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ブックマーク / mphot.exblog.jp (34)

  • つり燈籠 | 写真でイスラーム  

    長谷寺の釣り燈籠。京都・奈良では数多くの釣り燈籠を見るが、見るものが多すぎるためか案外燈籠まで意識してこなかった。 長谷寺でとくに花も少ない中で竹の緑を背景とした吊り燈籠が美しかった。 釣り物はやはり金属が安心だ。 デザインが凝っているので、火のともらないときもインテリアとなっていく。 2.異国の吊り燈籠 チュニスのバルドー美術館の釣り燈籠を思い出した。 繊細な彫の天井と壁にやはり緻密な燈籠が下げられていて、周りが白いだけに全体を引き締めるポイントになっていた。

    つり燈籠 | 写真でイスラーム  
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    mfluder 2014/11/19
    きれい
  • 高橋大輔・・・引退の衝撃 | 写真でイスラーム  

    1.驚愕 朝から昨日のお抹茶をのみにいった場所についてアップして、それから仕事に出た。台風一過すっきり晴れたね、と思いつつ通勤列車へ。そのあとに娘からラインに何か入った。 「大ちゃん、引退だってニュースで言ってる!」 その衝撃の大きさ、ずっとずっと、いつか競技に戻ることが出来る、膝を1年でも2年でも3年でもかけて直していつか60m×30mリンクに戻ってきてくれる、そう願ってきた。それだけに、もしかして膝は癒えないほどなのか・・・、ショックだった。 iphoneでニュースを探る指が震える。 当だ。あちらこちらで同じ文で発表されいる。でも、これまでどんな内容も大輔さんは自分の口で最初に発表している。まだ、大輔さんの発表はないのか、問い合わせる。まだだが、午後にあるとのこと。もう仕事しながら心はざわめき通し。メディアが何を言おうと人の言葉が出てくるまではじっと待とう。 でも、大輔さん引退なら

    高橋大輔・・・引退の衝撃 | 写真でイスラーム  
  • 陶芸とアラビア書道 | 写真でイスラーム  

    14~15世紀 ラスター彩タイル。 イスラームの博物館などを見ていると、数ある皿や壺、タイルの中でも、やはりアラビア文字を書いた皿やタイルに思わず目がいく。 この十字の星型にも周囲にぐるりと書かれている。この写真の一番上のとがった部分の左半分から左に向かってバスマラが書かれており、ここから読む。続きにはハーフェズのガザルが書かれている残念ながら割れてしまっているが、おそらく、10枚前後のタイルでワンセットである。 ラスター彩陶器  イラン・ガラス陶器博物館 文字が腕の文様とともに縦に何列かに文字列がはいっている。ディーワーニーの書き方でペルシアの詩が書かれている。 このように文字を書くのは極めて難しそうだが、何しろやってみたことがないのでいつか書いてみたいと思っていた。 2.書いてみた 陶芸粘土をこねさせていただく機会があったので、ただ思うがままに平たい皿にして中央に花、花弁の数だか放射状

    陶芸とアラビア書道 | 写真でイスラーム  
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    mfluder 2014/07/14
    きれいだ
  • 写真でイスラーム   : 戦場のカメラマン、渡部陽一さんの本質は写真から

    渡部陽一さん 先日、シリアに行っている方から渡部陽一さんのブログでレバノンの様子が紹介されていて大変なことになっているらしいと連絡をいただいた。 5日の日に、レバノン人シェフに、戦争の時の話を聞いたばかりだったので、「えっ!またか?なにがおきたのか」・・・と非常に心配した。 だがそういうニュースはないので、ひとまず調べてみた。 すると渡辺さんのブログに確かにレバノンの爆撃されてめちゃめちゃに壊され、悲嘆にくれる住民達、壊される日常といった写真がたくさん載せられていた。 でも、読んでみると、渡部陽一さんは戦場のカメラマンとして戦場に行っているときはもちろん撮影と準備とに専念しているのだが、日に返ってきているときにその撮影した戦場の真実を一日に数枚ずつアップしているのだということがわかった。(今はアフガニスタン従軍記録に変わっている) 渡部陽一さんのブログ「戦場からこんにちは」 ご存知のよう

