社会というのは小さくなればなるほど排斥的行為を正当化できる性格を持っている。極端な話、自由とかプライバシーというのが究極のそれなんだけど、このレベルにおいても「正しくあらねばならない」と圧力がかかることはままある。生き方を制限することへの憎悪と同じ口が他者の内心を批判するということがあるのを僕は不思議に思うけれども、いずれにしても最後の砦は個である。 縛られることを忌避して核家族ばかりと化した社会がそれが故に自由を奪われる羽目になっているような現状において、結局のところ何かについて自由であることは何かについて不自由であることを受け入れたことによって得られる結果でしか無いことを実感している人は多いだろう。 ともあれ、自由の真実に気がついてしまった人々が耐えられなくなりつつあることを利用しているのが今の政権である、という見方をすることは出来なく無いだろう。ここでの右傾化とはすなわち自由を売り渡