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駆逐艦に関するmforce4のブックマーク (217)

  • 夕凪 (初代神風型駆逐艦) - Wikipedia

    夕凪(ゆうなぎ / ゆふなぎ)は、大日帝国海軍の駆逐艦で、神風型駆逐艦 (初代)の14番艦である。同名艦に神風型駆逐艦 (2代)の「夕凪」があるため、こちらは「夕凪 (初代)」や「夕凪I」などと表記される。 1905年(明治38年)2月15日、命名(製造番号第14号)[2]。1906年(明治39年)1月20日、舞鶴海軍工廠で起工[3]。同年8月22日、進水[3]。同月29日、駆逐艦に類別[4]。同年12月25日、竣工[3]。 1924年(大正13年)12月1日、除籍[5][6]。1925年(大正14年)4月1日、廃船認許。1926年(大正15年)5月5日、売却。 ※『日海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。 駆逐艦長 森義寛 少佐:1906年11月22日 - 1907年7月1日 高橋律人 大尉:1907年7月1日 - 1908年4月20日 黒田勇吉 大尉:190

  • 夕凪 (2代神風型駆逐艦) - Wikipedia

    夕凪(ゆうなぎ / ゆふなぎ)は[12]、日海軍の駆逐艦[13]。 艦名の意味は「夕方、風の凪ぎたること。夕方に陸風と海風が交代する時に暫く風が止み、波が静かになること」[14]。 艦名としては明治39年進水した駆逐艦「夕凪」に続いて2代目[14]。 概要[編集] 一等駆逐艦夕凪(ゆうなぎ / ゆふなぎ)は[15]、日海軍が大正時代に佐世保海軍工廠で建造した駆逐艦[13]。神風型駆逐艦の9番艦である[16]。同型最終艦で[15]、艦船名は1906年(明治39年)竣工の初代神風型駆逐艦・夕凪に次ぎ2隻目。竣工時の艦名は第十七号駆逐艦で[13]、1928年(昭和3年)8月に「夕凪」と改名された[17]。1936年(昭和10年)6月から10月にかけては第三航空戦隊として、1937年(昭和12年)1月から7月にかけては第十二戦隊として、南洋諸島の長期調査航海をおこなった[18]。 1941年(

    夕凪 (2代神風型駆逐艦) - Wikipedia
  • 春風 (2代神風型駆逐艦) - Wikipedia

    春風(はるかぜ)は、日海軍の駆逐艦[5]。神風型駆逐艦(2代目)の3番艦である[6]。 当初の艦名は第五駆逐艦[7][8]。続いて第五号駆逐艦と改名[8]。最終的に「春風」となった[5][8]。この名を持つ日海軍の艦船としては神風型駆逐艦 (初代)「春風」に続いて2隻目[9]。後に初の国産護衛艦である「はるかぜ」に引き継がれた。 1921年(大正10年)10月12日、神風型駆逐艦7隻(第一駆逐艦《神風》、第三駆逐艦《朝風》、第五駆逐艦《春風》、第七駆逐艦《松風》、第九駆逐艦《旗風》、第十一駆逐艦《追風》、第十三駆逐艦《疾風》)、若竹型駆逐艦10隻(第二駆逐艦《若竹》、第四駆逐艦《呉竹》、第六駆逐艦《早苗》、第八駆逐艦《早蕨》、第十駆逐艦《朝顔》、第十二駆逐艦《夕顔》、第十四駆逐艦《建造中止》、第十六駆逐艦《芙蓉》、第十八駆逐艦《刈萱》、第二十駆逐艦《建造中止》)および掃海艇4隻に、それ

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  • 追風 (2代神風型駆逐艦) - Wikipedia

    追風(おいて/おひて)は、日海軍の駆逐艦[1][2]。神風型駆逐艦(2代目)の6番艦である[3]。この名を持つ日海軍の艦船としては神風型駆逐艦 (初代)「追風」[4]に続いて2隻目。 概要[編集] 駆逐艦追風(おいて/おひて)は、日海軍が浦賀船渠で建造し、1925年(大正14年)10月に竣工した神風型駆逐艦[5]。竣工時の艦名は「第十一号駆逐艦」[2]。 太平洋戦争開戦時、ひきつづき第六水雷戦隊[注釈 1]隷下の第29駆逐隊(追風、疾風、朝凪、夕凪)に所属し、南洋部隊[6](第四艦隊)所属部隊と共にウェーク島の戦い[7]、ラバウル攻略戦、ラエ・サラモア攻略戦に参加した。同作戦中に空襲をうけて損傷、第29駆逐隊は内地に帰投した[5]。佐世保で修理後、ふたたびトラック泊地に進出、以後はソロモン諸島や東部ニューギニアでの作戦に従事する[8]。 1942年(昭和17年)7月10日[9]、第六