    写真でイスラーム   : 戦場のカメラマン、渡部陽一さんの本質は写真から
  • 大イチョウの木を惜しむ | 写真でイスラーム  

    鎌倉の大イチョウ倒れる 12日、大銀杏の木に会いに行ってきた。 鎌倉生まれの自分にとって、大仏様は青空の下におられ、鶴岡八幡宮の高さ30mの大銀杏は階段の左に鎮座しているのが当然の存在であった。その木が3月10日早暁に突然倒れ、なくなるという事は、信じられない思いだ。 確かに生きている化石ともいわれるイチョウであろうとも、どんなに樹齢が長いといわれていても、生物であるのだから、いつかは命が絶えるものではある。 しかし、存在が当たり前と思っていたものが、こんなに突然にばったりと倒れてしまうとは・・・・。 残骸になろうとも、会いに行ってその最後の姿を見てこなくてはという思いに駆られた。 しかし、三の鳥居の前まで行って、道路を渡ろうとしたとき、八幡宮からクレーン車が出てきた。 これは、もう一目見ることもかなわないのか、そういえば、クローン再生、あるいは幹の一部を切って植えることで芽がでないか早急

    大イチョウの木を惜しむ | 写真でイスラーム  
  • 遥かなリ、古代ペトラへの道 | 写真でイスラーム  

    ペトラ遺跡から古代を思う ヨルダンのペトラ・・・ 宝物殿(エル・ハズネ)や修道院と仮称される宮殿風の外観を持つ掘削建築が圧倒的なイメージを形成している。しかし実際にきてみれば宮殿ではないし、極めて奥行のない装飾的建築なのだ。 では、それでがっかっりしたかというとそんなことは無い。ペトラ地域の深い歴史 、ナバテア人の交易による繁栄、繁栄ゆえのローマ帝國との軋轢、一旦は押さえられながらも、交易商人のたくましさでしばらく共存していたが、最期はローマに完全に支配される。そして、ローマが衰え,7世紀には歴史から忽然と消えてしまった。そういったことを思いながら歩いた道はその曲がり方岩壁のカーブまでもが何かを語っているかのようだ。 上の写真は遺跡の中ほどのローマ帝国の列柱通りの終わりのところから振り返って見たもの。 写真は実際はこの3倍の幅まで撮影している。それでも目に見える範囲がすべて入ったわけではな

    遥かなリ、古代ペトラへの道 | 写真でイスラーム  
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    mfluder 2010/01/09
    "あぁ!遥かなり、古代ペトラへの道!!"
  • 千代の富士とその父 | 写真でイスラーム  

    の国技、大相撲。日を代表する文化の一つといってよい。そして、かつらでなくて髷(まげ)を結う唯一の職業である。 *なにしろ、日のだれもが髷を結っていた習慣は、明治維新で華族から平民まで男という男はすべて髪を切って西洋人風にしなければならないという断髪令が出て、消え去った。そのとき、元お殿様であった人さえ断髪しなければならなかったのだから、ずいぶん徹底した法律だったのだ。その中で。唯一の例外として認められたのが大相撲の力士(Sumou Wrestler)であった。 近年は外国人力士の活躍が目立つが、すばらしい横綱が大相撲人気を牽引した時代があった。元横綱、千代の富士、力士の中でとくに軽量、負けん気はあるが肝心な相撲で対戦して肩に無理が行くと脱臼、誰の目にも明らかな猛烈な痛みを声には出さず土俵を降りていく姿を何度見てきたことか。 それでも、負けずにその脱臼癖のある肩を筋肉を鍛えることで固

    千代の富士とその父 | 写真でイスラーム  
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    mfluder 2009/12/06
    "平山氏と被爆体験を書きながら、脳裏に鮮やかに蘇った被爆者の目に見えてこない悩みと、その後の思いを書きとどめておきたいと思った"
  • ペルセポリスに見る楔形文字 | 写真でイスラーム  

