褪せていた。 原稿用紙にして24万枚。それを蘇峰は晩年にさしかかった56歳のときの大正7年に起稿し、そこからえんえん35年をかけて昭和27年に完成させた。94歳までの驚くべき長寿と驚くべき執筆力であったとはいえ、すでに56歳をこえたぼくとしては、この気の遠くなるような事実だけにも戦慄する。 引き合いに出すのもなんだが、いま書き続けているこの「千夜千冊」は、400字原稿用紙でいうと一夜平均が約12枚くらいを書いているらしく(自分では数えたことがない、これはスタッフの話だ)、やっと“満願”を了えても5万枚に満たない。蘇峰は24万枚。 べつだん数や量などひとつの“結果”にすぎないの

    0885 夜 | 松岡正剛の千夜千冊
  • 1247 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    ロハスが何じゃい。 スローライフがどうするんじゃい。 環境保護者がなんで捕鯨船にペンキを投げるんじゃい。 中西悟堂翁が怒鳴っている。 自然を保護するとは、人間を保護することなんだ。 文明にはもともとアフターケアが必要なんだ。 自然を傷めて、福祉なんてする必要がない。 僧職を出て、鳥たちと遊び、ハダカで暮らし、 文明の暴力と闘いつづけた中西悟堂の、 これは「かみなりさま」との誓いの一冊だ。 比叡山に鳥の声を聴きにいったのは小学校5年の夏休みだった。昭和29年(1954)のことだ。簡便なズック鞄に、母が用意してくれた一泊用の薄い毛布やお菓子やおにぎりを入れて、見知らぬ小学生や中学生のグループに仲間入りした。 これが中西悟堂の「日野鳥の会」主催の探鳥会だということはずっとあとになってわかったことで、そのときは比叡山にはブッポーソーと鳴く鳥がいるというくらいしか知らないままのキャーキャー参加だっ

    1247 夜 | 松岡正剛の千夜千冊
    mfluder
    mfluder 2013/06/30
    "本人は、「ようするに一家ことごとく大西郷崇拝だったのだ」と済ました顔で書いている。なるほど悟堂は西郷からの流謫者だったのだ"
  • 0985 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    持ち重り。 石牟礼道子には、これまで発表された詩が30篇そこそこある。それらをまとめて、このほど『はにかみの国』という詩集が石風社から刊行された。なかに1974年に書かれた同名の『はにかみの国』という詩が入っている。 「ふるさとの海のよわいをかぞえる」と始まって、「インドの砂漠から匍匐(ほふく)してくる太陽よ」とよびかけ、「こころづけば はにかみの国の魂は去り 原始(はじめ)よりことば 知らざりき ことばは 黄泉(よもつ)へぐいと知らざりき」で終わる。 たいへんに響いてくる詩だ。 その響きがどこかに当たるところがある。さながら水琴窟の水滴を受ける壷のようなものとも、雨垂れが打つ樋とも、もっと巨きく、木霊がそこから戻ってくる見えない蒼穹ともいえるところに、響きがこつんと当たっているとも聞こえる。 きっとそこへ言葉が往って、復ってくるのであろう。そのどこかに響きがあるわけで、おそらくはこの詩か

    0985 夜 | 松岡正剛の千夜千冊
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