    追風 (2代神風型駆逐艦) - Wikipedia
  • 楓 (樺型駆逐艦) - Wikipedia

    ^ #軍艦基計画資料Sheet14、樺完成常備状態の値として、全長82.906m、水線長82.308m、垂線間長79.260m、水線幅7.325mとしている。 ^ #日の駆逐艦p.293では全長82.29mとしている。 ^ #戦史叢書31海軍軍戦備1付表第一その二「大正九年三月調艦艇要目等一覧表 その二 駆逐艦」による。安式12cm砲。 ^ #戦史叢書31海軍軍戦備1付表第一その二「大正九年三月調艦艇要目等一覧表 その二 駆逐艦」による。四一式。 ^ #堀駆逐艦1969p.115、#聯合艦隊軍艦銘銘伝2014p.424では大正4年3月26日竣工としている。 ^ a b c d e f g 『日海軍史』第7巻、296頁。 ^ #海軍制度沿革10-1(1972)p.530『大正四年二月六日(内令三七) 海軍定員令中ノ通改正セラル 別表「二等驅逐艦定員表」ノ下ニ「其一」ヲ加フ 別表中ヘ附表

  • 柿 (樅型駆逐艦) - Wikipedia

    柹[6](柿、かき)は、大日帝国海軍の駆逐艦で、樅型駆逐艦の7番艦である。同名艦に橘型駆逐艦の「柿」があるため、こちらは「柿 (初代)」や「柿I」などと表記される。 艦歴[編集] 1919年(大正8年)2月27日、浦賀船渠で起工[7]。同年10月20日午後2時30分進水[8]。1920年(大正9年)8月2日竣工[9]。 1932年(昭和7年)、第一次上海事変において揚子江水域の作戦に参加した[1]。 1940年(昭和15年)2月1日除籍。同年11月15日、雑役船に編入され、海軍兵学校付属の練習船となる。前部魚雷発射管を撤去し、その跡と艦尾に甲板室を新設した。その他の兵装は残されたが、1944年(昭和19年)に撤去された[10]。 1945年(昭和20年)2月23日、柿 (橘型駆逐艦)との区別のため、大須(おおす)に改称された。そのまま終戦を迎え、終戦直後に日を通過した枕崎台風や阿久根台

    柿 (樅型駆逐艦) - Wikipedia
  • 楠 (樺型駆逐艦) - Wikipedia

    ^ #軍艦基計画資料Sheet14、樺完成常備状態の値として、全長82.906m、水線長82.308m、垂線間長79.260m、水線幅7.325mとしている。 ^ #日の駆逐艦p.293では全長82.29mとしている。 ^ #戦史叢書31海軍軍戦備1付表第一その二「大正九年三月調艦艇要目等一覧表 その二 駆逐艦」による。安式12cm砲。 ^ #戦史叢書31海軍軍戦備1付表第一その二「大正九年三月調艦艇要目等一覧表 その二 駆逐艦」による。安式8cm砲。 ^ a b c d e f 『日海軍史』第7巻、297頁。 ^ #海軍制度沿革10-1(1972)p.530『大正四年二月六日(内令三七) 海軍定員令中ノ通改正セラル 別表「二等驅逐艦定員表」ノ下ニ「其一」ヲ加フ 別表中ヘ附表ノ通二等驅逐艦定員表其二ヲ加フ | 艦第二十表ノ二 |二等 驅逐艦定員表 其二 | 驅逐艦名 | 樺、桂、榊、

  • 潮【綾波型駆逐艦 十番艦】その1

    出典:『極秘 日海軍艦艇図面全集』 【潮】は竣工後に【朧】【曙】が所属している第七駆逐隊に編入されました。 出入りの激しい第七駆逐隊ですが、【潮】と【曙】は解隊もしくは沈没まで第七駆逐隊に所属し続けています。 昭和16年/1941年7月18日、第七駆逐隊は第一航空戦隊所属となり、機動部隊の護衛任務に就くことになります。 9月1日に【朧】【漣】が第五航空戦隊に異動するものの、【漣】だけ25日にすぐに一航戦に戻ってきて、第七駆逐隊はこの3隻で太平洋戦争に挑みました。 しかし第七駆逐隊は一航戦ここにありと機動部隊の強さを知らしめた「真珠湾攻撃」に参加することができないという大きな壁に直面します。 かつては世界を驚かせた「特型駆逐艦」ではありますが、すでに【潮】も竣工から10年を迎えており、それより強力な「甲型駆逐艦」の誕生や、自身の改装などによる性能低下の影響で決して一級品の駆逐艦とは言えなく