    ↑ 空撮写真(「メソポタミアの遺跡」より引用。ただし、間違って写真が左右反転して掲載されていたので、修正を加えた。) 現在のシーラーズから60kmのところに、クーヘ・ラハマト、慈悲の山と称される山がある。この山の山すその西側にほぼ長方形に整地し、455×300mの大基壇を築き、そこにアケメネス朝の都を建てたのがダレイウス1世だった。アケメネス朝の3代目である。 ダレイウス1世宮殿にその名をさがす ダレイウス1世が使節団を謁見したアパダーナと呼ばれる建築の隣にダレイウス1世宮殿(タチャラ)がある。そこに至るまでに壁画につぐ壁画や巨大な柱の残骸などを見続けているので、西中央にあるこのあたりに来ると、壁画に対してもさしたる驚きもなく、当たり前に眺めてしまうことが多くなる。 しかし、この壁面にこそ、アケメネス朝時代の楔形文字がくっきりと石に彫られている。 この中に、ダレイウス(ダリウス)の名はある

    ペルセポリスに見る楔形文字 | 写真でイスラーム  
  • ゾロアスター教(1) | 写真でイスラーム  

    ヤズドに見るゾロアスター寺院 ゾロアスター教は拝火教ともいう。ペルシアを語るにはミトラ教と共に欠かせない。 ヤズドには今でもゾロアスターの名残りが色濃い。

    ゾロアスター教(1) | 写真でイスラーム  
  • 高原の支配者 | 写真でイスラーム  

    パサルガダエ 紀元前6世紀、シラーズの北東のイラン高原に、創始者キュロス大王(キュロス2世)によるアケメネス朝最初の首都が造営された。それが「ペルシア人の営」と呼ばれ、それが現在、パサルガダエ(パーサールガード)の名称となっている。 ファールス地方の王キュロ ス2世(B.C.600頃~B.C.529)は、宗主国メディアを倒してイラン高原の支配者となり、BC559年 にアケメネス朝を起こした。キュロス2世はさらにリュディア、バビロニアを征服した。 キュロス2世の墓は切石を6段積み上げて、その上に切屋根をのせた墓であり、石灰岩でできている。高さ11m。200年のちにアレクサンダー大王が征服者としてやってきた時に、ここは墓の周りにいろいろな木が繁る美しい庭園があったという。広い空間の中央部にこの墓があり、周囲には円柱の回廊めぐらされていた。入口は1箇所だけであり、中には、黄金の棺、真紅の服・

    高原の支配者 | 写真でイスラーム  
  • エルトゥールル号の遭難 | 写真でイスラーム  

    1890年9月15日に日の海軍から台風が危険だと横浜港を出航したエルトゥールル( Ertuğrul)号は、日列島沿いに西進した。 台風に遭遇す 9月16日夜には和歌山県潮岬の隣、大島沖に到達していた。しかし危惧されたとおり、台風に遭遇し、荒れ狂う台風の暴風雨に木の葉のように揺さぶられ座礁した。、旧式木造船はまったく持ちこたえられなかった。 ここは州における最南端であり、太平洋に向かって突き出した岬と島がある。 樫野埼灯台下の岩礁「船甲羅」とよばれる岩礁があちこちに顔をのぞかせる難所であった。 その中で船は砕け、総員609名は暗い海に投げ出された。 その場所が紀伊大島の東側、樫野崎灯台があったその先の海だった。 波に打ち付けられながらも岩場にしがみつき、かろうじて断崖絶壁を這い上がったトルコ将兵がいた。彼らが助けを求めたことから、外国船の座礁を村人が知ることとなる。 村人の救助活動 す

    エルトゥールル号の遭難 | 写真でイスラーム  
  • 『青の方舟』 A Blue Ark・・・アラビア書道作品 | 写真でイスラーム  

    A Gallery of Arabic Calligraphic Works of Fuad Kouichi Honda ≪田孝一氏Web作品展≫・・・ アラビア書道家・田孝一氏の作品を紹介する特集 ( ↑ 作者の許可を得て掲載しています) Web作品No.18 『青の方舟』 A Blue Ark ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ・内容:「私の家の人々を例えれば、それはノアの方舟のよう。 それに乗った者は救われ、乗り遅れた者は溺れる」(ハディースより) ・書体:ジャリー・ディーワーニー体、上の丸い月の部分はファーリスィー体(ナスタアリーク体) ・大きさ:縦59cm×横108cm ・制作年:2009年 ・材質/技法:(文字)レタリングゾル・ドローイングインク、(彩色)アクリル絵具 ・撮影条件:展示場所での撮影。(2つのスポットライトがあたる中

    『青の方舟』 A Blue Ark・・・アラビア書道作品 | 写真でイスラーム  
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    mfluder 2009/08/13
    綺麗
  • 武将の時代の象嵌 | 写真でイスラーム  

