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エルトゥールル号の遭難 | 写真でイスラーム
1890年9月15日に日本の海軍から台風が危険だと横浜港を出航したエルトゥールル( Ertuğrul)号は、日本... 1890年9月15日に日本の海軍から台風が危険だと横浜港を出航したエルトゥールル( Ertuğrul)号は、日本列島沿いに西進した。 台風に遭遇す 9月16日夜には和歌山県潮岬の隣、大島沖に到達していた。しかし危惧されたとおり、台風に遭遇し、荒れ狂う台風の暴風雨に木の葉のように揺さぶられ座礁した。、旧式木造船はまったく持ちこたえられなかった。 ここは本州における最南端であり、太平洋に向かって突き出した岬と島がある。 樫野埼灯台下の岩礁「船甲羅」とよばれる岩礁があちこちに顔をのぞかせる難所であった。 その中で船は砕け、総員609名は暗い海に投げ出された。 その場所が紀伊大島の東側、樫野崎灯台があったその先の海だった。 波に打ち付けられながらも岩場にしがみつき、かろうじて断崖絶壁を這い上がったトルコ将兵がいた。彼らが助けを求めたことから、外国船の座礁を村人が知ることとなる。 村人の救助活動 す