    潮【綾波型駆逐艦 十番艦】その1
  • 島風 (島風型駆逐艦) - Wikipedia

    兵装の変遷[編集] 島風は竣工時より22号(対水上用) 電探を前マストに装備し、後に13号電探を後部マストに装備した[16]。機銃は竣工時に艦橋前に装備した13mm連装機銃を25mm連装に変更、25mm連装機銃は同3連装に交換した。また2番、3番魚雷発射管の間に機銃台を設け、25mm3連装機銃2基を装備、合計25mm3連装4基、同連装1基となった[16]。単装機銃は1944年6月30日調べの「あ号作戦後の兵装増備の状況調査」では25mm単装7挺、同据付座7基、13mm単装1挺とされている[16]。その他に爆雷投下軌道(軌条)2組も装備された[16]。 艦歴[編集] 1941年(昭和16年)8月8日[24]、第125号艦として、舞鶴海軍工廠で起工した[22]。 1942年(昭和17年)5月15日、日海軍は第125号艦を島風(シマカゼ)と命名する[20]。艦艇類別等級別表に(艦型なし)島風と

    島風 (島風型駆逐艦) - Wikipedia
  • ズムウォルト (ミサイル駆逐艦) - Wikipedia

    ズムウォルト(英語: USS Zumwalt DDG-1000)は、アメリカ海軍のミサイル駆逐艦であり、ズムウォルト級ミサイル駆逐艦のネームシップである。アメリカ海軍作戦部長であった故エルモ・ズムウォルト・ジュニア海軍大将に因んで命名され、艦尾には「Z」が大書きされている[2]。 徹底した傾斜平面造形からなるタンブルホーム型船形、砲身の収納機能、マストの廃止、レーダーアンテナの全面的固定フェイズドアレイ方式化などにより、在来のステルス設計艦艇と一線を画する高度なステルス性がある。建造費は43億ドル。 艦歴[編集] ジェネラル・ダイナミクス社バス鉄工所にて建造されて、2011年11月17日最初の船体ブロックが船台に据え付けられ起工となった。[3] 2013年10月13日進水し、2015年12月7日バス鉄工所を離れて海上公試を開始した。 2016年5月20日に海軍に引渡し[4]、10月15日に

    ズムウォルト (ミサイル駆逐艦) - Wikipedia
  • ズムウォルト級ミサイル駆逐艦 - Wikipedia

    級の計画は、1980年代末にジョゼフ・メトカーフ3世中将が提唱した打撃巡洋艦構想にその起源を有する。従来なら空母と艦載機が行ってきた陸地に対する攻撃を、沖合の「打撃巡洋艦」からの対地ミサイル攻撃で代替するというもので、陸地に最大限接近するための徹底的なステルス化設計と、多数の目標に叩き込むための大量のVLSの搭載を特色としていた。1990年代中盤、この構想は、時の海軍作戦総長ジェレミー・ボーダ大将に取り上げられ、アーセナル・シップとして具現化した。打撃巡洋艦構想では独立作戦能力が確保されていたのに対し、アーセナル・シップ構想では乗員もセンサーも最低限に留められ、索敵・測的・誘導などは戦術データ・リンクや共同交戦能力などを介して外部からもたらされる情報に依存するという、極めて大胆なコンセプトであった[1]。 そして1995年より、アメリカ海軍の将来水上戦闘艦を開発する一大プロジェクトとして