    ↑ トプカプ宮殿 16世紀のスルタンの兜。 アラビア文字と宝石による儀礼用兜。スルタンの道具についてはほとんど金の象嵌が行なわれていた。 アラビア文字の部分は金の象嵌が行なわれ、る。文字であるだけにその幅や曲がりしなり、難しいところが数多くあるはずだが、きっちりと仕上げている。 2.武士の鎧兜や鐙への象嵌 ☆銀象嵌花菱内菊水之鐙(あぶみ) 江戸時代初期、17世紀の作。鐙(あぶみ)を正面から見ると、鳩胸とよばれるふくらみがいくつかあり、その複雑な形に上に花菱が描かれている。 これが極細の銀の象嵌が行なわれた工芸の実際である。 ふつう、装飾はここまでで充分かと思うのだが、日の工芸職人のすごいところは足を乗せてしまって見えなくなるはずの踏込(ふんごみ)のところまで、入念な銀象嵌をほどこしてしまうところだ。 (佐竹史料館の許可を得て撮影・掲載しています) 文様は菊水、日ならではの水の表現は数限

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  • 雲間の日食 | 写真でイスラーム  

    7月22日、日の日・・・雲と雨 晴れても、太陽用のフィルターがないから日撮影はできない。そして、厚い雲と、ときおりぱらつく雨に一眼レフをもっていくことさえあきらめた。 ☆雲間の日を捉える・・・ただし、小さいコンパクトデジカメで! 雲が厚い、 ただし、動いている雲なので、可能性は0に近いが、0ではない。 だから、一応、仕事をしながらも時間になると空を見た。 全く見えないのだが、風で雲が少しづつ動いていることだけが希望を残していた。 ★神奈川県の日 厚い雲がわずかに薄れて光が見えたときに雲の向こうの太陽を撮った。 あまりにも曇っていたおかげでフィルターも何もないのだが撮れた。 しかも、無理と思っていたので、三脚さえ用意していない。手持ちで天空を向いて、脚を踏ん張り、脇をしめて、極めつけのアナログ姿勢で撮った。(砂漠での撮影姿勢が役に立っているような・・・) カメラはもう何年も使って液晶

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    mfluder 2009/07/23
  • 日食&ジャンタル・マンタル(1) | 写真でイスラーム  

    ☆日 2009.07.22 日でも日の見られる日として、沸き立っている。天体ショーとしてこれほどみごたえのあるものはない。私も写真をと思ったが、太陽を撮るには太陽専用フィルターが必要とわかり、木漏れ日観測にしようかと思っていた。しかし、天候が・・・。 はたして、雲が切れる時があるか、期待したい。 それにしても、日はどういう動きでなっていくのか。 こういう天文関係でお世話になっている「こよみのページ」さんを訪ねたら、やはりあった。 こよみのページ ① このHPの左側の項目の中に日シミュレートをクリック ② でてきたページで2009年の7月を選択、 ③ ちょっとスクロールして、見る地方と都市名を選ぶ そうすると太陽と月の動きが出てきて、どのように見えるのかというシミュレーションを見ることができる。 ★日シミュレーション★ なるほど、太陽と月はこういう動きをするのだと納得

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  • アラブ料理をKLで! | 写真でイスラーム  

    ☆イスラムアート美術館でアラブ料理 クアラルンプルのイスラムアート美術館は安心してアラブべたい時にはなかなかよい。 もっとも自分は草動物に近づきつつあるので、牛や羊やチキンのランチもあるが避けてしまい、ベジタリアンな写真しかないのだが・・・。 そんなわけで、マレーシアでいただくムサカ! トマト・ナスにホワイトソース・トマトソースで、色香りともおいしそう。もちろん、熱々!そして小さな椀のように見えるがこれが思ったよりも量もある。 ◆ もちろん他の方はお肉の方がおおくて、いずれもたいそうなボリューム!お皿にずっしりとお肉が載ってくる。色からするととてもおいしそう料理されているようだが、量は日人には多すぎという盛り付け。

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    mfluder 2009/07/20
  • イスラームの陶器の発見&陶磁器の西進 | 写真でイスラーム  