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  • 駆逐艦「橘」について。

    <要目> 基準排水量:1289t,全長:100.0m,幅:9.4m,吃水:3.4m 主機:艦式ギヤードタービン2基,主缶:ロ号艦式缶2基,軸数:2 出力:19000HP,速力:27.3kt,航続力:18kt-3500浬 主兵装:12.7cm連装高角砲1基,同単装1基,25mm三連装機銃4基 主兵装:61cm四連装魚雷発射管1基,爆雷投射機2基,同軌条2 <解説> 第二次大戦前の日駆逐艦-「綾波」や「雪風」に代表されるような-というものは、「艦隊決戦型」と称するべき存在であった。 つまり、 「アメリカ海軍が太平洋の向こうから攻めてくる。 「日海軍はマーシャル諸島あたりでこれを迎え撃つ。 「米太平洋艦隊と帝国連合艦隊の、一大艦隊決戦だ。 「我が駆逐艦は、その際に魚雷を敵戦艦にぶつけるのが仕事である。 「その為には1ktでも速い速力を持ち、1でも多くの魚雷を搭載しなければならん。 「

  • 駆逐艦島風-軍艦画像DBP

    島風は昭和14年に計画された大型航洋駆逐艦である。61センチ魚雷発射管5連装を3基装備し世界最強の雷装を装備した。島風は昭和18年5月10日に竣工。同型艦16隻が計画されたが、戦局の不利により計画は中止され単艦のみの建造で終わった。昭和19年11月11日、多号作戦にてレイテ島への輸送に従事中、米艦載機の攻撃により被爆、沈没。

  • 島に吹く奇跡の風 ~試作高速(丙型)駆逐艦島風~

    by ふれでぃ様(+ヨグ) 丙型駆逐艦「島風」(新造時) 基準排水量:2567t 全長:129.5m 最大幅:11.2m 喫水:4.1m 出力:75000hp 速力:39kt 航続距離:6000浬/18kt 兵装:12.7cm連装砲×3 25mm連装機関銃×2 13mm連装機銃x1 61cm5連装魚雷発射管x3 乗員:267名 同型艦:なし 試作――『試しに作る』 次世代においてより良きモノを生み出すために。 この艦も、その運命の元に生を受けた。 戦艦『大和』の二十分の一以下の抵抗しか持たない船体に『大和』の半分の出力を持った機関を搭載。 駆逐艦『島風』(Ⅱ)は日駆逐艦建造のメッカともいえる舞鶴工廠で産声を上げた。 『島風』は第四次海軍艦艇補充計画において一隻だけ建造された、つまり同型艦は計画されてない。 それは『島風』が試作としての意味合いを多く含む艦だったからだ。 では、『島風』が…

  • 江風型駆逐艦 - Wikipedia

    江風型駆逐艦(かわかぜかたくちくかん)は、日海軍の一等駆逐艦[1]。同型艦2隻[1]。 計画[編集] 谷風は1916年(大正5年)成立した八四艦隊完成案の一部に含まれる大型駆逐艦1隻の予算(2,028,145円)により建造され[9]、江風は大正6年度(1917年)追加予算にある八四艦隊完成案に含まれ、イタリアに譲渡した浦風型江風(初代)の代艦として建造された[10]。江風の予算は初代を解約したことによる返戻金相当額(879,367円)が当てられた[10]。 先行計画の谷風よりも江風の竣工が早く[7]、類別等級表にも江風、谷風の順に記載された[1]結果、型は江風型とされている[7]。 艦型[編集] 基計画番号F30[11]。前型である磯風型の設計を大幅に改良した。 機関に初めてオールギアードタービンを採用した艦(後述)で、計画は慎重に進められた[12]。船体形状は水槽試験で数種類を比較

    江風型駆逐艦 - Wikipedia
  • 浦風型駆逐艦 - Wikipedia

    浦風型駆逐艦(うらかぜかたくちくかん)は、大日帝国海軍の駆逐艦の艦級。同型艦2隻。 概要[編集] 明治44年度計画で建造された駆逐艦。白雲型以来の外国に発注された艦であり、イギリスのヤーロー社で建造された。ディーゼルエンジンを搭載予定であったが、第一次世界大戦の勃発でドイツ、フルカン社の減速ギアが入手不能となりタービンのみが搭載された。江風は建造途中でイタリアに売却された。同じくドイツ製で、浦風に装備される予定だったバーマイスター式直立4サイクル単動ディーゼル2基[1]はドイツから中立国を通じて日に送られてきており、給油艦剣埼に搭載された[1]。 同型艦[編集] 浦風(うらかぜ)