    ◆イスラームの陶器が発見されたという。これまでにも福岡県では発見されているが、今回奈良の西よりの西大寺敷地から木簡と共に発見された。木簡に記された元号を直すと西暦768年となり、その前後の陶器ということになる。 色は深い青緑で、大きいもので7×12cm、全部で19点が見つかった。 発掘というのは集落や寺領など、ここぞというところで掘れば結構いろんなものが出てくるものである。陶器の発掘はしたことはないが土器の場合、大きさはやはりこまごまとした体を想像しにくいものばかりである。たまに十数センチのが出てくると、これを中心に厚みや材質・色などの似通ったものを集めて復元していく。今回のは壷の高さが50cmほどのものと推定されている。 破片の全部が発見されることはまずない。一つ一つの破片をどこの部分か想像し足らない部分は石膏で固めてうめていく。以前はそうやっていたが、最新の方法はどうなのか。今ならさ

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    mfluder 2009/07/05
    東から西へ
  • 謎のトゥグラー・コイン | 写真でイスラーム  

    それは、某インドカレー屋から始まった。 インドカレー屋で、なぜかスーダンの話。 もっともスパゲッティ屋でも蕎麦屋でもアラブの話はするが・・・。 1.スーダンのコイン?! アラビア書道をしておられる方がスーダンにいったお話、いつも楽しく聞かせてもらっている。さらになぜかお財布に入っていたスーダンコインが2つで、さらに盛り上がる。 1つは10、そして、スーダーンは読み取れる。 ◆だが、ふと興味を持ったのは、5のほうだ。 それは見覚えがありすぎるトゥーラの3のたてのラインや弧や右へのびるラインを持つれっきとしたトゥーラ、いや、アラブなので、『トゥグラー』デザインだったのだ。 *(注)トゥグラー・・・トルコのアラビックカリグラフィーのスルタンの署名。トルコ語ではトゥーラという。独特の形にデザイン化された。のちには、この形でjコーランの言葉を書いたり、名前を書いたりすることが行われるようになった。

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  • ヘンナ&美しい手 | 写真でイスラーム  

    ヘンナ(ヘナ)という名で紹介してきているが、お祝い事にもつき物のヘンナ、それを廻るひとの表情はどうなんだろうか。 1.あざやかに描き出されるヘンナの模様 ヘンナを入れたチューブから手馴れた動きで自由自在に描き出される模様。 このような腕から手の甲・中指の先までのヘンナは若い女性の好むところであり、華やかで手指を美しく演出する。 一度指先までやってみたいが、仕事を持つ身ではかなわない。中東を歩いている時ならおもいっきりやっても大丈夫だが、日ではさすがにやりにくい。 アラブの女性が指先から腕にかけて描くのが一般的だ。 それにたいして日ではどこにヘンナをするか? ↓ 日女性はこのように腕にやってもらう人が多い。 これなら長袖で隠れるので仕事に支障ないからだろう。 ティーンエイジャーのとあるアラブ・・のお嬢さん、あまりに可愛いので撮影させてもらった。だいぶ乾いてきてヘンナが落ち始めると明るい

    ヘンナ&美しい手 | 写真でイスラーム  
  • 古代エルサレム地図・・・モザイク紀行(11) | 写真でイスラーム  

    ↑ヤシの木に囲まれた中央の町はエリコ(IEPIXW)である。 旧約聖書の中でメデバと表された土地、それがマダバであり、ナバテア王国盛んな頃はその版図に入っていた。しかし、A.D.106にローマ帝国の支配下に変わり、そのご東ローマ帝国が7世紀まで支配した。7世紀からはウマイヤ朝に属す。 マダバは746年の大地震に見舞われ、再建不可能ということで廃墟になった。1100年を経て1880年にアラブ人キリスト教徒が移り住み、古代の廃墟の上に現在のマダバの町が築こうとした人々は町の各所からモザイクを発見した。1896年には明らかに地図の形をしてローマの文字で地名が書かれたパレスチナ・ヨルダンの地図が出土した。 町の人々はこれらのモザイクを大切に保管し、現在はこの町の重要な観光資源となっている。 マダバは死海の近くの町であり、アギオス・ゲオルギオス聖堂(英語:セント・ジョージ教会)というギリシア正教の教

    古代エルサレム地図・・・モザイク紀行(11) | 写真でイスラーム