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  • 磯風型駆逐艦 - Wikipedia

    磯風型駆逐艦(いそかぜかたくちくかん)は、大日帝国海軍の駆逐艦の艦級[12]。日海軍の正式類別は天津風型駆逐艦(あまつかぜがたくちくかん)[13][14]。 計画[編集] 天津風型駆逐艦4隻(天津風、磯風、浜風、時津風)は[15]、海風型駆逐艦につぐ国産一等駆逐艦で[16]、八四艦隊案の第一歩となる大正4年度成立した軍備補充費の予算追加要求で計画された[17]。予算は大正5年度と同6年度の新造艦艇製造費から、4隻合計8,113,660万円と説明されている[18]。呉海軍工廠で2隻、三菱長崎造船所で1隻、川崎造船所で1隻が建造され、4隻とも1917年(大正6年)に竣工した[19]。起工から5カ月ほどで竣工した樺型に対し、「浜風」で進水から竣工まで5カ月掛かっていて、より慎重に工事が進められたことを示している[20][注釈 2]。 艦型[編集] 基計画番号F24[21]、海風型の拡大型と

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  • 暁型駆逐艦 - Wikipedia

    暁型駆逐艦(あかつきかたくちくかん、英語: Akatsuki-class destroyers)は、大日帝国海軍の駆逐艦の艦級[1]。第二期拡張計画に基づき、明治30年度計画でイギリスのヤーロウ社に2隻が発注され、1901年より順次に就役した[2]。 設計[編集] 基的に、第一期拡張計画で建造された雷型の小改正型となっており、平甲板型の船型と艦首の亀甲型(タートルバック)形態も同様である[3]。第一期拡張計画での建造艦は、いずれも舵頭が水面上に露出する半釣合舵としていたが、これでは敵弾などで破壊される恐れがあることから、型では釣合舵に改正された。これに伴い、排水量はわずかに増大し[1]、また石炭搭載量も減少している[2]。 ボイラーはヤーロウ式の石炭専焼式水管ボイラーで、蒸気性状は圧力17.6 kgf/cm2 (250 lbf/in2)、飽和温度であった。主機関は3段膨張4気筒レシプ

    暁型駆逐艦 - Wikipedia
  • 若葉 (初春型駆逐艦) - Wikipedia

    若葉(わかば)は、日海軍の初春型駆逐艦3番艦である[3][4]。1934年(昭和9年)10月に竣工した。日海軍の艦船名としては1906年(明治39年)竣工の神風型駆逐艦 (初代)若葉に続いて2隻目。1944年(昭和19年)10月、レイテ沖海戦時に空襲を受け沈没した。 1931年(昭和6年)12月12日、佐世保工廠で第61駆逐艦として起工した[2][5]。1932年(昭和7年)8月1日、初春型駆逐艦1番艦に初春、2番艦に子日、3番艦に若葉の艦名が与えられた[1][6]。1933年(昭和8年)夏、竣工前の初春と子日の公試運転で復原性能の不良が判明し、進水前に大きな設計変更が必要になった。 1934年(昭和9年)3月18日に進水[2][7]。同型4番艦初霜より約1か月遅い同年10月31日に竣工した[2]。若葉は第21駆逐隊に編入され、初春型1-4番艦がそろった。1941年(昭和16年)9月1

    若葉 (初春型駆逐艦) - Wikipedia
    mforce4
    mforce4 2013/03/22
    わかば,初春(はつはる)型-3番艦
  • 若月 (駆逐艦) - Wikipedia

    65口径10cm連装高角砲 4基8門 九六式25mm機銃 3連装5基 同単装12挺 13mm単装機銃3挺 61cm4連装魚雷発射管 1基4門 (九三式魚雷8) 九四式爆雷投射器2基 九五式爆雷 54個 若月(わかつき)は、日海軍の駆逐艦[4][5]。 概要[編集] 一等駆逐艦「若月」は[5]、秋月型駆逐艦の6番艦である[6]。名称は、月齢2、3日の細い月をさす「若月」から[7]。 三菱重工業長崎造船所で建造[8]。1942年(昭和17年)3月9日に起工[8]。 1943年(昭和18年)5月31日に竣工後[4]、訓練部隊の第十一水雷戦隊に所属[9]。8月15日附で第61駆逐隊に編入[10]。11月初旬のブーゲンビル島沖海戦に参加、つづいて米軍機動部隊艦載機によるラバウル空襲を小破で切り抜けた[4]。損傷修理のため、練習巡洋艦鹿島などと共に11月下旬内地へ帰投[4]。 1944年(昭和19

    若月 (駆逐艦) - Wikipedia
    mforce4
    mforce4 2013/03/22
    わかつき,秋月(あきづき)型-6番艦